実は、原作読んだ時点でピンと来てなかった部分がた~っくさんあったんですが、それが映画を見ることで氷解したんですね。その部分をほとんど表現してくれてたのがベネディクトのギラムだったのです。彼のおかげでサスペンスを感じるべき部分がどこだったのか分かりました。


ゲイリーが「静」に徹してる分、「動」を引き受けてるのがベネディクトなんだけど、彼の演技には何度も心を揺すぶられましたわ。シャーロックとは正反対の多感な青年像が新鮮。冷たい顔と激情にかられた表情の対比が最高で、この方どれだけ演技上手いんだと思いましたよ。それがあの前髪なんだから…。


「裏切りのサーカス」きっての色男役はリッキー・ターのトム・ハーディ。原作ではもうちょっと颯爽としてたような気がするんだけど、映画ではベネディクト同様のサスペンス要員。サスペンスを盛り上げるのではなく、彼の脅えそのものが観客にサスペンスを伝えてくれるのです。


「ティンカー・テイラー・スルジャー・スパイ」って、冷戦時代の話で今から40年ぐらい前に書かれた作品なので、やっぱり今読んでるような本とは書き方が違ってるんですよ。作家が読者を信頼してるというかね、読者側の読解力に委ねて敢えて「書かない」部分が多いんだと思います。


最近の本はあまり読んでないんだけど、テレビとか見てるとすごく親切でしょ。「ここ大事」とアンダーラインひいたり「こいつ怪しい」と矢印を点滅させて注意を喚起するような作り方が多いですよ。これは比喩なんですが、「比喩」だといちいち説明しなきゃいけないような、まあそんな感じが一般的。


そういう、一見「親切」な作品ばかりに慣れてたので、「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」は読んでもどこがおもしろいのかさっぱり理解できなかったことをここに告白します。映画を見たおかげで初めておもしろさがわかり、作品理解が深まったような気がします。


ただ、私がもう一つ「ティンカー~」にのめりこめなかったのには別な理由もあって、それもやっぱり時代的な背景のせいなんだけど、メインキャラに女性がいないから。まだ、女性が社会的に男性と対等だと認められる時代の前なんですよ。映画には壁に女性運動のスローガンが書かれてるシーンがありました。「ウーマン・リブ」の時代なんですね。「クレイマー・クレイマー」が1979年だから、まだまだなんだ。


ジョン・ル・カレは「ティンカー~」に出てくる女性達を描くにあたり最高の敬意をもって筆を進めているんですが、でも決してメインには出てこない。スマイリーの妻のアンも出てくるのは名前と美しい容姿であるということだけ。それでも重要な役ですが、読んでても感情移入はできない。


原作で一番よい女性キャラはコニー・サックスだけど、当時コニーが得ていた職って例外中の例外なんだということが、読んでる最中はよくわかってなかったですね。今では当たり前の事がたった40年前には全然違ってたわけで。その当時コニーというキャラを創出したのって、前衛的でさえあったのかも。


不思議なもので小説で読んでると女性キャラが少ないと不満に思うものなのですが、これが映画になると全然問題ないのですね、出てくる俳優達がいい男であれば!「裏切りのサーカス」はその条件3回ぐらいクリアしてますわ。ゲイリー・オールドマンで一回、コリン・ファースで一回、トム・ハーディで一回、ベネディクト・カンバーバッチとマーク・ストロングでもそれぞれ一回……って、5回じゃん!


それにしても女性のメインキャラがホントに少ない。そもそも私がほいっと名前を出せる女優さんが全然出てないんだもん。脇には美人がたくさんいるんですけどね、それでも今ではもう考えられない「男の世界」の話です。これが「007」だったらボンドガールが出てきて花を添えてくれるんですけどね~、「裏切りのサーカス」じゃそれもない。せっかくコリン・ファースが出てるというのに。


しかしコリン・ファースって何でもできる俳優さんですね。ストレート役もゲイ役もどっちも真に迫って見えるから、「裏切りのサーカス」で演じたのはバイという設定のビル・ヘイドン。これは原作でもその記述がちゃんとあります。不思議なのはゲイはひた隠しにされてる感じなのに、バイは何かこう、一目置かれでもしているような書き方な事。バイなら公然の秘密だけどゲイなら口外できない秘密なんでしょうか?


というわけで原作の中では奥ゆかしく匂わされていた男性同士の愛憎、奥ゆかしすぎて読書中はワタクシ素通りしてしまってたのですが、映画ではそれをきちんと形にして見せてくれたのでした。それでも現代と違って抑制されている分、切なさが強いです。