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アカデミー賞のおかげで唐突に有名になった英国王ジョージ6世ですが、実は彼の時代って映画の「ナルニア物語」と重なっているのですよね。一作目は第二次世界大戦中で、
主役であるペベンシー兄弟姉妹がロンドンの空襲を逃れて疎開した先でナルニアと出会ったのですから。映画の2作目はロンドンに戻ってましたが、やはり同じ戦時下でした。では現在公開中の3作目はどうかというと……なんと映画の中ではまだ戦争が続いているのですよ。エドマンドもルーシーもすっかり大きくなっているというのに。

それはさておき、この3作目のナルニア、映画タイトル「アスラン王と魔法の島」の監督であるマイケル・アプテッドがその前に撮った作品が「アメイジング・グレイス」で、その時の英国王がジョージ3世だったのです。

もっとも「ナルニア」で当時の英国の王の名前を聞いたことがないのと同様、「アメイジング・グレイス」でも王様は名前すらほとんど登場しませんでしたが。「アメイジング・グレイス」は「ナルニア」と違って
アカデミーで今年の流行だった実話ベースでなんですが、それを見ているとこの時代からすでに英国の政治は首相と議会がメインだったことが分かります。あれですよ、昔習った「立憲君主制」というやつ。「君臨すれども統治せず」の議会制民主主義ですね。

そしてその議会制民主主義の制度があったからこそ、一介の議員であるウィリアム・ウィルバーフォースが奴隷制度廃止の法案を提出しては否決されるのを何度も何度も繰り返し続け、実に20年という長い歳月をかけて最終的には議会で可決されるに至るまでもっていくことができたわけです。

そのウィルバーフォースの戦い続けた20年あまりが「アメイジング・グレイス」の物語の骨格をなしているのですが、これが決して一人の努力の賜とか、或いは信頼で結ばれたグループの活躍のおかげとか、個人の尽力だけに頼った話にしてないのがいいのですね。もちろん運動を支え続けたのは奴隷制度廃止を訴えるウィルバーフォースをはじめとする人々の信念と不屈の魂には違いないのですが、そこに当時の国際情勢や英国国内の事情が複雑にからんでいる部分がしっかり描けている。それだからこそ作品が単に個人の精神面にスポットライトをあてた根性ものやお涙頂戴にならずに社会的な作品として香気を放っているのです。さらに映画を見ながら英国の歴史を、あたかもその場に居合わせたかのようにして学んだ気にさえさせてもらえる。実はこれこそが「アメイジング・グレイス」のおもしろさなのですね。

この、映画も終盤になって奴隷制度がまさに廃止に追い込まれようとしている時代は、丁度映画の「マスター・アンド・コマンダー」と重なります。彼らが外洋でフランスの
私掠船を追っかけてる頃、イギリス国内の政治はこんなだったのかと改めて分かったようで、「マス・コマ」ファンとしてはなかなか嬉しい気分も味わえました。

私掠船」という言葉、確か説明なしに「アメイジング・グレイス」にも出てきたと思いますが、これは戦争状態にある時なら敵国の船を襲って積み荷をかっぱらってもいいという許可(私掠免許 )を貰っている個人の船のことでして、襲われる側にとっては海賊以外の何物でもないわけです。だからフランスの私掠船というのはイギリス海軍にとっては憎むべき相手で見つけ次第成敗(?)する対象で、気分はもう海賊退治だったりするんですよね。ちなみに私掠船をやっつけるとその積み荷が奪えたり賞金を貰えたりしたので、海軍の船にとっては金づるとなるいい獲物だったようです(得た賞金は一定の割合で乗組員達に分配された)。

要するに、英国政府によって「敵国の
私掠船とみなされた船は、英国海軍に発見されるや否や攻撃対象になるということですね。襲えばすなわち利益ですから。「マスター&コマンダ―」ではナポレオン相手に戦ってましたから、この頃に「フランスの私掠船」とレッテル貼られた船はそれはもう徹底的に追い回されたに違いありません。船の乗組員にとっても生活がかかっていますからね。

このジョージ3世の在位中は、海の向
こうではアメリカでイギリスからの独立戦争が始まったり(1775~1783)、フランス革命が起こったり(1789)、そのあとナポレオンが頭角を現して遂には皇帝になったり、ハイチが独立宣言したりとまさに激動の時代でした。、そういった海外の情勢がイギリス国内にも様々な影響を及ぼし、議会での駆け引きが左右される様子が非常に分かりやすく描写されていて、それがまたこの作品の一つの見どころとなっています。

そういう激動の時代の中で、当時の首相のウィリアム・ピットの親友という立場にありながら、自身の栄達よりも奴隷解放という一つの人権運動に身を捧げたのがウィルバーフォースだったのですね。ヨアン・グリフィズの理想に燃える雰囲気がぴったりでした。

イギリス国内では黒人奴隷の存在は珍しく、奴隷達は主として植民地のプランテーションで働かされていました。そのプランテーションで得た利益がイギリスの経済を支えながら、しかしほとんどのイギリス人が奴隷や奴隷船を実際に見たことがないという状況だったのです。そんな世の中で奴隷船の悲惨な実態を訴えたのが「アメイジング・グレイス」を作ったジョン・ニュートン牧師です。
牧師が奴隷船の船長だった自分の罪を深く恥じ、赦しを得たいと願う姿を少年時代のウィルバーフォースが見ていたのでした。

映画の中でヨアン・グリフィズ演じるウィルバーフォースが奴隷解放を訴える時、ニ元奴隷船の船長である牧師が作ったものとして「アメイジング・グレイス」を歌います。その時の
歌詞につけられた字幕が一般的に歌われているものと違い、映画の内容にそくした具体的な言い回しになっていたのが印象的でした。是非ともスクリーンでその激しい語調をお確かめください。

ヨアンが歌ったものは
現代のゴスペルで歌われるそれとは微妙にメロディーラインが違っていましたが、映画の中で別の人によって歌われた時も同じメロディーでしたから、たぶんそれがオリジナルなのでしょう。メロディーというものも歌われる内に少しずつ形を変えていくものなのです。

現在「アメイジング・グレイス」として私達に馴染みのあるメロディーの方は、映画の最後でウェストミンスター寺院の前で軍楽隊によって演奏されているのを聞くことができる(確かバグパイプバージョン)。ウェストミンスター、「ナルニア3」では冒頭に登場してたような気がするんですが……。英国を象徴する建物なのでしょうね。

「アメイジング・グレイス」は内容がとても素晴らしく、私にとっては大変おもしろい作品だったのですが、そのおもしろさや感動のポイントを一言で語ることができないのです。一つの時代をそのまま切り取ったおもしろさというのか、個人のみに拘泥しない大局的な見方ができるのがいいんですね。

それでいて登場人物達を冷たく突き放したりはしていない。愛と尊敬の念をもって描かれているので優しく、かつ品格のある作品に仕上がっています。こういう映画はなかなか日本ではお目にかかることができません。「アメイジング・グレイス」の基本は、愛は愛でも「博愛」ですが、日本でこういう作品作ると「偏愛」になっちゃうことが多いんですよね。確かにウィルバーフォースの良い面だけを取り上げた平板で甘っちょろい作品ということもできるのですが、しかし主役のヨアン演じるウィルバーフォースはいかにも清廉で美しく、この時代ならこんな人がいたかもしれないという気にさせられてしまうのです。何も人の醜い面ばかりを強調して描くのが奥の深い作品というわけでなし、人にはこんな素晴らしいこともできるんだということを訴えた映画にも見る価値は充分あると思うのです。

この作品はそもそもは
イギリス議会 がイギリス国民による奴隷輸入の禁止を可決してから200周年を記念して2007年3月23日に公開されたものなんだそうで、それから4年もたっての日本での公開になるんですが、この美しい映画はまさに今の日本に必要とされているんじゃないかと思いました。

自分一人の利益のために上手く立ち回るのではなく、不特定多数の他人を、ひいては社会を良くするために行動することの尊さをウィルバーフォースは教えてくれるのです。

アメモニで当選した試写会で鑑賞したのですが、本当に素晴らしい作品に巡り会って幸運だったと思います。

公式サイトはこちら
映画『アメイジング・グレイス』