「インシテミル 7日間のデス・ゲーム公式サイト

主演が藤原竜也君で監督が「リング」の中田秀夫さんということで見に行ったんですけれども。

本編上映前に「バトルロワイアル3D」の予告編があって(予告は2D)、今よりほぼ10年分若い藤原君の姿をまずそこで見ちゃったんですが。

この10年で藤原君は「日本一いたぶられる(精神的肉体的双方で)のが似合う美男役者」に成長したんだな~と実感したりして。

臆病で弱っちくてビビリで、それでも最後まで人間性を保ちつつ生き延びるという役柄が似合うのは10年前から変わってないんだな~とも思いましたが。それを全部逆方向のベクトルに変えるとできあがるのが「デスノート」のキラですが、あれはあんまり似合ってなかったような(私見です。ファンの方には許されたし)。

で、この映画で見るべきところといえば、その藤原君と、並んで立つと彼と面差しがよく似ているのにびっくりの北大路欣也 さんお二人の芝居ぐらいしかなかったというか。

というのも、設定があまりにマンガで。
コミックやアニメーションで見るなら許容範囲かもしれないけれど、実写作品で見るのはキツイわ~としかいいようのないあり得ない設定で。

いいんですよ、あり得ない設定でも、所詮映画はフィクションなんだから、それで納得させてくれるだけのドラマ性があれば。

でも、ないんだもん。

舞台設定もさることながらキャラ設定がちょっと、あまりにも、マンガの登場人物的すぎて、全く現実味がないのには辟易しました。そのまま名前を変えて同じ役で他のマンガに出ても違和感ないわ、ってぐらいに脇役キャラ設定のパターン通りなんだもんね。

キャラがそんなだから当然セリフもお定まり、リアクションも決まった通りのものしか返ってこないので、意外性というものが何もないのね、この映画。

しかしまあ、百歩譲って、それは映画の込み入った(と制作サイドは思っている)ストーリーを分かりやすく観客に示すための演出だ、という事にしてもいいです。意外性を感じられないのは私自身がミステリ小説のファンであり、ハリウッドのホラー映画のファンであるせいだからだとしてもいいんです。

でもさ、なんでこの時代、この期に及んで、自分の正体を明かした途端に殺人鬼がへらへら笑い出すわけ?

それ納得いかないわ~。

それまで仲間として振る舞っていた人物が、自分の正体が好んで人を殺す殺人鬼とバレた途端に笑い出す。

日本のドラマでは普遍ともいうべきパターンですが、なんで? なんでそこで笑うの?

成り行きとして笑うべき理由があるならともかく、何の脈絡もなく
「そうだ、犯人は俺だよ、ひゃ~っはっはっ♪」
とか笑い出されたら見てるこっちの方が困ってしまうわ。

これがですねえ、銃を遠くから突きつけて逃げに入りながら
「そうだ、俺が殺したんだ、恐れ入ったか、わははのは」
だったらまだわかりますよ、状況として。

だけどさ、犯人だと知られた相手の命を奪うべく命がけで格闘してる時に
「俺が殺人犯なんだよ、ひゃ~っはっはっ♪」
とは笑わんでしょう、普通。相手も命がけで抵抗してるんだから笑ったりしたら気が抜けて形成が逆転するっつーの。

しかもその場で別の場所で犯した犯罪までべらべら告白したりしてさ。
「○○○で起きた通り魔殺人の犯人も俺なんだよ。ひゃ~っはっはっ、殺すのは楽しいなあ~~っと♪」
なんて、肉弾戦で必死で相手殺すべく戦ってる最中に言わないって。

あの、別に、殺人犯に笑うなとは申しません。
殺人嗜好症というか殺人淫楽症の人ならば、それは殺すのが楽しくて笑えてきちゃうのは無理もないと思うんですよ。それが「淫する」ということでしょうしね。

しかしそれは自分自身の秘めたる極上の愉しみとして笑みを漏らすのであって、笑うとしたら恐らく確実に殺す相手の抵抗を排除して、純粋に「殺す」という作業に熱中している時でしょうね。そういう人は事を成し遂げた時に会心の笑みを漏らしこそすれ、高笑いはしないと思うんだけど。だって殺人現場で高笑いしてたら目立つじゃないさ。

「ひゃ~っはっはっ♪」という高笑いは、自分が相手より完全に優位にたった時にあげるものでしょ。殺そうと思っている相手の自由を奪ってない内から高笑いしてたら、相手を警戒させるだけだし、笑ってるスキに反撃されることだってあると思うのよね。

まあ「インシテミル」の場合は環境が特殊だから安心して、そのあまり高笑いに走ったのかもしれないけれど、でもどう考えても「殺人鬼=正体を明かしたらまず笑う」という日本古来の図式にのっとっただけとしか思えないのですわ。

それって、もう、古いのよね。
古い上に、現実とも合ってない。

昨今の日本、悲しい事に無差別の通り魔殺人事件には事欠かないのだけれど、その犯人達、誰も笑っていなかったわよ? 

そりゃ警察に取り押さえられてる最中に笑うはずもないけれど、事件を起こしている間に彼らが笑っていたという話も聞きません。

彼らは彼らなりの動機に基づいて(余人には計り知れない理由ではあっても)、真剣に犯行を行った。それは命がけの行為だから、笑う余裕なんてどこにもない。

大体笑うと副交感神経が活発になるから、「狩り」のために必要な交感神経が鈍るじゃないのさ。ってゆーか、交感神経がフル活動しているに違いない殺し合いの状況で笑える方がどうかしてる。

それなのに何故、日本の殺人鬼は自分の正体がバレて開き直った途端に「ひゃ~っはっはっ♪」と笑い出すのでしょう? 古い昔のドラマで緊張感に耐えられなくて気が触れてしまった人がいきなり笑い出すのがパターンだったように。

そう、大昔の日本のドラマやマンガでは、脈絡もなく突然笑い始めるのは気が触れた証拠でした。何かを執拗に責め立てられていた人が「あはっ。あははは」と笑い出す、あれ。最近あんまり見ないかな?(なにしろ「狂」の字、放送界では禁句だから)

どうも日本の殺人鬼が唐突に笑い出すのって、そのノリに近いものがあるみたい。かつては「殺人狂」という言葉があったぐらいだし(今でもあるけど滅多に使えないのね、特にマスコミでは)。

日本人にとっては好んで殺人を犯すような人間は、自分たちと同じ「まとも」なレベルにいてはいけないものなんでしょう。だから正体がバレた途端に殺人鬼は脈絡もなく笑いだし、自分が「まとも」ではないということをアピールしなければいけないわけ、ドラマ上。

でもさ。
私たちはもう見てしまったのよね。

本物の殺人犯は笑わないということを。

そして知ってしまった。
逃げ惑う相手を様々な凶器で追い詰める時、彼らがこの上なく真剣であることを。
決して笑いなど入る余地のない、いかにも日本人らしい生真面目とも言うべき仕事ぶりが、犯行にも遺憾なく発揮されていることを。

彼ら――殺人犯達も自分たちと同じ普通の人間だったのだということを。

現実の方がとうにフィクションを凌駕してしまっているのに、映画やドラマの作り手はまだそのことに気がついていないのでしょうか。或いは気づいているけどどうしようもないのかもしれないけれど。

遠くから相手を狙える銃ならまた話は違うかもしれないけれど、それだって狙い付けてる最中に笑ってたら完璧に的はずれると思うけどな。笑いながらできるとしたら近距離のマシンガン乱射ぐらいしかないのではないでしょうか。

中田監督の演出なのに、何かこう、遊園地のお粗末なビックリハウスの仕掛けを見に行っただけみたいな不満の残る作品でした。

それでも藤原君のガンバリと北大路さんの渋さだけは光ってたから、ま、いいか。