「ニューヨーク、アイラブユー」公式サイト
*写真の下からネタバレになります。
この作品は久々のオーランド・ブルーム出演作という事でこのブログでも公開前は随分関連記事を載せていたものなのだけど、ようやく公開されたらそれっきり で、ブログを見る限りでは私が見たかどうかも定かではないような状況のままだったと思う。
もちろん、見ております、初日ではないにしろ第一週に。
幾つものエピソードがある中で一番美しかったのがシャイア君出演のお話。
今は亡きアンソニー・ミンゲラ監督が撮る予定だった作品を、彼の死後シェカール・カプール監督が替わって撮影したというエピソードは白い光にあふれて映像そのものがとても美しかった。
そしてそこに出ているシャイア君は、「インディ・ジョーンズ4」や「トランスフォーマー」シリーズで見せたような独立心と反骨精神旺盛な生命力に満ちた青年像とはまるで違い、どこかこの世とあの世のあわいに佇んでいるような、魂だけの純粋な存在のような透明な美しさでフィルムの中に姿を現していた。
それは私や私の友達が一気に彼のファンになってしまった役、「コンスタンティン」のチャズの姿を彷彿とさせるものだった。映画の最後の最後にハーフブリードとして現れる、天使のような彼の姿である。
シャイア・ラブーフの美しさは顔かたちではなく、その精神性にあるのだ。崇高な表情ができる人は、どこかで一度自分の欲望を全部捨て去った経験があるのに違いない。そう思わせる表情である。
この作品の中でシャイアが演じているのはジェイコブという名の脚の悪いホテルの従業員である。ドアマンなのかベルボーイなのか、古くて人手不足らしいホテルで雑用を一手に引き受けているらしい。もう一人は相当年配の支配人なので、体が不自由でも力仕事はジェイコブがしなければいけないらしいのだ。
この、脚の悪い演技が演技とは思えないのである。
本当に不自由そうで、自分の言うことを素直に聞かない部分をだましだまし使っているという様子が顕著で……ひょっとしたらシャイア自身の交通事故の後でまだ本当に体が不自由な時に撮影したのではないかと思ったぐらいだ。
大きなスーツケースを抱え、不自由な片足をひきずるように階段を上るジェイコブに、スーツケースの持ち主(ジュリー・クリスティー)は自分が運ぶというのだが、彼はそれが自分の仕事だと言い張ってきちんとやり遂げるのである。そのひたむきな姿が何とも言えない程美しく、胸を打つのだ。
荷物を運び入れた後、ジェイコブは次にシャンパンを持って現れる。
そしてジュリー演じる往年のオペラ歌手の勧めに応じて一緒にグラスを傾ける。
まだ若いのに、体の自由がきかないせいなのかジェイコブの話しぶりは訥々として、どこかもっと年配の人を思わせるが、その奇妙な落ち着きぶりにオペラ歌手も何故か心を開きふと打ち解けた表情を見せるようになる。
オペラ歌手は、もう昔のような声が出せない事に気づき歌手生命の限界を感じ、そして歌手生命が終わるのなら自分も命を断とうと思って昔なじみのこのホテルに最後の逗留に来ていたのである。
自分の思い通りの部屋、自分の一番好きなドレスに着替え、ジェイコブがこの世で最後の話し相手となるはずだった。
ジェイコブはそんな彼女の姿から何かを感じ取りながら、ただ一緒に座り一緒にシャンパンを飲み、奇妙に老成した様子で死の決意を固めたはずの彼女の心を和やかなものに変えていくのだった。
ジェイコブは開け放された窓に気づき、閉めるために歩み寄る。
その窓は一人になった彼女がそこから飛び降りるために開け放したものだった。
ジェイコブは窓に近づき、彼女が止めるのも聞かず閉めるために不自由な体で身を乗り出し、光の降り注ぐ白いカーテンに紛れ、その白い光と戯れるようにして姿を消してしまう。まるで光の中に溶け込み、昇天するかのように。
はっと気づいた彼女が窓に駆け寄り、下を見るとそこには歪んだ形に倒れ頭から血を流しているジェイコブの姿が……。
しかしその後彼女の部屋に現れた年輩の支配人は彼女の話を否定する。
中庭には死体はないし、そもそもジェイコブなどいなかったと。
このホテルで彼女を迎えたのは彼自身で、そして彼は自分がずっと以前から彼女のファンであったことを伝える。あたかも愛の告白であるかのごとく。
彼女を秘かに愛し続けていた支配人はこのホテルに現れた時の彼女を見て、おそらくすぐに彼女が何を考えているのかに気づいたのだ。
そして支配人の深い思いはジェイコブという若者の姿をとり、でも動きや中身は老年である彼のまま、彼女の話し相手となり、彼女の代わりに窓から飛び降りてみせることで、彼女の自殺を思いとどまらせたのだろう。
支配人の深い愛を知って、彼女は自分が孤独ではない事に気づいた。
名声は過去のものになっても、今も尚愛してくれる人がいるのなら、死ぬことなど、ない。
死は美しいが、愛もまた美しい。
一瞬でも愛を感じた人の死がこんなにも悲しくて衝撃的ならば、自分を愛してくれてる人にそんな思いをさせるのはやめよう。せめて、今ここに愛してくれる人がいる間だけでも。
彼女と支配人の間にあるのは純粋に精神的な愛だけで、それも本当にかぼそいものなのだが、それでも、そんな愛でも、愛さえあれば人は生きていけるのである。
*写真の下からネタバレになります。
この作品は久々のオーランド・ブルーム出演作という事でこのブログでも公開前は随分関連記事を載せていたものなのだけど、ようやく公開されたらそれっきり で、ブログを見る限りでは私が見たかどうかも定かではないような状況のままだったと思う。
もちろん、見ております、初日ではないにしろ第一週に。
幾つものエピソードがある中で一番美しかったのがシャイア君出演のお話。
今は亡きアンソニー・ミンゲラ監督が撮る予定だった作品を、彼の死後シェカール・カプール監督が替わって撮影したというエピソードは白い光にあふれて映像そのものがとても美しかった。
そしてそこに出ているシャイア君は、「インディ・ジョーンズ4」や「トランスフォーマー」シリーズで見せたような独立心と反骨精神旺盛な生命力に満ちた青年像とはまるで違い、どこかこの世とあの世のあわいに佇んでいるような、魂だけの純粋な存在のような透明な美しさでフィルムの中に姿を現していた。
それは私や私の友達が一気に彼のファンになってしまった役、「コンスタンティン」のチャズの姿を彷彿とさせるものだった。映画の最後の最後にハーフブリードとして現れる、天使のような彼の姿である。
シャイア・ラブーフの美しさは顔かたちではなく、その精神性にあるのだ。崇高な表情ができる人は、どこかで一度自分の欲望を全部捨て去った経験があるのに違いない。そう思わせる表情である。
この作品の中でシャイアが演じているのはジェイコブという名の脚の悪いホテルの従業員である。ドアマンなのかベルボーイなのか、古くて人手不足らしいホテルで雑用を一手に引き受けているらしい。もう一人は相当年配の支配人なので、体が不自由でも力仕事はジェイコブがしなければいけないらしいのだ。
この、脚の悪い演技が演技とは思えないのである。
本当に不自由そうで、自分の言うことを素直に聞かない部分をだましだまし使っているという様子が顕著で……ひょっとしたらシャイア自身の交通事故の後でまだ本当に体が不自由な時に撮影したのではないかと思ったぐらいだ。
大きなスーツケースを抱え、不自由な片足をひきずるように階段を上るジェイコブに、スーツケースの持ち主(ジュリー・クリスティー)は自分が運ぶというのだが、彼はそれが自分の仕事だと言い張ってきちんとやり遂げるのである。そのひたむきな姿が何とも言えない程美しく、胸を打つのだ。
荷物を運び入れた後、ジェイコブは次にシャンパンを持って現れる。
そしてジュリー演じる往年のオペラ歌手の勧めに応じて一緒にグラスを傾ける。
まだ若いのに、体の自由がきかないせいなのかジェイコブの話しぶりは訥々として、どこかもっと年配の人を思わせるが、その奇妙な落ち着きぶりにオペラ歌手も何故か心を開きふと打ち解けた表情を見せるようになる。
オペラ歌手は、もう昔のような声が出せない事に気づき歌手生命の限界を感じ、そして歌手生命が終わるのなら自分も命を断とうと思って昔なじみのこのホテルに最後の逗留に来ていたのである。
自分の思い通りの部屋、自分の一番好きなドレスに着替え、ジェイコブがこの世で最後の話し相手となるはずだった。
ジェイコブはそんな彼女の姿から何かを感じ取りながら、ただ一緒に座り一緒にシャンパンを飲み、奇妙に老成した様子で死の決意を固めたはずの彼女の心を和やかなものに変えていくのだった。
ジェイコブは開け放された窓に気づき、閉めるために歩み寄る。
その窓は一人になった彼女がそこから飛び降りるために開け放したものだった。
ジェイコブは窓に近づき、彼女が止めるのも聞かず閉めるために不自由な体で身を乗り出し、光の降り注ぐ白いカーテンに紛れ、その白い光と戯れるようにして姿を消してしまう。まるで光の中に溶け込み、昇天するかのように。
はっと気づいた彼女が窓に駆け寄り、下を見るとそこには歪んだ形に倒れ頭から血を流しているジェイコブの姿が……。
しかしその後彼女の部屋に現れた年輩の支配人は彼女の話を否定する。
中庭には死体はないし、そもそもジェイコブなどいなかったと。
このホテルで彼女を迎えたのは彼自身で、そして彼は自分がずっと以前から彼女のファンであったことを伝える。あたかも愛の告白であるかのごとく。
彼女を秘かに愛し続けていた支配人はこのホテルに現れた時の彼女を見て、おそらくすぐに彼女が何を考えているのかに気づいたのだ。
そして支配人の深い思いはジェイコブという若者の姿をとり、でも動きや中身は老年である彼のまま、彼女の話し相手となり、彼女の代わりに窓から飛び降りてみせることで、彼女の自殺を思いとどまらせたのだろう。
支配人の深い愛を知って、彼女は自分が孤独ではない事に気づいた。
名声は過去のものになっても、今も尚愛してくれる人がいるのなら、死ぬことなど、ない。
死は美しいが、愛もまた美しい。
一瞬でも愛を感じた人の死がこんなにも悲しくて衝撃的ならば、自分を愛してくれてる人にそんな思いをさせるのはやめよう。せめて、今ここに愛してくれる人がいる間だけでも。
彼女と支配人の間にあるのは純粋に精神的な愛だけで、それも本当にかぼそいものなのだが、それでも、そんな愛でも、愛さえあれば人は生きていけるのである。