「インセプション」公式サイト
*画像の下からネタバレあります。
アリアドネを演じたエレン・ペイジ。
聡明さと無謀さを同時に備えた「変わった子」がハマリ役。
アリアドネはギリシア神話に出てくる王の娘の名前。ミノタウロスの迷宮に入るテセウスに糸玉を渡し、入り口に端を結びつけておけばその糸を辿る事で帰り道が分かると教えた(詳細はこちら )。
「アリアドネの糸」とは難問を解決する鍵をさす(こちら )。
「インセプション」の中ではまさにアリアドネが全ての問題を解決するための策を主人公のコブに授けていた。
「インセプション」は夢の中を現実の世界のように登場人物達が動き回る映画である。彼らは特殊な装置によって夢を共有していて、その主体となっている夢を見ている人物が目覚めると夢の世界は壊れてしまうが、しかしその夢の中で夢と知りつつ活動している彼ら自身の夢も少しずつ世界の中に混じり込んでいる。そのため夢は基本設計から微妙に狂い始め隅の方で迷宮を形成しだしたりするのだが、その迷宮から脱出する方法をアリアドネがコブに教えるのである。
観客はコブの視点でものを見て、これが壮大な一種の産業スパイ計画であるかのように思わされているのだが、映画を見るにつれて別の見方もできることに気づくようになる。
これは、コブが一人で見ている、長い長い悪夢なのではあるまいかと。
コブは、恐らくコブという人間の本体、いわば自我である。
自我はそれが夢だとは気づかないまま、自分の壊れた心の中をさまよって、何とか出口を見つけようとしている。
コブ(自我)だけでは難しいのでコブ(本体)が潜在意識の中に抱えるペルソナ達がそれぞれ別人格を持って登場し、自分達の役割を淡々とこなしていく。コブ自身が有能であるから、それぞれのペルソナも全て有能で、与えられたミッションを不測の事態を乗り越えつつこなしていくのだが、最後の最後にコブ(自我)が何故かミッションを最後まで遂行することを拒んでしまう。
「(計画は)失敗だ」
と言って、最後までやりぬくのをあきらめてしまうのだ。
彼には夢に留まりたい理由がある。
最愛の妻がそこにいるから。
彼にとって夢から覚めることは妻を忘れることに他ならず、彼自身がそれに耐える自信がないため、いつまでも夢に留まろうとしてしまうのだ。それが彼が心の底から望んでいることだから。
しかし彼の表層意識はそれではダメだという事も知っている。彼には夢から覚めなければいけない理由もある。それはとても大事な事で、彼には妻と同じぐらい大切な可愛い子ども達が外の世界でパパの帰りを待っているのだ。夢がどれだけマトリョーシカの如く入れ子の構造になっていても、子ども達は夢の外に存在している。だからこそコブはどうしても夢から目覚めなくてはならないのである。
妻と子ども達、二つの愛する者に内と外両方から引っ張られ、コブの心は散り散りに裂けてしまっている。だからコブの自我は弱っていて、他のペルソナがどんなに立派な働きをしようとも失敗を宣言してミッションを放棄しようとしてしまうのだ。
彼にとっては夢の底に降りていって真実と向き合うよりも、迷宮の中でさまよい続ける方がずっと楽だからだ。
でも、いつまでもそうしてはいられない。
そこでアリアドネが登場する。
映画の登場人物としては、彼の若い頃によく似ていて彼より優秀な女学生として。
或いはそういうペルソナをコブ(本体)が必要に応じて作り出したものとして。
コブの片方の手をとらえて放さないのが妻=女であるなら、もう片方の手をとって夢の外へと導くのもやはり女の姿でなくてはならないのだろう。それは別に古女房より若い愛人の方が魅力的ということではなく(キャストを見たら分かるけれど、マリオン・コティヤールとエレン・ペイジだったら女の魅力はマリオンの方が数段上である)、女の論理に対抗できるのは女しかないという、そういうバランスの問題だ。今まで優秀なペルソナが何人かかっても、男の姿ではコブ(エゴ)を説得できなかったのだから、女の形をとるしかなかったともいえる。
アリアドネは女であることによって、モル(コブの妻)の女の魅力が通じない存在となってもいるのである。ペルソナだろうが現実の存在だろうが、男は胸の大きな美女を見たら一瞬動きが止まるものだが、アリアドネはその反応とは無縁でいられる。彼女は女性に対しての性衝動からは切り離された存在となっているのだ。
だから冷静に、コブにどうすべきかを伝える事ができる。
ペルソナであれ何であれ、アリアドネの役割は絶対的な理性である。今置かれている状況を把握し、そこから脱出する方法を綿密に計算できる論理性、それが彼女のちからなのだ。
論理こそが精神の迷宮から脱出するためのただ一本の糸。
これがなければ人はただ夢の中で迷い続けるだけ。選んでそれをする人もいるけれど、でもコブは最終的にアリアドネの糸をたぐる方を選択した。
そちらの方が「快」であると本来コブは知っていたのである。
ただそれをする決心がつかなかったため、いつでも失敗する方を選んでいた。
アリアドネが彼の人生or夢に現れなければいつまでもそのままだっただろう。
アリアドネがコブに示した道は決して楽なものではなかった。それを乗り越える事はコブにとって死にも等しい苦しみだったはず。
コブは本当にそれを乗り越えることができたのか?
映画では真実は最後まで分からない。
でも私は彼がアリアドネの助けを得てやり遂げたのだと信じたい。
そうでなければ、夢から覚める意味なんてないだろう?
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*画像の下からネタバレあります。
アリアドネを演じたエレン・ペイジ。
聡明さと無謀さを同時に備えた「変わった子」がハマリ役。
アリアドネはギリシア神話に出てくる王の娘の名前。ミノタウロスの迷宮に入るテセウスに糸玉を渡し、入り口に端を結びつけておけばその糸を辿る事で帰り道が分かると教えた(詳細はこちら )。
「アリアドネの糸」とは難問を解決する鍵をさす(こちら )。
「インセプション」の中ではまさにアリアドネが全ての問題を解決するための策を主人公のコブに授けていた。
「インセプション」は夢の中を現実の世界のように登場人物達が動き回る映画である。彼らは特殊な装置によって夢を共有していて、その主体となっている夢を見ている人物が目覚めると夢の世界は壊れてしまうが、しかしその夢の中で夢と知りつつ活動している彼ら自身の夢も少しずつ世界の中に混じり込んでいる。そのため夢は基本設計から微妙に狂い始め隅の方で迷宮を形成しだしたりするのだが、その迷宮から脱出する方法をアリアドネがコブに教えるのである。
観客はコブの視点でものを見て、これが壮大な一種の産業スパイ計画であるかのように思わされているのだが、映画を見るにつれて別の見方もできることに気づくようになる。
これは、コブが一人で見ている、長い長い悪夢なのではあるまいかと。
コブは、恐らくコブという人間の本体、いわば自我である。
自我はそれが夢だとは気づかないまま、自分の壊れた心の中をさまよって、何とか出口を見つけようとしている。
コブ(自我)だけでは難しいのでコブ(本体)が潜在意識の中に抱えるペルソナ達がそれぞれ別人格を持って登場し、自分達の役割を淡々とこなしていく。コブ自身が有能であるから、それぞれのペルソナも全て有能で、与えられたミッションを不測の事態を乗り越えつつこなしていくのだが、最後の最後にコブ(自我)が何故かミッションを最後まで遂行することを拒んでしまう。
「(計画は)失敗だ」
と言って、最後までやりぬくのをあきらめてしまうのだ。
彼には夢に留まりたい理由がある。
最愛の妻がそこにいるから。
彼にとって夢から覚めることは妻を忘れることに他ならず、彼自身がそれに耐える自信がないため、いつまでも夢に留まろうとしてしまうのだ。それが彼が心の底から望んでいることだから。
しかし彼の表層意識はそれではダメだという事も知っている。彼には夢から覚めなければいけない理由もある。それはとても大事な事で、彼には妻と同じぐらい大切な可愛い子ども達が外の世界でパパの帰りを待っているのだ。夢がどれだけマトリョーシカの如く入れ子の構造になっていても、子ども達は夢の外に存在している。だからこそコブはどうしても夢から目覚めなくてはならないのである。
妻と子ども達、二つの愛する者に内と外両方から引っ張られ、コブの心は散り散りに裂けてしまっている。だからコブの自我は弱っていて、他のペルソナがどんなに立派な働きをしようとも失敗を宣言してミッションを放棄しようとしてしまうのだ。
彼にとっては夢の底に降りていって真実と向き合うよりも、迷宮の中でさまよい続ける方がずっと楽だからだ。
でも、いつまでもそうしてはいられない。
そこでアリアドネが登場する。
映画の登場人物としては、彼の若い頃によく似ていて彼より優秀な女学生として。
或いはそういうペルソナをコブ(本体)が必要に応じて作り出したものとして。
コブの片方の手をとらえて放さないのが妻=女であるなら、もう片方の手をとって夢の外へと導くのもやはり女の姿でなくてはならないのだろう。それは別に古女房より若い愛人の方が魅力的ということではなく(キャストを見たら分かるけれど、マリオン・コティヤールとエレン・ペイジだったら女の魅力はマリオンの方が数段上である)、女の論理に対抗できるのは女しかないという、そういうバランスの問題だ。今まで優秀なペルソナが何人かかっても、男の姿ではコブ(エゴ)を説得できなかったのだから、女の形をとるしかなかったともいえる。
アリアドネは女であることによって、モル(コブの妻)の女の魅力が通じない存在となってもいるのである。ペルソナだろうが現実の存在だろうが、男は胸の大きな美女を見たら一瞬動きが止まるものだが、アリアドネはその反応とは無縁でいられる。彼女は女性に対しての性衝動からは切り離された存在となっているのだ。
だから冷静に、コブにどうすべきかを伝える事ができる。
ペルソナであれ何であれ、アリアドネの役割は絶対的な理性である。今置かれている状況を把握し、そこから脱出する方法を綿密に計算できる論理性、それが彼女のちからなのだ。
論理こそが精神の迷宮から脱出するためのただ一本の糸。
これがなければ人はただ夢の中で迷い続けるだけ。選んでそれをする人もいるけれど、でもコブは最終的にアリアドネの糸をたぐる方を選択した。
そちらの方が「快」であると本来コブは知っていたのである。
ただそれをする決心がつかなかったため、いつでも失敗する方を選んでいた。
アリアドネが彼の人生or夢に現れなければいつまでもそのままだっただろう。
アリアドネがコブに示した道は決して楽なものではなかった。それを乗り越える事はコブにとって死にも等しい苦しみだったはず。
コブは本当にそれを乗り越えることができたのか?
映画では真実は最後まで分からない。
でも私は彼がアリアドネの助けを得てやり遂げたのだと信じたい。
そうでなければ、夢から覚める意味なんてないだろう?
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