なんでこんなことウダウダ書いてるかというと、折角見に行ったのに「アーティスト」を見終わって残ったものが何もないからだな、きっと。見ている間はとても楽しかったし、誰でも見て損はないと思うのだけど、それだけ。過去の記憶の一部として珠玉のものではあるけれど、未来につながらないの。
学生の頃英語の文法で「過去完了」ってならったけれど、「アーティスト」ってそんな感じ。過去のある時点で物語が始まって終わるのを現代から時間の流れに沿って俯瞰しているだけ。自分がその世界に入って行ければそこに流れる時間に未来を感じられるけれど、傍観者には過去の出来事は過去でしかない。
普通は過去に始まり過去に終わる物語でも登場人物に感情移入すればそのキャラの生きている世界が自分の「現実」となるので、過去の話の中でも「未来」を感じる事ができる。歴史物でその登場人物の運命や末路を知っていたとしても。でも「アーティスト」でそれができなかったのは何故なんだろう?
それが「アーティスト」がサイレントという今では特殊な手法を用いられているせいなのか、ハリウッドの映画業界という特殊な世界が舞台なせいなのか、キャラクターにも俳優にもさほど魅力を感じられなかったせいなのか……それとも登場人物にリアリティーがなかったせいなのか……。たぶん最後だな。
結局「アーティスト」の登場人物造形って、「ああ、こんな感じの人、確かに昔いたよね」的なパロディとしてしか感じられなかったのよね。過去に生きていた人ではなく、過去にこんな人いたかもしれなかったとして現代に生きる人の目を通して存在しているキャラクター。一つフィルターがかかっている。
結局のところキャラクターにリアリティーを与えられなかったから一種のパロディとして成立させるためにサイレントの方式を使ったのが「アーティスト」なら、「その手があったか!」とポンと膝をうった人も多かったに違いない。一つの手法を開発したという意味ではオスカーにふさわしいのかもしれないね。
なんだかんだ書いたけれど、「アーティスト」を見ている間は心が躍ってたのは間違いありません。退屈もしなかったし。その次に見た「僕達急行」には徹頭徹尾退屈したけど。も~、こんな映画見るぐらいだったら「シャーロック・ホームズ2」の2回目見ればよかったよ~。私の時間を返せ~~!!!