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 10月25日の「SMAP×SMAP」に、デイビー・ジョーンズが出演。

「このわしが出演だと?」
Who killed Cock Robin?
いえ、違います。

といわれても、名前だけではさっぱりわからないという人はもちろんのこと、顔を見ても誰だかわからないという人も少なくないに違いない。しかし実は、日本人の多くの人が知っているような、大ヒット曲の持ち主でもある。今年7月、11年ぶりに来日公演を行った彼に、話を聞く機会を得た。


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テレビからヒットしたスターグループ「モンキーズ」とは

 デイビー・ジョーンズとは誰なのか。

 彼は、60年代に活躍したアメリカンポップスグループ、「ザ・モンキーズ」のボーカルだ。モンキーズも知らない、という場合でも「デイドリーム・ビリーバー」という曲名には、聞き覚えがあるのではないかと思う。それは、故・忌野清志郎に“そっくり“と言われるZERRY率いるTHE TIMERSが“ずっとゆめ~~をみぃてぇ~♪”とカバーしていたあの「デイドリーム・ビリーバー」の原曲であり、この春にもキリン「ゼロ<生>」のCMソングに採用されていたからだ。

 モンキーズ自体が活躍したのは先述の通り60年代で、イギリス出身のザ・ビートルズが世界的な成功を収めたことから、アメリカからもスターグループを輩出しようという動きがあり、オーディションで集められた若者約400人の中からデイビー・ジョーンズ、マイク・ネスミス、ピーター・トーク、ミッキー・ドレンツが選出され、モンキーズが結成された。

 彼らは67年10月に発売されたデビューアルバム『恋の終列車』から4枚目のアルバムまですべてが全米No.1となり、わずか2年で累計セールス1600万枚にも達するという大ヒットを生んだのだが、そのヒットの理由は1966年9月12日にスタートしたアメリカNBC系列で『ザ・モンキーズ・ショー』。まさにテレビが生んだ、スターグループだった。

 日本にも1968年10月に来日し、日本武道館ほかで公演を行っているのだが、その後ほどなくして『ザ・モンキーズ・ショー』は放送終了。70年には解散している。しかし、日本でのモンキーズ人気は、実はこれで終わりではない。

 80年に、コダックのTV-CMに「デイドリーム・ビリーバー」が採用され『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送され、リバイバルブームが起きたのだ。このときは日本だけのリバイバルだったが、86年にはMTVで『ザ・モンキーズ・ショー』が再放送され、世界的にもモンキーズ・ブームが再来している。いずれにしても、“テレビ”から人気に火がついているのが彼らだといえる。それだけ、今よりもテレビの影響力が強かった時代に、テレビ番組向けに作られたグループだったからということもあるだろう。もちろん、歌そのものもよかったから、売れたというところもあるわけだが。

 年末に65歳になるデイビーは、彼自身のこれまでの経歴を、どうとらえているのだろうか。

“「デイドリーム・ビリーバー」の人”と言われてかまわない

──日本では今年もCMソングに起用されたりしたこともあって、デイビー・ジョーンズさんというと、“「デイドリーム・ビリーバー」の人”と説明されていると思うのですがそれはどう感じますか。

デイビー・ジョーンズ(以下ジョーンズ):アーティスト、歌手として、決定的な代表曲を持てたことは、本当に幸運だね。フランク・シナトラの「ニューヨーク・ニューヨーク」(日本では「マイ・ウェイ」が有名)とか、トニー・ベネットの「霧のサンフランシスコ」とか…代表曲があるアーティストは、その曲とともに、世代を超えて覚えていられるものだ。

 僕にとってはそれがモンキーズとしての「デイドリーム・ビリーバー」だ。だからとても大切な曲だと思っている。

 僕の声はとても個性的だけど、それにぴったりと寄り添うような代表曲が生まれたこと自体、素晴らしいことだよ。そしてそれをモンキーズ時代から数えて45年もの間、長生きさせてくれたファンやレコード会社の皆さんに感謝したい気持ちでいっぱいだ。

 昨日も東京の街を歩いていたら、どこかから「デイドリーム・ビリーバー」が流れてきた。日本の、東京という街で、曲が生まれてから45年もの月日が流れているにもかかわらず…鳥肌が立ったくらいだ。

 だから、あの曲のあの人、と言われることに関して言えば、たとえばミュージカル俳優として役を演じているときにはあのイメージは捨ててくれ…と思ったこともあるが、お客さんもそれはわかっているからね。芝居ではその芝居の役柄で見てくれるし、特に困ったということはない。

──モンキーズとしてデビューする以前から、俳優業も行っていたと思いますが、ミュージシャンとして活動するようになってから、どちらかに専念したいと考えたことは?

ジョーンズ:俳優業を行っていると言っても、テレビドラマに関して言えば、60年代の『ザ・モンキーズ・ショー』以外はさほど行っていない。その撮影が終わってからはきつい撮影は経験していないんだ。それ以降はミュージカル、舞台に出演しているが、そのあたりはミュージカルだから、歌も演技もある。

 アメリカでは今でもコンサートを多く行っているんだが、もともと、ステージとしては物語性が強いほうでね。トークも多いし、お決まりの“自分の身長ネタ”とか、笑わせながら、歌も聞かせるというエンタテインメント性の高い内容になっているんだ。つまり、俳優業も歌手業も切っても切れないものになっている。

 ただ、日本で公演を行うというような場合は、トークを長くするわけにもいかない。だから、歌手業をメインにしているけれどね。

──11年ぶりの来日ということでしたね。

ジョーンズ:新しいお客さんが来てくれることが、また楽しみだったんだ。モンキーズとして新たなコンピレーションアルバム『ザ・デフィニティヴ・モンキーズ』がリリースされたんだけど、これがきっかけでモンキーズを知る人もいると思うからね。

70歳になったら70歳の役がオファーされるような俳優になっていたい

──今後、挑戦してみたいことは?

ジョーンズ:僕は身長も高くないし、声も低くない。そういうこともあっていつまでも“少年の魅力を持ったスター“というとらえられ方をしてしまう。本音を言えば、本格俳優として、真剣に役に取り組んでみたいという願いはある。つまり“モンキーズのデイビー・ジョーンズ”だから来る役ではなく、“この年齢の俳優”に対してオファーがある役、芝居に出てみたいという欲はあるんだ。

 チャールズ・ディケンズの原作小説でミュージカルとして有名な『オリバー』があるだろう。子供の頃、子役として出たことがあったんだが、20年前に、同じミュージカルに、今度は70代の老人役で出る機会があった。それに挑戦している自分がうれしかったし満足のいく舞台だったし、高い評価を受けることもできた。

 ただ、そういう役は、残念ながら待っていても来ることはないんだ。それは仕方ない。モンキーズの新しいベスト盤が出るとしても、今の僕らの写真が使われるわけではなく、あの頃の自分たちの写真と音楽がパッケージされて、皆が思い出の中のモンキーズに浸りたいということで需要があることも分かっているんだ。

 分かった上で、70歳になったら70歳の役がオファーされるような、俳優になっていられたらいいなと思っている。そしてその方向に向かって一歩を踏み出せるのは、挑戦できるのは自分だけ。挑戦していく気持ちはちゃんとあるよ。

──最後に、あなたの人生に一番大きな影響を与えたミュージシャンは?

ジョーンズ:たぶん……ジョン・レノンだね。

 もちろん、好きなアーティストならチャールズ・アストン、ディーン・マーティン、いろいろ挙げられるけれど、ソングライターとして、アーティストとして共感できるのは、ジョン・レノンだよ。



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