産経新聞より(以下一部抜粋)

 土佐藩の坂本龍馬が若き日に江戸で剣術を学んだ「北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)」。NHK大河ドラマ「龍馬伝」の影響で、道場に問い合わせが殺 到している。現代剣道にも受け継がれる流派が再び脚光を浴びているが、そこに求めるものは技の鍛錬ではなく、心の鍛錬。真夏に汗を流し、体とともに心も養 うことの大切さがうかがえる。(日出間和貴)

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 ≪武士のような猛者も≫

 江戸三大道場の一つとして、武士に交じって町人や商人らが研鑽(けんさん)を重ねた玄武館。創始者は、奥州陸前の気仙(けせん)村(現岩手県陸前高田市)生まれの剣豪、千葉周作。因習にとらわれない先駆的な精神の持ち主で、剣術の普及に貢献した。

 江戸の剣術に詳しい作家、牧秀彦さんの『剣豪全史』(光文社新書)によると、幕末までに800前後の流派が成立し、武芸の指南はバブル期を迎えていたという。「江戸時代の武士にとって剣術は表芸、つまり必修科目」として学問同様に奨励された。

 現在、玄武館の本部は東京都杉並区の閑静な住宅街にある。終戦後に建てられた道場だが、江戸にタイムスリップしたような不思議な感覚をおぼえる。入門者は10代から70代までの男女。中には「武士のDNA」を受け継ぐような“猛者”もいる。

 また、師弟の精神的な関係は今も息づく。道場のしきたりは緩やかだが、弟子入りには手続きが必要だ。段位もあり、道場の壁に札がかけられている。その頂点に千葉周作の名がある。

 ≪どんな状況でも≫

 入門者には高校生や看護師、テレビ局勤務といった人もいる。争いのない世に剣術を学ぶ理由は何か。確かに入門者の中には龍馬ファンが多い。司馬遼太郎の 『竜馬がゆく』を愛読し、7年前から通う会社員の石川琢海(たくみ)さん(32)は「剣術を通して鍛錬しているのは技ではなく心。継続は力なりで、逆境の ときも心に余裕が持てるようになった」と話す。

 道場に通う彼らは幕末の剣豪たちに思いをはせながら、ひたすら心の鍛錬を重ねる。相手の動きにどう応じるか。ここでは竹刀で打つことは真剣で切ることと同義である。剣術を通して、理性や忍耐力、判断力がついたという人もいる。

 「龍馬伝」で主役を務める福山雅治さんに剣術の指導を行った6代目館長、小西真円(しんえん)一之(かずゆき)さん(46)は、「活人剣(かつじんけ ん)」の理念を引き合いに、「乱世のころは殺法としての剣術だが、平和な時代においては剣を通じて人をどう生かすかに主眼が置かれる。それは、家族を守る ためであったり、他人をいたわる気持ちであったり」と指摘。そのうえで、「形(かた)はあくまで入り口であり、どんな状況にも対応できる柔軟な心を養うこ とが大切」と強調する。

 ■坂本龍馬と剣術

 土佐を脱藩し全国各地を奔走した龍馬は剣術修行のため、江戸の地を踏んでいる。坂本龍馬記念館(高知市)によると、ペリーが来航した嘉永6(1853) 年、「北辰一刀流千葉定吉(さだきち)道場」に入門したという。定吉とは周作の弟。兄の道場は神田お玉ケ池(現東京都千代田区)に、弟は桶町(おけまち) (現東京都中央区)に居を構えた。龍馬の剣の腕前については記録が少ないが、定吉道場で「北辰一刀流長刀兵法目録」を伝授。長刀とは「なぎなた」と解釈さ れている。