さて、それで「TIME」の感想ですが、一言で言うなら「設定の勝利」ですね。時間が通貨の代わりとなって流通する、すなわち人の余命時間がお金に換算できるというアイディアが秀逸なのですね。


そうすれば、あとは現実世界で人々が持っているお金を余命に置き換えるだけで世界はできあがります。するとお金を持っている人と持っていない人の格差が余命の差としてより鮮明に浮き上がってくる。お金を持っているかいないかでその人の命の長さが決まるシビアな世界が、実は現実と紙一重でしかないことも分かってきます。世の中にはあくせく毎日働いても決して豊かになれない人もいれば、生まれ落ちた時から貧しさと無縁の人もいます。他人の稼ぎの上前をはねる人もいれば、脅して奪い取る人もいる。お金が時間に変わろうと、人間の生きる様に変化はありません。


私の好きなシーンはオリビア・ワイルドが演じるお母さんがジャスティン・ティンバーレイクの演じる息子に

「これでちゃんとご飯食べなさい」

と言って、自分の残り少ない時間からごく自然に30分を分け与えるところでした。うわ、おかあさんだ~、日本もアメリカも今も未来もおんなじだ~と思っちゃいましたね。


息子のウィルの方もおかあさんにご飯の心配してもらうのは当たり前のことなので

「ありがとう」

と素直に貰ってるのですよ。何か昔ながらの「貧しいながらも愛情あふれる家族」とでもいう雰囲気がすごくよくでていて、心温まるシーンになっていました。



それを見ていて連想したのが、お正月にWOWOWでずっと放映していた「男はつらいよ」シリーズでした。その中で繰り返して出てくるのが、妹であるさくらさんが自分が手にしているお財布からお札を抜き出して 

「これ」

と言ってお兄ちゃんである寅さんに押しつけるようにして渡しているシーンでしたね。

寅さんの方はそれを

「ああ、すまねえな」

と言って何のてらいもなく受け取って懐へとしまうのですが、「TIME」の母と子のやりとりはそれと全く同じに見えました。


それは施しでも貸借でもなく、ただ持っている方が持っていない方に自分のものを分けてるだけの事なのです。分けるものが「男はつらいよ」ではお金であり、「TIME」では時間であるというだけの違いです。それが当たり前のように行われている関係が家族ってものなんだな、と見る側が納得させられてしまう名シーンだったと思います。


ところで「TIME」の世界では人間の成長というか老化は25才でストップするわけですから、お母さんも息子も見た目は25才のままなんですよ。オリビアは実際若くて美しいんですが、それでもちゃんと立派に子ども育て上げた母親に見えるんですね。そうすると、このお母さんみたいに自分は若く美しいままで、やっぱりいつまでも若くてハンサムでしかも母親思いの息子と二人水入らずで暮らしていくのって、一種理想なんじゃないかと思ってしまいました。ジャスティンの孝行息子ぶりがまた板についていたせいなんですけど。いや、ジャスティン・ティンバーレイク、役者としても確かに才能ありますわ。


この映画、オリビアやアマンダ・セイフライドといった超美女達だけじゃなく、キリアン・マーフィーを始め美男もたっくさん出ております。まるで絵に描いた様な美男美女揃いと言っても過言ではないのですが、その中でジャスティンの風貌だけがちょっと異色だったりします。そのためスクリーンのどこにいても彼は一目でそれと分かるのですよ。同じ様な服装をしている人々の中にいても、彼だけ目立つ。これはホント、上手い仕掛けだわと思いました。


実は「絵に描いた様な美男美女」はそういう人々の集団の中では個性が消えてしまうのですよね。少なくともこの映画の中では美しい人々が美しい背景に溶け込んでその一部となってしまうような場面が結構ありました。そういう演出なんだと思いますが。


その中で、上に名前をあげたアマンダやキリアンがどうして目立つのかというと、もちろん彼らの個性が際だっているせいもあるのですが、それを助けているのが衣装でしたね。アマンダのドレスの、ワイングラスをさかさにしたようにふわりと広がるスカートのチャーミングなこと、キリアンの着こなすコートの襟や丈のかっこいいこと、一目見たらもう目に焼き付いて離れません。これらの衣装は単に似合っているというのを通り越して、その人物の魅力を増大させ個性を主張する有機的な装置でしたよ。スラムゾーンに住むジャスティンやもオリビアの衣装もまたしかりですが、やはり富裕ゾーンの住人の衣装の方が高価という設定だけに見応えはあるわけで。


それにしてもあまりにも衣装が素晴らしいのでエンドクレジットで名前を確かめたらコリーン・アトウッドでした。そりゃすごいに決まってるわ (オスカー3回貰った人です)。


ところでこの作品、前半は設定のおもしろさでぐいぐい惹きつけられてしまうのですが、後半になるとどことなくまとまりがなくなります。というより監督が本当に描きたかったことが何なのかわからなくなるのですよ。



「時は金なり」という設定が、前半ではもっと含みがあったはずが後半では単に文字通りの意味に成り下がってしまったという印象があるのです。単純に「お金」を「時間」に置き換えただけの世界になってしまうと、その中でアマンダとジャスティンのカップルがやってることって要するにボニーとクライドじゃん、みたいな妙な物足りなさを感じるというか。


登場人物のエピソードもどれも微妙に中途半端で、何か間に合わせの決着をつけてごまかしたんじゃないかという印象さえあります。例によってブルーレイ化の際にディレクターズカットと称する完全版を出すつもりなんでしょうか?



監督のアンドリュー・ニコルは「ガタカ」が有名ですが、その中では登場人物達は毎日身分証代わりとして血液検査を義務づけられていて、自動改札に手をタッチするような形で指から血を採取していたような記憶があります。「TIME」では手を相手の腕や専用装置にタッチすることで通貨である時間=寿命のやりとりをしていました。どちらの作品も手による接触がいわば人生を左右しているわけなので、これは監督のシュミなのかな等と思いながら見てました。手は人類を人類たらしめるものですからね。



「TIME」はシリーズものでもなければ原作があるわけでもない、昨今ではとんと珍しい部類に入るSF映画です。SFファンなら劇場に足を運ぶべし!



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