まあ、ほら、一応吸血鬼と狼男が出てくる映画だし、テイラー・ロートナー君はかっこいいし、シリーズ今まで全部見てきたので最後まで見届けたいしね。と言いつつ、前回のお話がどんなだったか全然思い出せないんだけど、何はともあれ今回はめでたく主役の二人が結婚するというところから始まるのでした。

映画の細かいストーリーはさておき、今回の作品を見て、ようやく私「トワイライト」がどうして全米の少女達にこんなに読まれているのかわかったような気がしましたね。いや、「ブレイキング・ドーン」を見ての話なので、それに限ったことかもしれないし、本というよりこの作品そのものによるところも多いのかもしれないけれど、でもこの映画を見ることは少女達にとって価値があるのだと思いますよ。世界中の――いや、先進国かな?――少女にとっても得るところが大きいんじゃないかな?

というのはですねえ、これはもうベラとかエドワードいう個人の事情をすっ飛ばして、「婚姻」というシステムが何故人類において発生したのかという根源を追求した物語になっていたからです。これは今までは当たり前すぎて誰もあえて物語でそれだけを語ろうとはしなかったテーマなのかもしれません。医療や科学技術や社会制度の発達した現代だからこそ、改めてそのことをきちんと描いて貰う必要が少女達にはあったというべきか。

それは何故女には夫がどうしても必要かという問題でございます。子孫を作るために両性が必要だという話ではなく、女には「夫」が必要だという問題ね。別にそれは子どもの遺伝学上の父親である必要はないのですよ。必要なのは「夫」なの。それは処女懐胎したマリアにヨセフが必要だったようにね。

だってさ、出産の時って女は完全に無防備だもん。
無防備通り越して、命の危険さえありますからね。
長時間に渡る陣痛とそれに続く出産。しかもそれには激しい出血を伴うわけで、そんなの身を守る術のない荒野のど真ん中でたった一人でなんて、到底できません。血の臭いをかぎつけた捕食者(この場合食われるのが人間の方)に襲われたら出産したばかりの母と生まれたばかりの赤子なんてひとたまりもありませんよ。
それを避けるためには女性は出産の前後を通じてどうしても誰かに守って貰わなくてはなりません。そうじゃないと出産直後の人間の母子は他の動物の格好のエサとなって人類そのものが滅亡の危機を迎えます。定住して農耕を始める前、食料の乏しい環境だったらマジ、ヤバい状況ですよ。
だからこそ、出産の際に母子を守る役目として「夫」の存在がどうしても必要になったんだろうなと「ブレイキング・ドーン」見ていてひしひしと実感しましたね。

こう書くとまるで男性が女性の都合で使われているような印象ですが、でも、男性の方にも自分の遺伝子を確実に後世に伝えたいなら自分の子どもが無事生まれて育つまで面倒を見る必然性があったんだと思います。妊娠させるだけでは子孫繁栄につながらないですからね。無事に赤ん坊が生まれて一人前に育って次世代を形成しなければ意味がない。婚姻というシステムは両性にとって都合のよい、人類が種を存続させるために必要だからこそ共通の概念として存在しているのでしょう。

ところが現代社会に生きているとそんな感覚はどこかへ行ってしまいます。
出産は病院で医師や助産師さんの立ち会いの元、清潔で安全な環境で行うのが当たり前。陣痛さえもコントロールしようという世の中です。夫に守って貰う必要なんかありません。それ故、様々な事情でシングルマザーとなる女性も少なくないのです。

貨幣経済が発達し、女性も当たり前のように職について収入を得る時代ですから生活だって夫なしに成り立ちます。福祉が発達している社会なら、母親に収入がなくても育てとようとしなくても、赤ん坊には保護の手がさしのべられるわけです。女にとって夫が絶対に必要な時代ではなくなった今、離婚もごく当たり前になりました。

そんな時代に育った少女達が婚姻というシステムに疑問を感じたとしても無理はないと思うんですよ。結婚という制度は有名無実化しているのに結婚式だけは未だに女の夢とされるような現実に生きていて、その矛盾を自分の中で統合できない場合もあるでしょう。結婚生活が続くかどうかも分からないのに、何故結婚式では永遠の愛を誓うのか。果たして夫というものにそれだけの価値があるのだろうか、なんてね。

その、今はすっかり曖昧になってしまった「夫」の価値を、エドワードが「ブレイキング・ドーン」でしっかり示してくれたわけですよ。あたし思わず納得したもんね。

「トワイライト」が語っているのはベラの物語であると同時に、人類が発生してからの女の物語そのものでもあるわけです。恋というのが遺伝子が子孫のためにより多様な組み合わせを求めて脳に与える指令だとするならば、自分とは全く違う遺伝子プールを持つ男に恋することから始まるより生存確率の高い子孫を残すための女の生き方。それを賢いと言うかしたたかと言うか、或いは本能に従ってるだけと言うか、それは読者次第ですが、人類が種を永く存続させるためには恐らくそれが一番適したやり方なんですよね。身も蓋もないと言われたらその通りですが。

「トワイライト」のシリーズというのは、めまぐるしく変化する社会の中にあっても変わることのない女性の本質――というより本能に即した生き方を描き出したからこそ、現代という時代において一つの指針としてアメリカの少女達に広く受け入れられたのではないかと思いました。「今更」ではなく「今だからこそ」なんでしょうね。重要なのはストーリー展開ではなく、ベラの生き方そのもの。一種の教科書みたいなものかもしれません。問題はエドワードやジェイコブみたいな男性が人類には滅多にいないということで……だから吸血鬼や人狼族として設定されてるのかな? あれで人間だったらよっぽど不自然だもんね。

さあ、次は「ブレイキング・ドーンPART2」だ。これ以上どうなるというんだ、ベラは。