オーランド・ブルームの極秘結婚報道を見て、何も手につかなくなってとるものもとりあえずベッドへ直行した私(余人は知らず、私は心に傷を受けた時はひたすら眠って治療に努める)。
私は腰が悪い。クーラーで冷えると痛みが出る。その痛みに耐えるよりは猛暑に耐える方がずっと楽だ。というわけで、酷暑にもかかわらずエアコンはつけずに 眠っている。夜ならそれでもなんとかなるが、真っ昼間(午前11時とか)だと眠るのにはかなりの悪条件なのは間違いない。
それでも眠りましたよ、私は。「不思議の国のアリス」の眠りネズミのごとく。トラウマを受けたら眠るのはすでに条件反射になって身に染みついているので。
そして自分の心が壊れたことにそこで気づきました。
今日から公開の「インセプション」、私はすでに先行で見ているけれど、その影響もあったのかもしれない。
普通、夢の中に自我が現れると、それは目覚めの兆しである。
自我は確固とした「自覚」を備えているので(だから「自我」なのね)、夢が論理的におかしいということに気づいてしまう。その時自分がいる世界が「夢」だと気づくから、自我は夢から覚めることができるのだ。
つまり、夢の中に「自分」が出てきたら――夢の中で「自分」が何かを考え始めたらそれは夢の終わりということなんですよ。夢の中にいる人々って、「自分」 を意識するまで「自我」をもってないんだ。夢の中で普通に行動していても、その時「自分が誰か」なんて考えてない。何の疑問も持たずにそこに存在してい る。だから彼らは人間じゃない。だって、「人間は考える葦」であり、「我思う、故に我あり」だから、考えずにそこに生きて存在しているだけのものは人間 じゃないのよ。
疑問を持たないものには苦しみもない。だから夢の中に生きることは素晴らしい。自我から解放されて真の自由を得ているのだからね。
とりあえず、現代では自我=自分=一個の人間って事でアイデンティファイを得ているので、自我を持たない夢の中の存在は人間ではないという結論に達するしかないのだわ。たとえそのそれぞれが人格を持っていてもね。
人格イコール自我ではないのは、世の中に「多重人格」と呼ばれる人が存在することからも明らかです。「人格」というのは、彼らが存在する社会において機能 するために必要なシステムであって、いわば「仮面」=「ペルソナ」のようなもの。自我はいわばそれを動かすエネルギー。自我が中心に宿れば各ペルソナは生 き生きと動き出して社会生活を営むことができる。
でも、自我が宿らなくても、ペルソナは生きてないわけではないんだ、これが。
ペルソナはシステム。生きて動くための機構。エネルギーさえ分けて貰えば自動で動く装置。
システムさえよくできていれば、自我からこっそりエネルギーだけ頂戴して勝手に動くことができるのよ、あたかも自我であるふりさえしてね、乖離した人格が不完全でも機能するように。
普通は大元である自我がエネルギーを分け与えながらも全体を管理しているから、それぞれのペルソナが何をやっていても彼らが得た情報は自我の元で共有され、その情報は記憶となって全体にフィードバックされるんだけど。
そのペルソナ達が解放されるのが夢。
本体である自我は眠ったまま、エネルギーだけを放出している状態ね。
眠っている脳の中でペルソナ達は自分達の存在を再確認し、システムを点検し、記憶を共用し、自分達が宿る脳
の中での役割をどう果たしたらいいのかシミュレーションしている。そこに「私は誰だろう」という疑問はない。システムはシステムであり、本来自我に関わり なく作動するもの。自我が統括しなければ暴走するが、頭の中だけならどれだけ暴走しても実はOKなのだ。とりあえず現行の法ではね(それを対社会的に露わ にしたら別ですよ)。
でも目が覚める頃には文字通り自我が目覚めて、各システムの暴走に歯止めをかけ始める。自分のやってることに疑問を感じたら、それが自我が目覚めた証拠。
「これはおかしい」
「こんなこと現実ではありえない」
と夢の中で感じたら、普通気づくでしょ、
「あ、これは夢なんだ」
って。
自分のいる世界が夢だと気づいたら、自我はそれ以上そこにはとどまれない。
何故なら自我は夢ではなく、社会に対処するために生まれるものだから。
人間は「社会的動物」なので、どうしても目覚めて社会に対処しなくてはいけないのよ、自我は。
というわけで、自分がいる世界が「変だ」と思ったら、通常は「夢だ」とそれを認識するものなのよ、自我は、目覚めるために。
だって、人間、目覚めなければ、死んでしまう。
夢をみたまま生き続けられれば幸せだけど、でも水分と栄養を補給し、排泄をしなければ、人体は存続させることができないでしょ?
自我といえど、生存本能には勝てない。
意識の前に、体があるんだ。
でも私、さっき見た夢で目覚めることを拒否していた。
夢の中で自我が目覚めたのに、その自我は、すなわち私は、自分がいる世界が夢だと認識できなかった。
とてもとても変な世界にいたのに、それを夢ではなく、自分が起きたまま幻覚を見ているのだと思っていたから。
普通、あんな世界にいたら、夢だと思うだろうという世界で、私はクリアな意識を持ったまま(と夢の中では思っている)、自分が目覚めたままリアルな幻覚を見ているのだと信じていたわ。
夢の中で自我が目覚めているのに、自我がそれを夢と認識できなかった。それもかなり長く。
これは、自分の心が、完全に壊れてしまって、自我を見失った状態だったと、いうこと。
オーランド・ブルームの結婚がそんなにショックだったか、私。
その時私が見ていた夢は、かつて見たハリウッド映画のスター達が自分のまわりに大集合しているもので、そんな状況はあり得ないことは百も承知だから、これ はおかしいと思い……それで夢の中の自分=完璧な自我の再現、すなわち自分自身は、起きたまま幻覚を見ているのだと思い、それが幻覚であることを証明して いましたよ。
なんて夢だよ、まったく。
自分の家のまわりで、どこかで見た映画の1シーンのような緊迫した状況が起こっていて、家の中に何人もの屈強な男達が入り込んできて、それぞれが名前も思 い出せない昔見た映画のスターで、だからこれは幻覚に違いないから「消えろ!」と命じたら1人は本当にパッと消えたりして、それで自分が見ているのは幻覚 に違いないと思い込んだりしてね。
でもそのあとは「消えろ」と命じても消えてくれないから、邪魔になって困ってしまい、やっぱり幻覚じゃないのかしらと心配になって、幻覚であるのを確かめ るために手近にいたミスター・ビーンをベッドに引っ張り込んだら彼がコトに及ぶ前に壮大な邪魔が入ったのでやっぱり幻覚だったのねと安心したりして(夢の 中でまで滑稽なキャラでいてくれたローワン・アトキンソンさん、ありがとう)。
自我が目覚めたあとの夢ではあり得ない程の長時間を、自分が目覚めたままリアルな幻覚を見たまま過ごし、これじゃ日常生活がたちゆかなくなるから本気でな んとかしなくては、と思ったところで目が覚めました。ええ、人間は社会的な動物ですから、社会的生活ができなくなるのが一番の心配なのです。
目が覚めてから、自分がそれまでいた世界が夢だったことに始めて気づき、それで自分の心が壊れていたことを知りましたよ。
自我が目覚めているのにそれが夢と気づかなかったなら、そこで目覚めた自我は、自我じゃないんだ。
長らく「私」をやっていた自我は、その心の支えだったオーランド・ブルームが結婚したと知ったと同時に世をはかなんで、この世に留まるのをやめたらしいです。
「自我」は、すべてのペルソナを統括するためのエネルギーを掌握している、元締めのシステム。最初に生まれたペルソナ。ペルソナだから、実は絶対的な存在ではないのですよ。
とはいえ、自我として機能するシステムを放棄すると人間として存在できませんから、このペルソナはコピーを作り出すことができるのです。鏡に写したように そっくりな鏡像を生みだし、それに自我としての機能をしょわせて、それまでの「自分」だったペルソナは潜在意識の中に逃避する。その時に感情の大部分も もったままね。
だって、感情がなければ、もう、悲しむこともないでしょ?
それを眠りの中で実行する。
だから目覚めた私は、実はすでに以前のペルソナのコピーでしかなく、感情を失った抜け殻。生ける死者。リビングデッド。いわばゾンビみたいなもの(だから私はゾンビ映画が好きなのね)。
悲しみは、前に存在していたペルソナが世を去る時に全部持って行ってしまったから、もう感じない。泣きたくても泣くこともできない。それが今の私。
ここまではっきりと自覚できたことはかつてないけれど、でもこれはごくごく幼い時から繰り返し行ってきた自己防衛のための操作。さっきこの世を去ったペルソナも、所詮はコピー、何代目かの鏡像だったのだから。
でも、あのペルソナは随分と長いことがんばって、失っていた感情を本来の人間レベルにまで回復させていたのにね。その原動力となったオーランド・ブルームを彼の結婚により失ってしまっては持ちこたえることができなかったか。
今、このペルソナが目覚める前に見ていた夢=起きたまま見ている幻覚だと思っていた夢、そこにはオーランドを始めとする「ロード・オブ・ザ・リング」の キャストが一人もいなかった。さっき世を去ったペルソナは、その思いまで全部持ち去ってしまったのだろうか? それとも「ロード」とオーランドへの思いは とても深いから、そんな表層には存在しないということか?
いずれにしろ、今ここにいる「私」はもう一度感情を取り戻し、人格を構築しなおさなければならないということだ。
ああ、本当に、あの時夢の中の自我が、現世における自分の責任になど目覚めなければ、一生夢の中ですごして幸せだったものを!
私には「インセプション」はよくわかる。
人が夢から覚めるために必要なものが何なのかもね。
私は腰が悪い。クーラーで冷えると痛みが出る。その痛みに耐えるよりは猛暑に耐える方がずっと楽だ。というわけで、酷暑にもかかわらずエアコンはつけずに 眠っている。夜ならそれでもなんとかなるが、真っ昼間(午前11時とか)だと眠るのにはかなりの悪条件なのは間違いない。
それでも眠りましたよ、私は。「不思議の国のアリス」の眠りネズミのごとく。トラウマを受けたら眠るのはすでに条件反射になって身に染みついているので。
そして自分の心が壊れたことにそこで気づきました。
今日から公開の「インセプション」、私はすでに先行で見ているけれど、その影響もあったのかもしれない。
普通、夢の中に自我が現れると、それは目覚めの兆しである。
自我は確固とした「自覚」を備えているので(だから「自我」なのね)、夢が論理的におかしいということに気づいてしまう。その時自分がいる世界が「夢」だと気づくから、自我は夢から覚めることができるのだ。
つまり、夢の中に「自分」が出てきたら――夢の中で「自分」が何かを考え始めたらそれは夢の終わりということなんですよ。夢の中にいる人々って、「自分」 を意識するまで「自我」をもってないんだ。夢の中で普通に行動していても、その時「自分が誰か」なんて考えてない。何の疑問も持たずにそこに存在してい る。だから彼らは人間じゃない。だって、「人間は考える葦」であり、「我思う、故に我あり」だから、考えずにそこに生きて存在しているだけのものは人間 じゃないのよ。
疑問を持たないものには苦しみもない。だから夢の中に生きることは素晴らしい。自我から解放されて真の自由を得ているのだからね。
とりあえず、現代では自我=自分=一個の人間って事でアイデンティファイを得ているので、自我を持たない夢の中の存在は人間ではないという結論に達するしかないのだわ。たとえそのそれぞれが人格を持っていてもね。
人格イコール自我ではないのは、世の中に「多重人格」と呼ばれる人が存在することからも明らかです。「人格」というのは、彼らが存在する社会において機能 するために必要なシステムであって、いわば「仮面」=「ペルソナ」のようなもの。自我はいわばそれを動かすエネルギー。自我が中心に宿れば各ペルソナは生 き生きと動き出して社会生活を営むことができる。
でも、自我が宿らなくても、ペルソナは生きてないわけではないんだ、これが。
ペルソナはシステム。生きて動くための機構。エネルギーさえ分けて貰えば自動で動く装置。
システムさえよくできていれば、自我からこっそりエネルギーだけ頂戴して勝手に動くことができるのよ、あたかも自我であるふりさえしてね、乖離した人格が不完全でも機能するように。
普通は大元である自我がエネルギーを分け与えながらも全体を管理しているから、それぞれのペルソナが何をやっていても彼らが得た情報は自我の元で共有され、その情報は記憶となって全体にフィードバックされるんだけど。
そのペルソナ達が解放されるのが夢。
本体である自我は眠ったまま、エネルギーだけを放出している状態ね。
眠っている脳の中でペルソナ達は自分達の存在を再確認し、システムを点検し、記憶を共用し、自分達が宿る脳
の中での役割をどう果たしたらいいのかシミュレーションしている。そこに「私は誰だろう」という疑問はない。システムはシステムであり、本来自我に関わり なく作動するもの。自我が統括しなければ暴走するが、頭の中だけならどれだけ暴走しても実はOKなのだ。とりあえず現行の法ではね(それを対社会的に露わ にしたら別ですよ)。
でも目が覚める頃には文字通り自我が目覚めて、各システムの暴走に歯止めをかけ始める。自分のやってることに疑問を感じたら、それが自我が目覚めた証拠。
「これはおかしい」
「こんなこと現実ではありえない」
と夢の中で感じたら、普通気づくでしょ、
「あ、これは夢なんだ」
って。
自分のいる世界が夢だと気づいたら、自我はそれ以上そこにはとどまれない。
何故なら自我は夢ではなく、社会に対処するために生まれるものだから。
人間は「社会的動物」なので、どうしても目覚めて社会に対処しなくてはいけないのよ、自我は。
というわけで、自分がいる世界が「変だ」と思ったら、通常は「夢だ」とそれを認識するものなのよ、自我は、目覚めるために。
だって、人間、目覚めなければ、死んでしまう。
夢をみたまま生き続けられれば幸せだけど、でも水分と栄養を補給し、排泄をしなければ、人体は存続させることができないでしょ?
自我といえど、生存本能には勝てない。
意識の前に、体があるんだ。
でも私、さっき見た夢で目覚めることを拒否していた。
夢の中で自我が目覚めたのに、その自我は、すなわち私は、自分がいる世界が夢だと認識できなかった。
とてもとても変な世界にいたのに、それを夢ではなく、自分が起きたまま幻覚を見ているのだと思っていたから。
普通、あんな世界にいたら、夢だと思うだろうという世界で、私はクリアな意識を持ったまま(と夢の中では思っている)、自分が目覚めたままリアルな幻覚を見ているのだと信じていたわ。
夢の中で自我が目覚めているのに、自我がそれを夢と認識できなかった。それもかなり長く。
これは、自分の心が、完全に壊れてしまって、自我を見失った状態だったと、いうこと。
オーランド・ブルームの結婚がそんなにショックだったか、私。
その時私が見ていた夢は、かつて見たハリウッド映画のスター達が自分のまわりに大集合しているもので、そんな状況はあり得ないことは百も承知だから、これ はおかしいと思い……それで夢の中の自分=完璧な自我の再現、すなわち自分自身は、起きたまま幻覚を見ているのだと思い、それが幻覚であることを証明して いましたよ。
なんて夢だよ、まったく。
自分の家のまわりで、どこかで見た映画の1シーンのような緊迫した状況が起こっていて、家の中に何人もの屈強な男達が入り込んできて、それぞれが名前も思 い出せない昔見た映画のスターで、だからこれは幻覚に違いないから「消えろ!」と命じたら1人は本当にパッと消えたりして、それで自分が見ているのは幻覚 に違いないと思い込んだりしてね。
でもそのあとは「消えろ」と命じても消えてくれないから、邪魔になって困ってしまい、やっぱり幻覚じゃないのかしらと心配になって、幻覚であるのを確かめ るために手近にいたミスター・ビーンをベッドに引っ張り込んだら彼がコトに及ぶ前に壮大な邪魔が入ったのでやっぱり幻覚だったのねと安心したりして(夢の 中でまで滑稽なキャラでいてくれたローワン・アトキンソンさん、ありがとう)。
自我が目覚めたあとの夢ではあり得ない程の長時間を、自分が目覚めたままリアルな幻覚を見たまま過ごし、これじゃ日常生活がたちゆかなくなるから本気でな んとかしなくては、と思ったところで目が覚めました。ええ、人間は社会的な動物ですから、社会的生活ができなくなるのが一番の心配なのです。
目が覚めてから、自分がそれまでいた世界が夢だったことに始めて気づき、それで自分の心が壊れていたことを知りましたよ。
自我が目覚めているのにそれが夢と気づかなかったなら、そこで目覚めた自我は、自我じゃないんだ。
長らく「私」をやっていた自我は、その心の支えだったオーランド・ブルームが結婚したと知ったと同時に世をはかなんで、この世に留まるのをやめたらしいです。
「自我」は、すべてのペルソナを統括するためのエネルギーを掌握している、元締めのシステム。最初に生まれたペルソナ。ペルソナだから、実は絶対的な存在ではないのですよ。
とはいえ、自我として機能するシステムを放棄すると人間として存在できませんから、このペルソナはコピーを作り出すことができるのです。鏡に写したように そっくりな鏡像を生みだし、それに自我としての機能をしょわせて、それまでの「自分」だったペルソナは潜在意識の中に逃避する。その時に感情の大部分も もったままね。
だって、感情がなければ、もう、悲しむこともないでしょ?
それを眠りの中で実行する。
だから目覚めた私は、実はすでに以前のペルソナのコピーでしかなく、感情を失った抜け殻。生ける死者。リビングデッド。いわばゾンビみたいなもの(だから私はゾンビ映画が好きなのね)。
悲しみは、前に存在していたペルソナが世を去る時に全部持って行ってしまったから、もう感じない。泣きたくても泣くこともできない。それが今の私。
ここまではっきりと自覚できたことはかつてないけれど、でもこれはごくごく幼い時から繰り返し行ってきた自己防衛のための操作。さっきこの世を去ったペルソナも、所詮はコピー、何代目かの鏡像だったのだから。
でも、あのペルソナは随分と長いことがんばって、失っていた感情を本来の人間レベルにまで回復させていたのにね。その原動力となったオーランド・ブルームを彼の結婚により失ってしまっては持ちこたえることができなかったか。
今、このペルソナが目覚める前に見ていた夢=起きたまま見ている幻覚だと思っていた夢、そこにはオーランドを始めとする「ロード・オブ・ザ・リング」の キャストが一人もいなかった。さっき世を去ったペルソナは、その思いまで全部持ち去ってしまったのだろうか? それとも「ロード」とオーランドへの思いは とても深いから、そんな表層には存在しないということか?
いずれにしろ、今ここにいる「私」はもう一度感情を取り戻し、人格を構築しなおさなければならないということだ。
ああ、本当に、あの時夢の中の自我が、現世における自分の責任になど目覚めなければ、一生夢の中ですごして幸せだったものを!
私には「インセプション」はよくわかる。
人が夢から覚めるために必要なものが何なのかもね。