9月24日、歌のレッスンの合間、息抜きにちょっと外に出たらどこからともなくキンモクセイのい~い香りが漂ってきて、レッスンでくたびれていた気分までが香りにのってふわっと浮き上がるのを感じました。
何しろ今練習している曲はリズムが難しい上にメゾにさえ高音のラ(A)を出せという厳しいお達しが(普通メゾは高いラなんぞ出しません)。前日は家でレッスンし、その日も朝9時からみっちり練習していたんですがなかなか思うように歌えなくて……。特にラの音は全滅。かなり意気消沈していたのです。
発声練習の時にに一音や半音ずつ順番に上がっていけば「ラ」までは出せないわけではないのです。
でも発声練習と実際に歌う時に出す声って全然違うのですよ。
発声の時に出せる「ラ」はあくまで潜在能力にすぎないんですよね。
変なたとえですが、言ってみれば「火事場の馬鹿力」。何かのきっかけで思いがけなく出すことはできても、その状態を常に持続させることはできない。一回こっきりの能力かもしれないんです。
ソプラノのように自由自在に「ラ」まで歌いこなせて、そこで初めて「私の音域は上は高いラまでよ♪」と自慢することができます。それはもう「潜在能力」ではなく、立派な「能力」ですから。
それにたとえ潜在能力で「ラ」を持っていても、コーラスでメゾのパートを歌っている限りそれを発動させる機会は滅多にありません。せいぜい「ファ」や「ソ」どまりですから、発声練習以外に「ラ」出す機会がない。練習量が少なければ難しい音を歌いこなすことはまずできません。練習不足では自信がつかないからです。
「歌う」というのは非常にデリケートな行為で、精神面によってたやすく左右されます。体の調子を整えるのも大切ですが、メンタル面の影響も強い。楽しい気持ちでリラックスして歌えば柔らかくて良い声が出るけれど、緊張して心配しながら歌うと声はかたくなるし音域も狭まるのですよ。
その日も前半の練習では「ラ」は発声練習直後に一回出ただけで、あとはそこまで届かずにかすれたりひっくりかえったりの散々な状態でした。
あーもー「ラ」は全部口パクにして声出すのやめよっかな~、なんて思いながらコーヒーブレイクに外に出た瞬間、鼻孔をくすぐったのが最初に書いたキンモクセイの香りです。
香りだけで、花の姿は全然見えないんですよね、これが。
毎年大量の花をつけるキンモクセイですが、私には花をつけてない限りどの木がキンモクセイか分からないのですよ。だからどこから漂ってくるのか全然わからない。香りだけが空中に実体としてあるんです。
思わずくんくんと鼻を動かしたりして。
現場に残された残り香をたどって尋ね人の潜伏先を探し当てるような事をしていると、いつもの満開時に濃密な香りで自己主張しているキンモクセイとは別人。いや、別の花みたいでミステリアスな感じさえしてきます。
キンモクセイはどこだ? なんて鋭い目つきで辺りを見回したりしている内にすっかり楽しくなってしまった私、どうやらそれで休憩時間の間にすっかりリフレッシュされたみたいです。
前半はともすれば「ラ」が出なかったらどうしよう、恥ずかしいしハズした音で迷惑をかける……なんてくよくよ考え込みながら歌っていたんですが、後半にはそんな事すっかり忘れてミステリーを読んだ後のような充足感と楽しさに満ちたまま歌い出したら、なんと「ラ」の音が出るんです。それも楽々。
一度歌いきることができればそれは自信になります。
それまで「潜在能力」にすぎなかったものが遂に自分の「能力」として取り込めたわけで、その後はガンガン「ラ」まで出して楽しく歌い、楽しいおかげでリズムもノリノリでとれて、非常に有意義なレッスンになりました。
これもコーヒーブレイクの時のキンモクセイの香りのおかげですね♪
実はまだまだ問題点はあって、普段歌い慣れてない高い「ラ」なんか出すと、その直後に「ド」あたりの音域の音が瞬間的にとれなくて外しまくっていたんで、次なる課題は「ラ」を出した後にそこで喜んでないで次の音をちゃんととることですね。
歌というのは一つ課題をクリアしても次から次に乗り越えるべき課題が出てきてこれで終わりということがないんですが、それでもこの曲を自信を持って人前で歌うことができるようになったら、その時は「自分へのご褒美」としてキンモクセイの香りの香水を贈ろうかな、なんて思ってます。
ってゆーか、「ラ」の音を出すための秘密兵器として今すぐ必要かも。
次のレッスンの時はキンモクセイが満開になってますように!
香水「金木犀」 by 武蔵野ワークス ←参加中
何しろ今練習している曲はリズムが難しい上にメゾにさえ高音のラ(A)を出せという厳しいお達しが(普通メゾは高いラなんぞ出しません)。前日は家でレッスンし、その日も朝9時からみっちり練習していたんですがなかなか思うように歌えなくて……。特にラの音は全滅。かなり意気消沈していたのです。
発声練習の時にに一音や半音ずつ順番に上がっていけば「ラ」までは出せないわけではないのです。
でも発声練習と実際に歌う時に出す声って全然違うのですよ。
発声の時に出せる「ラ」はあくまで潜在能力にすぎないんですよね。
変なたとえですが、言ってみれば「火事場の馬鹿力」。何かのきっかけで思いがけなく出すことはできても、その状態を常に持続させることはできない。一回こっきりの能力かもしれないんです。
ソプラノのように自由自在に「ラ」まで歌いこなせて、そこで初めて「私の音域は上は高いラまでよ♪」と自慢することができます。それはもう「潜在能力」ではなく、立派な「能力」ですから。
それにたとえ潜在能力で「ラ」を持っていても、コーラスでメゾのパートを歌っている限りそれを発動させる機会は滅多にありません。せいぜい「ファ」や「ソ」どまりですから、発声練習以外に「ラ」出す機会がない。練習量が少なければ難しい音を歌いこなすことはまずできません。練習不足では自信がつかないからです。
「歌う」というのは非常にデリケートな行為で、精神面によってたやすく左右されます。体の調子を整えるのも大切ですが、メンタル面の影響も強い。楽しい気持ちでリラックスして歌えば柔らかくて良い声が出るけれど、緊張して心配しながら歌うと声はかたくなるし音域も狭まるのですよ。
その日も前半の練習では「ラ」は発声練習直後に一回出ただけで、あとはそこまで届かずにかすれたりひっくりかえったりの散々な状態でした。
あーもー「ラ」は全部口パクにして声出すのやめよっかな~、なんて思いながらコーヒーブレイクに外に出た瞬間、鼻孔をくすぐったのが最初に書いたキンモクセイの香りです。
香りだけで、花の姿は全然見えないんですよね、これが。
毎年大量の花をつけるキンモクセイですが、私には花をつけてない限りどの木がキンモクセイか分からないのですよ。だからどこから漂ってくるのか全然わからない。香りだけが空中に実体としてあるんです。
思わずくんくんと鼻を動かしたりして。
現場に残された残り香をたどって尋ね人の潜伏先を探し当てるような事をしていると、いつもの満開時に濃密な香りで自己主張しているキンモクセイとは別人。いや、別の花みたいでミステリアスな感じさえしてきます。
キンモクセイはどこだ? なんて鋭い目つきで辺りを見回したりしている内にすっかり楽しくなってしまった私、どうやらそれで休憩時間の間にすっかりリフレッシュされたみたいです。
前半はともすれば「ラ」が出なかったらどうしよう、恥ずかしいしハズした音で迷惑をかける……なんてくよくよ考え込みながら歌っていたんですが、後半にはそんな事すっかり忘れてミステリーを読んだ後のような充足感と楽しさに満ちたまま歌い出したら、なんと「ラ」の音が出るんです。それも楽々。
一度歌いきることができればそれは自信になります。
それまで「潜在能力」にすぎなかったものが遂に自分の「能力」として取り込めたわけで、その後はガンガン「ラ」まで出して楽しく歌い、楽しいおかげでリズムもノリノリでとれて、非常に有意義なレッスンになりました。
これもコーヒーブレイクの時のキンモクセイの香りのおかげですね♪
実はまだまだ問題点はあって、普段歌い慣れてない高い「ラ」なんか出すと、その直後に「ド」あたりの音域の音が瞬間的にとれなくて外しまくっていたんで、次なる課題は「ラ」を出した後にそこで喜んでないで次の音をちゃんととることですね。
歌というのは一つ課題をクリアしても次から次に乗り越えるべき課題が出てきてこれで終わりということがないんですが、それでもこの曲を自信を持って人前で歌うことができるようになったら、その時は「自分へのご褒美」としてキンモクセイの香りの香水を贈ろうかな、なんて思ってます。
ってゆーか、「ラ」の音を出すための秘密兵器として今すぐ必要かも。
次のレッスンの時はキンモクセイが満開になってますように!
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