特筆すべきはそのオープニング映像。
ここまで凝りに凝ったオープニングは久々に見ました。ダニエル・クレイグが出演してるからってわけではないのでしょうが、まるで往年の「007」シリーズみたいな凝りようで惚れ惚れしましたね。その部分のBGMは予告編でも使われていたレッド・ツェッペリンの「移民の歌」で、これがまた超かっこいいんですわ♪ ちなみに選曲の理由は映画を見ていると最後の方で「ああ、それで……」とわかるような仕掛けとなっております。
さて、あまりにも素晴らしいオープニングに心躍り、いやがおうにも作品への期待は高まるばかり……だったのですが、確かにキャスティングは素晴らしいし役者の演技も申し分ないのですが、でもオリジナルのスウェーデン版「ミレニアム」を見て原作も読んでいる身としては、この「ドラゴン・タトゥーの女」はいささか期待はずれに終わってしまいました。
ストーリーラインとしてはこちらの「ドラゴン・タトゥーの女」の方がより原作に近いのです(一カ所だけ、完全に違っている箇所があります)。でもオリジナルのミレニアムに比べると、何か薄いんですよね。それは物語が重厚でなく薄っぺらというのではなく、原作のエッセンスが薄まってしまっているというのに近いです。
それだけにこの「ドラゴン・タトゥーの女」みたいなどろどろの情念が渦巻くような作品って実は苦手なんじゃないかなあと思ってしまいました。そういう意味では「ソーシャル・ネットワーク」の方がピッタリだったのではないでしょうか。少なくとも私は「ソーシャル~」の方が好きですね。あの主役、ジェシー・アイゼンバーグが演じた架空のザッカーバーグ、あれが実はフィンチャー監督に近いんじゃないかと思ったりして。
あの架空のザッカーバーグとリスベット、コンピューターの天才で人付き合いが苦手で何かやられたら仕返しするという点でこの二人は似てますが、決定的に違う点があります。それはザッカーバーグは男だけど、リスベットは女だということ。ザッカーバーグは同性によって心を傷つけられただけだけど、リスベットは異性によって心も体も傷つけられたという違いですね。リスベットの場合は単に身体的に傷つけられたという以上に性的に搾取されたというのが一番大きな差異なんですが、どうもこの部分がフィンチャー版には欠けているみたいなんです。リスベットは単に乱暴されたんじゃない、食い物にされたんですよ。その憤怒を表現しなければ、「ミレニアム」の本質は描けないと思うんですが。
「ドラゴン・タトゥーの女」のキャラクターの中で監督に一番近い存在は犯人の方なんじゃないかと思います。犯罪傾向じゃなくて、あの周到で抜け目なくて他人の感情を操りもて遊ぶのが大好きな性格の方ね。そうだとすると、オリジナルに比べてハリウッド版の犯人に対する扱いが妙に甘いのも納得できるような。
映画を見ていると案外
それはまあ、スウェーデンに比べてハリウッドがまだまだ男社会だから男性にとってある程度都合がいいような解釈が脚本になされたからなのかもしれません。男性は自分にウーマンヘイティングの素地があるとは認めないものですから。原作やオリジナルに対して「そんなろくでなしな男ばかりじゃないぜ」でもいいたげな脚本になってたとしても、仕方ないのかも。
とはいえ映像は美しいしキャスティングは贅沢でキャストの演技も素晴らしいことは間違いありません。見て決して損はいたしません。ぜひ劇場でご覧下さい。原作やオリジナル鑑賞がまだの方は、そちらもあわせてどうぞ♪
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どうもフィンチャー監督って人の心の奥底まではあまり踏み込んで表現しないというか、「激情」という域に及んでまで生の感情を見せたがらないというか……そんな傾向が年をおうごとに強くなってる気がします。仮に踏み込んだとしても、役者には「感極まっている感情を押さえ込んで外には見せようとしない演技」をさせてるみたいな。