毎日新聞 より(以下一部抜粋)

> 最近、「児童養護施設の篤志家」としてニュースをにぎわせた懐かしのヒーローたち。伝えられた記事の中に、「仮面ライダー」の名を見つけた。今年が誕生から40周年と聞き、現在も活躍を続ける本物のライダーたちに会いに行ってみた。【井田純】

 ◇初代変身ベルト、売り上げ380万個

 「仮面を最初に見た時? いやあ、これを僕が実際にかぶってやるんだと思って、どこから見るんだろう、これでアクションなんてできるのかと」。仮面ライダー1号こと本郷猛に扮(ふん)した藤岡弘、さん(64)。重厚なのに快活に響く声は、テレビで怪人と戦っていた当時と変わらない。

 放送開始は1971年4月3日。原作、石ノ森(当時は石森)章太郎。世界征服をたくらむ悪の秘密結社・ショッカーと戦う仮面ライダーは、バッタの能力を持つ改造人間。「ライダー」の名の通りオートバイを駆るスピード感、ライダーキックに代表されるアクションに加え、敵役の怪人のおどろおどろしさも相まって子供の人気を集め、やがて視聴率30%を超えるお化け番組に。しかし、スタート当初はすべてが手探りだった。

 「撮影所と言っても、雨が降るとトタン屋根の音で録音もできなかった。機材も十分でなかったし、現場は常に追いまくられていた」。その「東映生田スタジオ」があったのは川崎市北部の、住宅地に近い山の中。跡地は駐車場に姿を変え、往時をしのばせるものは見当たらないが、今も熱心なファンの「聖地巡礼」が絶えない。近くの商店主が「この間は山口県から見えましたよ」と話してくれた。

 藤岡さんが言う。「斜陽を迎えた映画界から撮影、照明、音声などの職人が集まり、どんな厳しい状況にも愚痴ひとつ言わなかった。悪役を務めた古参の方々も、子供番組だからと手を抜くようなことは決してなく、未熟な新人だった私にも真剣に接してくれた。子供たちにもその必死さが画面から伝わったんでしょう」

 ライバル番組が次々に登場したことなどで80年代末に一度途絶えた仮面ライダーシリーズだが、2000年に復活。東映宣伝部は「かつてのファンが父親になり、親子で今の番組を見ている方も多い。その中間にオタクといわれるファン層があり、ほぼ3世代にまたがっている」と説明する。ライダー役がいわゆるイケメン若手俳優の登竜門となったことで、母親たちを含む女性ファンも引きつけた。映画も年3、4本ペースで製作され、40周年の今年は、歴代ライダーが出演する記念作品が4月に公開される。

 東映で現在のライダーシリーズの陣頭指揮を執る白倉伸一郎執行役員(45)は、ライダー第1世代。「ショッカーの改造人間である仮面ライダーが、いわば親にあたるショッカーと戦うのがオリジナルの石ノ森先生の構図。底に流れるテーマを継承する義務を感じている」。宇宙から来たヒーローが大怪獣を倒す話に比べ、ライダーは「地べたに近い」世界観。「ベースが人間同士だから戦争のメタファーにもなりやすい。善が悪を倒す単純な図式にしてしまうと子供には危険、という考えを今の番組にも反映させている」と話す。

 その現行作「仮面ライダー オーズ」(テレビ朝日系列で放送中)の人気は、シリーズ復活後最高との評判を集める。玩具大手のバンダイが販売するオーズの変身ベルトは、昨年のクリスマス期に全国的品切れ状態。今も品薄が続き、50万個以上を売り上げた前作のベルトを上回るペースという。ただ、同社の記録には、初代変身ベルトの売り上げ380万個というすさまじい数字が残っている。

 同僚が「自分も持っていた」と話すのを聞き、40年たった今でさえうらやましく感じた。ほしかった--。

 ◇懐かしの「へーんっしんっ」

 もう一度、40年前。放送開始直前の3月、藤岡さんは撮影中のオートバイ事故で全身打撲の重傷を負う。左足の骨が砕けて筋肉に刺さり、復帰は絶望視された。第1回の放送で、本郷猛はベッドに固定され、ショッカーの手で改造人間にされる。その姿を、藤岡さん自身が病院のベッドから目にすることとなった。

 代役として「柔道一直線」などで人気を呼んだ若手に白羽の矢が立った。仮面ライダー2号、一文字隼人となった佐々木剛さん(63)は振り返る。「週7日ともスケジュールが埋まっていたし、子供番組から方向転換を図っていた時期で、正直言えば受けたくなかった。一番のネックは、劇団の養成所で同期だった藤岡の初主演作ということ。ケガしたところを奪うような形になるのがとてつもなくイヤでね」。どうせ視聴率も上がらず、ワンクールで終わる、と事務所に説得され、藤岡さん復帰までという条件で引き受けた。

 が、皮肉なことに新たに取り入れられた「変身」ポーズもあって人気は高まっていく。結局39回にわたって主役を務め、藤岡さんが戻ると、ダブル主演の提示を固辞、約束通り「看板」を返した。知る人ぞ知るエピソードは、今も熱烈な一文字ファンがいる由縁でもある。

 だがその約10年後、悲劇が佐々木さんを襲った。就寝中に火災が発生、やけどは顔面などに何度も移植を要する重傷だった。「ケロイドもだいぶよくなりました」と言うが痕は今も残り、口も昔のようには開かない。

 火事の後、仕事は途絶え、家庭は崩壊、家も失って、焼き芋屋や竹ざお販売などでしのぎながら、車の中で暮らす日々が続いた。「自暴自棄でした。カネが少しあると朝から酒飲んだりパチンコ行ったり」。焼き芋を売っていて「仮面ライダーやってた人でしょう」と言い当てられ、よく似てると言われます、ととぼけた日もある。

 役者仲間の支援もあって復帰、今は時代劇を中心に舞台で活動する。「今でもファンです、なんて目の前で泣かれたらね……。支えてくれるファンクラブの方は『佐々木剛を個人的に応援したい』って言ってくれるけど99・9%は仮面ライダーファンですよ」

 ライダーは心のふるさとみたいなもの、と語る佐々木さん。最後に、元祖「変身ポーズ」をねだった。当時に比べて20キロ近く太った、と笑っていたそれまでの表情が一変、「へーんっしんっ」と、両腕が寒風を裂いて弧を描いた。



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