オリコンより(以下一部抜粋)
11月17日は世界的に有名な芸術家イサム・ノグチの誕生日(1904-1988年)。「イサムさんが生きていらしたら、106歳ですね」と感慨深げに語 るのは、松井久子監督。2003年3月、香川県高松市・牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館を訪ねた松井監督は、たまたまギフトショップで購入した『イサ ム・ノグチ 宿命の越境者』(ドウス昌代・著)を読んで、イサムの母レオニー・ギルモアの存在を知った。「この人を映画にしたい」と直感し、7年越しで完 成させた『レオニー』が、20日より全国公開される。
映画『レオニー』のワンシーン
ちなみにイサムの父は日本人の詩人、野口米次郎。米ロサンゼルスで生まれたイサムは3歳の時に母と日本にやって来て、幼少期を過ごした。その後、13歳 で単身渡米し、彫刻家を志すことになる。第2次世界大戦を経て、舞台美術、環境彫刻、商業デザインなど幅広く活動。和紙を使った「あかり」のデザインや、 札幌・モエレ沼公園の設計などでも知られる。
松井監督にとって同作は、『ユキエ』(1998年)、『折り梅』(2002年)に次ぐ3作目。完成までの道のりは困難を極め、とりわけ資金調達に苦労し た。支えになったのは、松井監督の3作目を待ち望むファンの人たち。『松井久子監督の第三作を応援する会 マイレオニー』が2005年に結成され、PRイ ベント等を開いて製作資金の賛助金募集を呼びかけた。撮影が始まってからは、エキストラとしての出演、ロケ地での炊き出しなども行った。この『応援する 会』は当初5人から始まったそうだが、その輪は全国3000人以上に広がったという。
資金集めに奔走する一方で、日米合作という形にもこだわり、アメリカのライターと共同作業で作り上げたシナリオは14稿を数えた。「3人目で出会ったデ ビッド・ウィナーさんのセンスがすごく良くて、シナリオの評判がとてもよかったんです。ハリウッドでは出演者はもちろん、スタッフもシナリオだけで参加を 決める。シナリオが良くて、ちゃんとビジョンが伝われば、私が女性監督だからとか、何歳だからとか、そういったことは関係なく映画作りができる」。
松井監督の熱意とシナリオの相乗効果で、共同製作者にハリウッドで活躍するインド人のプロデューサー、アショク・アムリトラジ氏、撮影監督にフランス・ セザール賞の永田鉄男氏、音楽はアカデミー賞に輝く作曲家ヤン・A.P.カチュマレクが手がけるなど、一流どころが集結。日米合わせて約400人のスタッ フが同作に携わった。
「私一人はたいしたことなくても、いろいろな優れた才能がうまく噛み合ってできた作品は魅力的。不平不満ばかり言ってないで、潔く困難にも向き合って自 分らしく生きていけば、ちゃんとついてくるものはついてくる、それが人生なのよ。レオニーさんの人生もそうだったと思うし、私の映画作りそのものがそうで しょう」
同作には、イサムが母へのプレゼントとして設計した家の2階の丸窓で切り取られた富士山や桜など、日本らしい風景が印象に残る。
「この映画が日米合作なのは、世界の人たちに観てもらいたいという思いがあったから。一人のアメリカ人女性の波乱万丈な人生の物語ではありますが、映画 ならではの表現で伝えたい思いがありました。それは、日本の美しさ。美術的なことだったり、光と影が織りなす風景だったり、100年前の衣装や小物だった り、いろいろなものをモザイクのように埋め込みました。だから、申し訳ないけど3回くらい観てほしいのね。1回目はストーリーを追うだけで精一杯だと思う から(笑)」。
ひとつだけネタばらしをすると、レオニーと米次郎が満開の桜並木を歩くクライマックスのシーンは、実はCG合成なのだそうだ。まだ、資金のメドが立た ず、いつ映画化できるかどうかわからなかった3年前、桜の開花時期にあらかじめ撮影しておいた映像を使った。「桜は日本の誇り。一番、大事なシーンで最高 に美しい桜を見せたいと、シナリオの段階からずっと思い描いていた。千代田区役所に直談判して、拝み倒して撮影の許可を取ったんだけど、その1週間前に満 開になってしまったの。どうしようと思っていたら、3日間ほどみぞれが降る寒波にみまわれ、桜が満開のまま凍ちゃったの。撮影の当日は晴れて、凍った桜も 溶けて、チラチラと散り出してくれて…。その時、芸術家のイサムさんのおかげだと思いました。神が宿る時は宿るんですね」と松井監督。まさに神がかりのよ うな美しさの桜のシーンは、映画館のスクリーンで確かめてほしい。
11月17日は世界的に有名な芸術家イサム・ノグチの誕生日(1904-1988年)。「イサムさんが生きていらしたら、106歳ですね」と感慨深げに語 るのは、松井久子監督。2003年3月、香川県高松市・牟礼にあるイサムノグチ庭園美術館を訪ねた松井監督は、たまたまギフトショップで購入した『イサ ム・ノグチ 宿命の越境者』(ドウス昌代・著)を読んで、イサムの母レオニー・ギルモアの存在を知った。「この人を映画にしたい」と直感し、7年越しで完 成させた『レオニー』が、20日より全国公開される。
映画『レオニー』のワンシーン
ちなみにイサムの父は日本人の詩人、野口米次郎。米ロサンゼルスで生まれたイサムは3歳の時に母と日本にやって来て、幼少期を過ごした。その後、13歳 で単身渡米し、彫刻家を志すことになる。第2次世界大戦を経て、舞台美術、環境彫刻、商業デザインなど幅広く活動。和紙を使った「あかり」のデザインや、 札幌・モエレ沼公園の設計などでも知られる。
松井監督にとって同作は、『ユキエ』(1998年)、『折り梅』(2002年)に次ぐ3作目。完成までの道のりは困難を極め、とりわけ資金調達に苦労し た。支えになったのは、松井監督の3作目を待ち望むファンの人たち。『松井久子監督の第三作を応援する会 マイレオニー』が2005年に結成され、PRイ ベント等を開いて製作資金の賛助金募集を呼びかけた。撮影が始まってからは、エキストラとしての出演、ロケ地での炊き出しなども行った。この『応援する 会』は当初5人から始まったそうだが、その輪は全国3000人以上に広がったという。
資金集めに奔走する一方で、日米合作という形にもこだわり、アメリカのライターと共同作業で作り上げたシナリオは14稿を数えた。「3人目で出会ったデ ビッド・ウィナーさんのセンスがすごく良くて、シナリオの評判がとてもよかったんです。ハリウッドでは出演者はもちろん、スタッフもシナリオだけで参加を 決める。シナリオが良くて、ちゃんとビジョンが伝われば、私が女性監督だからとか、何歳だからとか、そういったことは関係なく映画作りができる」。
松井監督の熱意とシナリオの相乗効果で、共同製作者にハリウッドで活躍するインド人のプロデューサー、アショク・アムリトラジ氏、撮影監督にフランス・ セザール賞の永田鉄男氏、音楽はアカデミー賞に輝く作曲家ヤン・A.P.カチュマレクが手がけるなど、一流どころが集結。日米合わせて約400人のスタッ フが同作に携わった。
「私一人はたいしたことなくても、いろいろな優れた才能がうまく噛み合ってできた作品は魅力的。不平不満ばかり言ってないで、潔く困難にも向き合って自 分らしく生きていけば、ちゃんとついてくるものはついてくる、それが人生なのよ。レオニーさんの人生もそうだったと思うし、私の映画作りそのものがそうで しょう」
同作には、イサムが母へのプレゼントとして設計した家の2階の丸窓で切り取られた富士山や桜など、日本らしい風景が印象に残る。
「この映画が日米合作なのは、世界の人たちに観てもらいたいという思いがあったから。一人のアメリカ人女性の波乱万丈な人生の物語ではありますが、映画 ならではの表現で伝えたい思いがありました。それは、日本の美しさ。美術的なことだったり、光と影が織りなす風景だったり、100年前の衣装や小物だった り、いろいろなものをモザイクのように埋め込みました。だから、申し訳ないけど3回くらい観てほしいのね。1回目はストーリーを追うだけで精一杯だと思う から(笑)」。
ひとつだけネタばらしをすると、レオニーと米次郎が満開の桜並木を歩くクライマックスのシーンは、実はCG合成なのだそうだ。まだ、資金のメドが立た ず、いつ映画化できるかどうかわからなかった3年前、桜の開花時期にあらかじめ撮影しておいた映像を使った。「桜は日本の誇り。一番、大事なシーンで最高 に美しい桜を見せたいと、シナリオの段階からずっと思い描いていた。千代田区役所に直談判して、拝み倒して撮影の許可を取ったんだけど、その1週間前に満 開になってしまったの。どうしようと思っていたら、3日間ほどみぞれが降る寒波にみまわれ、桜が満開のまま凍ちゃったの。撮影の当日は晴れて、凍った桜も 溶けて、チラチラと散り出してくれて…。その時、芸術家のイサムさんのおかげだと思いました。神が宿る時は宿るんですね」と松井監督。まさに神がかりのよ うな美しさの桜のシーンは、映画館のスクリーンで確かめてほしい。