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裁判員には衆議院議員の選挙権を有する方(20歳以上)であれば,原則として,誰でもなることができます(裁判員法13条)詳細はこちらのページ )ので、成人したばかりの人でも選ばれる可能性はあります。

そうです、お酒や煙草だってようやくOKになったばかりの(一部除く)新成人といえど、裁判員候補者に対する通知は容赦なく送られてくるのです。

Who killed Cock Robin?
どよ~ん……。



そんな時、オタオタしないためのいい本を教えましょう。その名も
「裁く技術ー無罪判決から死刑まで」!
Who killed Cock Robin?
体裁は少々地味ですが、内容は濃いです。

なんといっても裁判員に選ばれた人にとって最も重要な「裁判員の昼食は自前」、しかも「裁判所には食堂がない所も多く、さらには近辺に飲食店がない場合も考えられる」なんて恐ろしい事までバッチリ書かれているのですから! 

裁判員に選ばれたら、まずはその日の昼食をどうするかを考えなくてはなりません。
大体人間、空腹だと怒りっぽくなって通常とは違う判断に傾く傾向強いですからね、昼食は重要ですよ。

アメリカの映画やドラマで裁判ものなんか見てると、飲み物や食べ物は差し入れられてたり指定の店に連れて行かれたりしているようだったので、陪審員は自分のごはんの心配はしなくていいのかと思ってましたが、日本の裁判員はそうじゃなかったんですね。裁判の心配と自分のごはんの心配、両方しなくちゃいけない。結構な心労です。


さて、この、昼食の面倒もみてくれない日本の裁判員制度ですが、それでも通知が来たら逃げるわけにはいきません。裁判によっては被告に死刑という判決を下す必要にも迫られます。

人一人の生命が自分の判断にかかってくるわけですから、裁判員にとってもこれは重い課題です。

というわけでこの本もそのおよそ3分の1程を「死刑かどうかを決める技術」としてその部分に割いています。

この本は以前に抜粋を読んで、その時は設問に答える形で感想を書いているのですが(こちらの記事 )、その時も思ったのですが裁判員というのは別に正義感とか善悪の判断とかは求められていないのですよね。この本によると求められているのは本書のタイトル通り、「裁く技術」だけなんです。

死刑であれ無期懲役であれ懲役の年数であれ、それらはすでに「裁く技術」という形で最終決断に到るためのレールはすでにできあがっているんですよ。裁判員はそのレールの上をトロッコ(古!)に乗っかってゴトゴトあーでもないこーでもないと考えながら、でも結局は決まっているゴールにたどり着くんです。その間、カーブの多いレールに振り回されてる間に要求されていたはずの市民感覚なんかあらかたどっかに落としちゃってね。

あらかた、です。全部ではない。

そうやって一種の濾過装置にかけられても残って判決に影を落とすぐらいに強ければ、その「市民感覚」はただの市民感覚ではなく国民的な考え方として裁判所が考慮すべきものとなるでしょう。そういったもの――たとえば性犯罪に対する重罰傾向のようなもの――を抽出する手段としては、まあ少しは有効なのかなと女としては思いますね。

「市民感覚」とはいいますが、感情論だけで人を裁くのはリンチも同然ですから、そこにはやはり司法という壁は必要なんだと思うんですよ。

ただその司法がね、残念ながら時代に追いつけていない。
その古色蒼然とした司法に現代の時代性を反映させるために裁判員制度が導入されたのでしょう。

努力は認めつつ、それでもダメダメじゃんと思うのは裁判員にお昼ご飯の心配させるところですよ。裁判員のこと、まともに人として見てないってことですからね。衣食足りて礼節を知るじゃないですけど、人間にとって「食」は生存の基本ですよ? それをないがしろにしての裁判員制度じゃあ、まだまだだなって感じです。「食」の面倒もまともにみてもらえないで、それでも裁判員をきちんとこなしているんだから、日本人の真面目さはまだまだ立派級だという側面も見えますけれど。

でもさ、「市民感覚」ではマスコミに踊らされ、いざ「裁判員」になったら裁く技術のレールにのっかって、どこまでも人のいいなりで、それでいいわけ?

新成人の皆さん、周囲に流されるばっかりじゃなく、たまにはしっかりと自己主張を!

せめて「裁判員にメシを出せ!」ぐらいのことは言ってもいいのでは?




って、こういう事を書くのも私が朝からロクにものを食べてなくて空腹なせいです。
ほら、空腹ってやっぱり判断力を曇らせるでしょ?(なんのこっちゃ)

食は人間の生存の基本、蔑ろにしてはいけないんですよーっっ!!
新成人のみなさん、食生活は大切にねーーーっっ!!



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