「ワルキューレ」(eiga.com )

さっきまでWOWOWでトム・クルーズの「ワルキューレ」を放映してまして、それを見て思ったんですが、例えば私なんかは映画を見に行くときでも事前に上映開始時間を調べ、チケット買いにかかる時間を予測して、その時間に最も近い電車の到着時刻を調べ、そしてその電車が最寄りの駅を発車するのにギリギリ間に合うようにして家を出るわけですよ。こういう事をしていると、例えば乗る予定だった電車を一本逃しただけでその日見るはずの映画の開始時刻に間に合わないという事態が出来(しゅったい)するわけで、次の電車に乗ってから目的地のシネコンに到着するまでのそのあいだ、ず~~~~~っと「果たして映画に間に合うのか? それとも間に合わないのか?」という焦慮にかられてなければいけないわけです。

で、「ワルキューレ」で感じるサスペンスの大半というのはこの「焦慮」の部分なのだな、とふと思ったりしたのですよ。

映画館やシネコンでは大抵の場合予告編の上映を行いますから、劇場によって違うものの本編上映前に5分から15分程度の時間のゆとりがあります。この「ゆとり」が大きければ電車一本逃したというミスはそこに吸収されますので、上手くいけば劇場内は暗くなり予告編は全部終わっていたとしても本編開始には間に合い、結果としてその日予定していた「映画鑑賞」という行為は問題なく遂行できます。

ところが私のように頻繁に映画館に通うようになると、もう予告編は最初から見るつもりないんですね。その劇場での予告編が何分間か経験によって割り出せますので、到着を本編開始の5分前ぐらいに設定して計画たてたりする。こういう「ゆとり」のないギリギリな計画ばかりたててると、その計画は電車に一本乗り遅れただけで音を立てて瓦解するのですよ。本編が始まっちゃってたら、映画鑑賞は台無しになりますから。

自分のミスで電車に乗り遅れた場合は自分の責任ですが、たまに電車の方が来ないという不測の事態も起きます。これはもう自分の力ではどうしようもできないです。計画をたてる際にそもそも考慮に入れてないんですから。例え時間のゆとりを持って計画を立てていたとしても、電車が一時間遅れたらその計画は遂行できず、完全な失敗に終わるのです。

「ワルキューレ」は、言ってみればそんな話です。例えが卑近すぎて申し訳ないですけど。

私なんか日々そんなギリギリな計画行動ばかり立ててますから、「ワルキューレ」の登場人物達が感じた焦慮が手に取るように分かり、サスペンスをギリギリまで感じ、最後には感情移入しまくって泣きながら見るハメになります。


しかしながら、シネコンに行くとよく見かけるのがタイムテーブルを眺めながら今日何見ようかと相談している方々。こういう方々は仮にデートをするという計画を立てていたとしても、厳密に何時何分の映画を見ようと心に決めてシネコンに来ているわけではないので、電車に乗り遅れようがトラブルでその電車が止まろうが映画のために「焦慮にかられる」という事は一切ないわけです。そういう方々にはたぶん、この「ワルキューレ」の手に汗握るギリギリで必死のサスペンスは伝わらない。そしてそのサスペンスが分からなければ「ワルキューレ」なんて面白くも何ともないんです。「ワルキューレ」の見所、面白いところはまさにその計画が様々なトラブルで立ち行かなくなっていく部分にこそあるのですから。


「ワルキューレ」は来月22日にもWOWOWでの放映があります。
御覧になって最高のサスペンスを感じる事ができた方は、もしかすると御自分の計画の立て方にもうちょっと「ゆとり」を持った方がいいのかもしれませんよ♪