見ながら各キャストの老けメイクのあまりのリアルさにオスカーのメイクアップ賞のノミネートぐらいあったってよかったんじゃないかと思いましたね。
「自然に見える老けメイク」はそれこそ「アマデウス」のサリエリの頃からありましたけど、「J・エドガー」のは「自然にしか見えない老けメイク」ですからね、すごいですよ、老醜そのもの。いや、実際より誇張されているのかも。その分見てても嬉しくないというかね、とやっぱり人間、どうせ見るなら男も女も若い方がいいんだな、などとしみじみ思ったりして。自然にしか見えないシワや老人性のシミはね、大スクリーンで見るもんじゃありません。そこまでリアルにしなくてもいいじゃん、映画なんだからさ、というのが本音です。NHKのドラマによくいるいつまでも若く美しくトシをとらないヒロインに今まで批判的だったけど、これからはワタクシその態度を改めます。ええ、大河にももっとたくさん若くて美しい男性を出して下さい(なんのこっちゃ)。
で、肝心の映画ですが。
う~~~~~~~ん。
アメリカ人じゃないと胸に迫らない内容なのかも。
この100年ぐらいのアメリカ史を知らないとサッパリ理解できないというか。
ジョニー・デップの映画で彼がギャングのディリンジャー役だった「パブリック・エネミーズ」というのがありますが、これを見ていたおかげで多少なりとも分かった部分があってよかったです。この映画にはもう一人の主役がいて、それがFBIのパーヴィス捜査官(クリスチャン・ベール)だったんですが、彼らの話はしっかり「J・エドガー」にも出てきましたもんね。
この禁酒法時代に有名だったギャングを次々に逮捕したことや、捜査に科学的手法を持ち込んだこと(これなくてして「CSI」も「クリミナル・マインド」も存在しません)、画期的なインデックスシステムを導入したこと等フーバーの業績は認めつつ、彼の汚点も克明に浮き彫りにしている作品なので、見ていて「ふ~~~ん。そうなのか」と納得はするものの、何にも解決しないのですよ。謎につつまれたフーバーの私生活が謎につつまれたまま終わってしまったのでは「映画」を見る醍醐味というものに欠けるでしょ。やっぱりウソでもいいからドラマチックに謎の解明があった方が作品としてはおもしろいし華やかだったでしょうね。「リンドバーグ事件」にしてもなんかスッキリしないまま終わっちゃって……この事件に関するモヤモヤはアメリカ全体が抱えているものなんでしょうか。
こういったエピソードが時代を追って進むのではなく、フーバーが回想録を口述筆記している時を軸にして彼が語る話とそれに伴って思い出される過去の一場面がぽんぽんいろんな時代に飛ぶもので、若くて美しいレオ君とナオミ・ワッツと、もっと若くて美しいアーミー・ハマーが出てきたと思ったら次の場面では老けメイクでしょ、それも年代に応じて緻密なメイクが施されているわけです。次第にトシをとるわけではなくて、ある場面では若返ったりある場面では一気に老け込んだりするんですよ。すると見ている私が一番ショックを受けるのはストーリーじゃなくて歳月による外見の変化のすさまじさなんですよね。それはもう残酷なものですよ、しわやしみやたるみが人の顔に及ぼす影響ったら。
そして時と共に明晰だった頭脳が衰え、清新だった心が汚濁に染まっていくのもね。
私にはこの映画のストーリーを通じてイーストウッド監督が何を伝えたかったのかはさっぱり分からなかったけれど、映像を通して痛い程伝わってきたのは人に作用する「老い」というものの実態です。監督ご自身の年齢を考えると、そうなってしまうのもよくわかりますね。
作品の中で「老い」を決しておとしめているのではないのですよ。ただ、人間は年老いるとこうなるものだと例によって淡々と語っているだけなのですね。それは誰も避けようのない、仕方のない変化なのだから、受け入れるしかない、と。若さばかりをよいものとして追求するハリウッド的なあり方へのアンチテーゼと受け取れないこともありません。
でもたぶん、長い年月がたっても変わらない人の心こそが素晴らしいのだ、と監督は言いたかったのかも。フーバーではなく、フーバーに忠誠をつくし一生を捧げた二人の人物を通じて。それが幸せな人生だったかどうかも分からないままなんですけどね。