まだ子どもだった時のことだけど。
それまで借家住まいだったのが、両親が遂に家を建てて引っ越したのが小学6年生のことだった。
それは秋で、新しい家の新しい庭にはまだ花も木もなくて、今までどこに住んでも母が丹精こめて育てていた草花が周りにはあったのにと思うと、なんだか引っ越しても全然嬉しくなかった。
それはもちろん子どもだった私にとって引っ越しということは転校を意味することだったから、荒涼とした庭の風景はまるでその時の自分の心の内のようで、直視するのもいやだったのかもしれない。
北海道の冬は早いので、その土と泥しか見えなかった庭は程なくして一面真っ白な雪で覆われるようになった。積もったばかりの新雪はとても美しく、その下に荒れた庭があることなど忘れさせてくれる。友達と引き離された寂しさもそうやって徐々に薄らいでいった。
春、雪が溶けると母は庭造りに熱中し、薔薇の苗を何本も買ってきては植えていた。それまでは他人の土地を借りた庭に草花の種を蒔くばかりで庭木には縁のなかった母にとって、自分の持ち家の庭を好きな木々で埋め尽くすのが夢だったらしい。庭の半分は薔薇園にして、残り半分は成長したら実のなるような木を選んで植えていた。
とはいえ宅地の一部でしかなかった痩せた土地を庭として育てるのは困難なことで、最初の年は植えた木も根付いたのか根付いてないのか判断に苦しむ程ひょろひょろで元気がなく、母は毎朝毎晩リビングの窓から庭を眺めては心配そうな顔をしていたものだった。
無論薔薇の苗木も例外ではなく、植えてから細々と葉をつけるのはまだよい方で、全然成長しないばかりか縮んでるんじゃないかと思えるような貧弱なままの木もあって、薔薇が花をつけるのを心密かに楽しみにしていた私も水をやりながら毎朝毎晩気を揉んでいたのだった。
私にとっても薔薇の咲く庭は憧れだったから。
できれば「咲き誇る」とか「咲き乱れる」ぐらいに威勢よく花をつけて欲しいものだけど、その時の薔薇の木の状況ではとてもそれは無理であろうことは容易に想像がついたので、せめて一輪でもいいから咲いてくれよと夏の間ずっと願っていたものだった。
だから夏の終わりに何本かの薔薇の木に蕾をみつけた時は本当に嬉しかった。
毎夕庭に出ては蕾のふくらみ具合を確かめて、早く中に花びらがみっしりつまるぐらいに大きくなってくれよ、なんてうっとりしながら眺めていた。ほんの数える程しかない蕾の一個一個を大事に見守っていたのである。
残念ながら、栄養状態が悪いのか蕾はつけたものの咲かせるまでに至らない苗木も何本もあった。
そんな中、ようやく一輪だけ花をつけたのはどの木よりも丈高く育っていた赤い薔薇だった。サマンサだっただろうか。花びらの形もちょっと小粋なお洒落な薔薇。赤い色が殺風景だった庭に灯りをともしたように見え、家族の心も明るくなったのを覚えている。
早朝庭に出て、誰にも見られない内にとこっそり薔薇の香りを嗅いでみた。それは初めて自分の家の庭に咲いた薔薇。誰にも遠慮することなく心ゆくまで花を愛で、香りに惑溺できる初めての経験。甘酸っぱい薔薇の香りが鼻孔一杯に広がる。百合のように強くはないけれど一度嗅いだら忘れられない香り。
この香りを嗅げるようになるまで随分待った。
思えばこの家に引っ越してきてからそろそろ1年になるのだ。
今年はもう咲かないのかとあきらめていた薔薇がこうして咲いてくれたのだから、これからはきっと良い事が起きるだろう。
友達と別れて一人だけ違う中学校に通わなくてはならなくて随分寂しい思いもしたけれど、でももう大丈夫だ。だって薔薇が咲いたんだから。昔の友達が連絡をくれなくなったのなら、新しい友達と遊べばいいのだ。薔薇の木だって成長する、私も大人にならなくては……。
ローズオイルはその時の薔薇の香りを思い出させる。
精一杯生きてようやく一輪だけ花をつけた薔薇の、生命力があふれ出すかのような鮮烈な甘酸っぱい香り。
それは引っ越してから1年たって、ようやく子ども時代に別れを告げる事を決心した私の思い出の香りでもあるのだ。
ローズ・スキンケア「コンシンのジェル」 by 武蔵野ワークス ←参加中
それまで借家住まいだったのが、両親が遂に家を建てて引っ越したのが小学6年生のことだった。
それは秋で、新しい家の新しい庭にはまだ花も木もなくて、今までどこに住んでも母が丹精こめて育てていた草花が周りにはあったのにと思うと、なんだか引っ越しても全然嬉しくなかった。
それはもちろん子どもだった私にとって引っ越しということは転校を意味することだったから、荒涼とした庭の風景はまるでその時の自分の心の内のようで、直視するのもいやだったのかもしれない。
北海道の冬は早いので、その土と泥しか見えなかった庭は程なくして一面真っ白な雪で覆われるようになった。積もったばかりの新雪はとても美しく、その下に荒れた庭があることなど忘れさせてくれる。友達と引き離された寂しさもそうやって徐々に薄らいでいった。
春、雪が溶けると母は庭造りに熱中し、薔薇の苗を何本も買ってきては植えていた。それまでは他人の土地を借りた庭に草花の種を蒔くばかりで庭木には縁のなかった母にとって、自分の持ち家の庭を好きな木々で埋め尽くすのが夢だったらしい。庭の半分は薔薇園にして、残り半分は成長したら実のなるような木を選んで植えていた。
とはいえ宅地の一部でしかなかった痩せた土地を庭として育てるのは困難なことで、最初の年は植えた木も根付いたのか根付いてないのか判断に苦しむ程ひょろひょろで元気がなく、母は毎朝毎晩リビングの窓から庭を眺めては心配そうな顔をしていたものだった。
無論薔薇の苗木も例外ではなく、植えてから細々と葉をつけるのはまだよい方で、全然成長しないばかりか縮んでるんじゃないかと思えるような貧弱なままの木もあって、薔薇が花をつけるのを心密かに楽しみにしていた私も水をやりながら毎朝毎晩気を揉んでいたのだった。
私にとっても薔薇の咲く庭は憧れだったから。
できれば「咲き誇る」とか「咲き乱れる」ぐらいに威勢よく花をつけて欲しいものだけど、その時の薔薇の木の状況ではとてもそれは無理であろうことは容易に想像がついたので、せめて一輪でもいいから咲いてくれよと夏の間ずっと願っていたものだった。
だから夏の終わりに何本かの薔薇の木に蕾をみつけた時は本当に嬉しかった。
毎夕庭に出ては蕾のふくらみ具合を確かめて、早く中に花びらがみっしりつまるぐらいに大きくなってくれよ、なんてうっとりしながら眺めていた。ほんの数える程しかない蕾の一個一個を大事に見守っていたのである。
残念ながら、栄養状態が悪いのか蕾はつけたものの咲かせるまでに至らない苗木も何本もあった。
そんな中、ようやく一輪だけ花をつけたのはどの木よりも丈高く育っていた赤い薔薇だった。サマンサだっただろうか。花びらの形もちょっと小粋なお洒落な薔薇。赤い色が殺風景だった庭に灯りをともしたように見え、家族の心も明るくなったのを覚えている。
早朝庭に出て、誰にも見られない内にとこっそり薔薇の香りを嗅いでみた。それは初めて自分の家の庭に咲いた薔薇。誰にも遠慮することなく心ゆくまで花を愛で、香りに惑溺できる初めての経験。甘酸っぱい薔薇の香りが鼻孔一杯に広がる。百合のように強くはないけれど一度嗅いだら忘れられない香り。
この香りを嗅げるようになるまで随分待った。
思えばこの家に引っ越してきてからそろそろ1年になるのだ。
今年はもう咲かないのかとあきらめていた薔薇がこうして咲いてくれたのだから、これからはきっと良い事が起きるだろう。
友達と別れて一人だけ違う中学校に通わなくてはならなくて随分寂しい思いもしたけれど、でももう大丈夫だ。だって薔薇が咲いたんだから。昔の友達が連絡をくれなくなったのなら、新しい友達と遊べばいいのだ。薔薇の木だって成長する、私も大人にならなくては……。
ローズオイルはその時の薔薇の香りを思い出させる。
精一杯生きてようやく一輪だけ花をつけた薔薇の、生命力があふれ出すかのような鮮烈な甘酸っぱい香り。
それは引っ越してから1年たって、ようやく子ども時代に別れを告げる事を決心した私の思い出の香りでもあるのだ。
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