「マイ・バック・ページ」を見てきた。劇中、登場人物達はしきりに汗をかき、役者達は暑くてたまらないという演技をしてるのに、何故かその熱気も湿度も息苦しさも見ている側に伝わってこない。その時代の、特有の、生活の匂いがしないのだ。全員揃って、フリだけしてる。徹頭徹尾、そんな映画だった。

「マイ・バック・ページ」の時代は確かに私達の過去の歴史のはずなのに、あの映画の中の時代がそのまま流れても現在に行き着かないような気がするのは何故だろう。まるで未来から来たタイムトラベラーが無理矢理歴史をねじまげて現代を作ったような気がする。その転換点はやはりバブル期なのだろうか。

この作品で描かれているのは、いわゆる「青年期の悩み」である。その日本人の若者達が抱える悩みの本質だけは今とちっとも変わらない。私達は、恐らく戦後、自分達がなるべき理想の姿を失った。「大人はかくあるべし」というモデルが定まらないから、私達はいつまでもどうしてよいのかわからないのだ。

似たような作品を見たことがあると思って記憶を探ると、それはアン・リー監督の「ラスト、コーション」だった。あれも祖国のためを思って学生運動にうちこんだ若者の顛末を描いた作品だった。理想は掲げられても、それを実行にうつすのはどうしたらいいのか分からない若きエリート達。

「マイ・バック・ページ」のような作品は若い頃に小説でいろいろ読んだ。安田講堂の攻防戦は様々な作品で取り上げられていたが、今にして思えばそれは近代兵器を使えない籠城戦として捉えられていたのだろうか。その興奮は、例えば私が映画「二つの塔」のを見た時と同様のものだったのかもしれない。

でも「マイ・バック・ページ」にはその熱さはない。何かに熱狂した後の、宴の後といった一抹の寂しさもない。あるのは只、自分が本物になるために他人を利用しようとする、地道な努力さえも放棄した甘えた男の腐った根性だけだ。フリだけしている自分に気づいて後ろめたさを感じても、言い訳にするだけ。

一体あの映画は何を言いたかったのだ? 松山ケンイチと妻夫木聡という演技派二人を使いながら、どっちの魅力もひきだしてない。女優達には見た目の可愛さしか求めてない。脇役達には渋さの代わりに狡さしかない。淡々と事実を語っているようにみせて、事象の表面しかなぞってない。要するにつまらない。

実在の事件に基づいているから故の制約かもしれないが、ドキュメンタリーじゃなくてドラマなんだからもうちょっと何とかならなかったんだろうか? 当事者が感じている悔恨の念とか、表現薄すぎないか? 日本人だから仕方ないのか? 日本では「死にゆく者への祈り」のような作品はあり得ないのか?

というわけで、忙しいさなかに見に行ってとっても後悔したのでした。よっぽど途中で席たとうかと思ったぜ。でもそのたびに松山君の妙にかっこいいショットが入るんで出るキッカケを失ってずるずると……。まあ松山君が出てなかったら見にもいかなかっただろうけど


(ツイートしたものを編集して再掲しました)

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この作品はミッキー・ロークで映画化もされてます。