『インモータルズ-神々の戦い-』のブルーレイ・DVDが4月13日に発売されるのを記念して、DVDによる「筋肉好き女子試写会」なるものが敢行されました。

「筋肉好き女子」の末席を汚すワタクシ、ここぞとばかりに参加して参りましたよ♪ 「インモータルズ」は公開時に劇場で見てますが、もう一度見たいと思っていたので。


今回はDVD上映ですので、まあ言ってみれば大型テレビでの鑑賞になるのですよ。それで終了後に思ったのが、最初にスクリーンで見ておいてよかったなということ。その作品の持つ世界観にひきこまれるか否かは結構スクリーンのサイズによる影響が大きいのね、なんて思っちゃいました。神様見てその偉業に畏怖するなら、やっぱ普通の人間サイズより大きい方が簡単だよね♪


それともうひとつ、この作品は監督のターセム・シン・ダンドワールの作風を知っているかどうかでも評価が分かれるんだと思います。


ターセム・シン監督といえば映像美にすぐれたアート系。絢爛豪華で一分の隙もない、ワンシーンワンシーンが完成された絵画のような最高の映像をこそ見るべきもので、お話というのはその映像を導き出すための手段にすぎない、ぐらいに思っておけば丁度いいぐらいかも……。いえ、私も他にはジェニファー・ロペスの「ザ・セル」しか見てないんですが、その時そう思ったので心構えはできてたんですよね。

「美しければそれでいい。それ以上は望まない」

みたいな。



だから『インモータルズ-神々の戦い-』では登場人物(神様も含めて)達に「普通」を求めてはいけないのです。そんな普通の世界なんざ監督最初っから描く気ないんだから。


じゃあ何を求めるのかというと、普通の反対。

それは「超越」。

普通を超越さえしていれば、方向はどっち向いてても構わない。


例えば主人公のテセウスは精神的にも肉体的にも「強さ」において普通の人間を超越しているので、もはや神に近い存在として描かれています。


悪役のハイペリオンは感情の深さとそれ故に暴虐の限りを尽くすことが普通の王を超越しているので、ほとんど悪魔の如き存在として描かれています。


神の長であるゼウスは力において他の神々を超越した存在なので、逆に精神的には一番人間臭い存在として描かれています。


本来の自分が属する種族を「超越」してしまった故に、役割的には他の種族のありようを引き受けてしまったキャラクター達が織りなす一大絵巻、それが『インモータルズ-神々の戦い-』なのですよ。そこに普通の人間らしい普通の感情なんか求めたってありゃしません。そもそも監督、そんなものに興味ないんだから(たぶん)。人の世を超越した世界を創り上げることができるからこそ、映画が素晴らしいわけでね。


見る側としては監督が描き出す「超越」の様相を「ほー、なるほど」と黙って見守ってればそれでいいのです。映画というより絵画の傑作を鑑賞するのと同じ感じかな?


そう思って『インモータルズ-神々の戦い-』を見ると、圧倒的な美の奔流に押し流される喜びというのが味わえるわけですよ。スクリーンが大きければ大きい程迫力を持ってね。歩き回らず、座ってるだけで味わえる美術館みたいなものです。この作品ではテセウス(ヘンリー・カヴィル)やハイペリオン(ミッキー・ローク)、ゼウス(ルーク・エヴァンス)達俳優の鍛え上げられた筋肉も美の一部なのです。彼らの纏う衣装や武具もその超越性を示唆するデザインとして抜きんでています。人を超えた人であることが一目でわかるハイペリオンの兜がいい例でしょう。


普通は神様が関わる戦いというと「善悪」を決するもので、神と悪魔の両陣営に分かれて神=善=美、悪魔=悪=醜という対立概念で語られがちなのですが、「インモータルズ」は「神々の戦い」なんですよ。ここで出てくるタイタン族は適役ではあってもいわゆる悪魔ではない。現在権力を握っているオリンポスの神々に戦争で負けただけという設定なんですね。だからタイタン族を解き放とうとする人間の王、ハイペリオンも別に「魔に魅入られた」とかそういうものは全然なくて、あくまで自分の意志で行っていることなんです。すなわち悪魔=醜というものの出番がこの作品にはないわけ。全てが「美」の上に成立しているというのが、実は『インモータルズ-神々の戦い-』のすごいところなんですよね。


同じ「美」の線上にあって、それでもオリンポス側とタイタン側はちゃんと分けられています。オリンポスの神々やテセウスが「均整の取れた美」、いわゆる正統的な美しさだとしたら、タイタン族やハイペリオンは「歪んだ美」、「異形の美」でしょうか。陰であったり汚れであったり、或いは一見醜いとしか思えなくても人間の興味をどうしようもなくひきつけるものはやはりどこかに美を隠し持っているはずという、その「美」ですね。それを体現しているのがミッキー・ロークその人で、だからこそこの映画の中で最も存在感があるわけで。


ヘンリー・カヴィルの美しく均整のとれた体に対してこの作品でのミッキー・ロークの体つきというのはどこかいびつなんですね。鍛え方に偏りがあったというか、それこそひとつの筋トレばっかり超越した回数をこなしたというか。しかしその「かたより」故に、平均して整ったヘンリーの美しい肉体よりずっと目立つわけです。


ヘンリーの体は同じように平均したトレーニングをこなした人達の中にあっては、人一倍鍛え上げたという面で群を抜いて美しいに違いないのですが、やはりその、人間多少の違いはあっても基本的に同じ形のものばっかり見てると飽きるわけで、そこに形の違ういびつなものが入ってくると刺激的に感じるんですよね。その微妙な「歪み」や「汚し」こそ、芸術作品には大事なのではないかと。


「美」を追求する上での葛藤そのものですよね、そう考えてみれば『インモータルズ-神々の戦い-』って。そういう意味では監督の内面を見事に描ききった作品といえるのではないでしょうか。


ターセム・シン監督が「アート系」と言われる所以をそうだとわきまえてみれば、この作品はとっても楽しめると思えます。


とにかく、全編「美」そのものなんですから。

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まーそのーターセム・シンといえば「アート系の監督」が枕詞ですからね、いちいち「アート系」とくくられるってことは他の映画監督とは最初から何かが違うという前提を含んでるってことでしょう。要するに、「普通とは違うんだよ、そのつもりで見てね」というお約束。この場合は「アート」がキーワードなので「芸術、或いは芸術を生み出すための技術至上主義」と言ったところでしょうか。つまり「普通の」人間の営みを描くことなんかに監督の興味はないってことです。