先日WOWOWでも放映されてた「デザート・フラワー」。私はトーキョー女子映画部のDVD試写会で見たのだけど、その時は作品の抱えているテーマがあまりに大きいので書く気になれなかったのだ。
FGM(女性器切除)というのは数年前から日本の新聞でもとりあげられるようになっているけれど、文章だけではどういう状況になるのかよくわからなかったのだが、それが「デザート・フラワー」を見ることで明らかになる。別にその部分を見せてくれるワケじゃないけど、言葉で語られるからね。
FGMについてはそのままWikiでもなんでも調べて貰った方が早いけれど、映画の言葉を借りるならば女性の体のその部分が切り取られて縫い合わされ「尿を出すための小さい穴だけが残された」状態になるそうだ。私が子どもの頃遊んで一緒にお風呂に入ってたリカちゃん人形がまさにそんな感じだった。
で、男性は結婚すると初夜の晩に縫い目をナイフで断ち切って、コトに及ぶんだそうだ。それが上手にできると男として認められて鼻が高いんだそうだが、女性にとっては恐怖と苦痛以外のなにものでもない。しかも嫁入りの年齢がとても若かったりする。結納金次第で、結婚を親が決めたりもするんだよね。
「デザート・フラワー」はそんな境遇から逃げ出した少女がやがてトップモデルへとなるシンデレラストーリーの側面もあるので、その辺はなかなかおもしろいのだけど、彼女が幼くして経験したことはその国ではごく当たり前の風習だということに私は引っかかってしまった。誰がそんな事始めたんだよって。
物事には必ず始まりがある。「自然発生的」と言われたって、誰かがまず最初にアクションを起こさなければその行為が始まるわけがない。同時多発的であったとしても、誰かがそれを思いつき、実行にうつしたからこそ、それが世の中に広がることになったのだ。
最初はサディスティックな王や宗教者が命を下したのかと思った。女性達が苦しむのを見て自分達が楽しめるように。もちろん表向きは男達が狩りに出かけてる間の妻達の貞操を守るためという名目で。部族の純血を守るとか何とか、理由は幾らでもあるから。
でも「百姓貴族2」を読んでその考えが変わったんだよね。この漫画の中には牛の角を切る話が出てくるんだけど、鹿と違って牛の角には神経が通っているのね。だからそれを切り落とすのって、例えば人間の耳や指を切り落とすのと同じ事よ。でも牛は「家畜」として角を切られるのが伝統というか習慣なの。
私は牛の角の切除に対してどうこういう気は全くありません。それはそれとしておいといて、でも読んだ時に思ったのさ。この「家畜」である牛に対する扱いと、「デザートフラワー」でワリス達幼女が受けてた扱いは全く同じじゃないかって。つまり彼らの社会の中では女性の地位は家畜と同レベルなわけよ。
あ、牛の角もね、仔牛の時に切除されるのよ、その方が扱いやすいし傷も小さくてすむからって。そのリクツはFGMがまだほんの幼い内に行われるのと全く同じじゃないですか。それがお前のためだからという執行者側の言い訳も含めて。家畜は財産だから切除による損害は少ない方がいいもんね。
現在、その風習が行われている地域で女性が家畜扱いされていることはないと思うのだけど、それを始めるに至った発想は家畜に対するのと変わらないと思う。最初は妻が自分の持ち物であり財産だからと印をつけて他人に奪われないようにしてたんだろうね。まあ少なくとも資産価値としては認められてたのね。
その内、いずれどこかの男の「妻」になるはずの嫁入り前の娘達も将来の資産として見られるようになり、資産価値を高める手段として「純潔」がウリにされるようになったわけだ。それを見た目わかりやすくするために編み出されたのがFGMだったのかも。
それにしても縫うだけじゃなく、どうして切除まで必要だったのかというと、そこにはやはり何か不自然なものを感じるのよね。見た目気持ち悪いとか思った男がいたんだろーか。或いは本来女性に興味がない男性が、なんとか女性と結婚して子孫を残すためにやってみたとか(された人死んだと思うけど)。
まあね、子どもの時、虫の足全部とっちゃうとか、やるじゃない、普通の子でも。そのまんまの感覚だったのかもしれない。虫の足、取る方は痛みなんか感じないわけだから。ただ「取っちゃったらどうなるかな~」って好奇心だけだもん。そういう人がそのまま大きくなって部族の長とかだったら恐いわよね。
で、試しに大人の女でやってみたらほとんどが死んじゃったけど、子どもでやってみたらなんぼか生存率が高かったのでそれで続けることにしたとか。で、たまたま続いちゃったので、最初にそれが行われた理由も何も分からなくなっちゃった現在も続いているんでしょうね。
男性の宦官の場合、切断した自分の一部分は大切にしていたそうだけど、「デザートフラワー」では切り取られた部分は捨て置かれてトリが食べてたそうな。なんでそこまで「不浄」扱いされなきゃいけないんでしょ。出産その他に伴う女性の出血の匂いが野生動物を呼び寄せて危険だったんでしょうか。
そして、宦官は廃れたのに何故FGMは未だに根強く残っているのでしょう。問題はその風習の中にどっぷりつかって生きている人達にはそれが当たり前だということ。そこではFGMを受けていない方が恥ずかしいことなのよね。昔中国では纏足が可愛くて大きな足が醜いとされたように。これも廃れたけど。
まあ纏足は一目見れば分かるものだけど、FGMは外からじゃわからないものね。しかもどれだけ情報化社会になったとしても、「その部分」はマスコミでは普通は見せられないわけだし(出産シーンとかは例外なのかな?)。うむ、FGMが行われている土地では他の国のポルノなんか誰も見ないんだろうな。
とまあ、どこまでも感想がまとまらないままなので書くのをあきらめていたのでした、「デザートフラワー」。この映画の中で行われていることって、「ムカデ人間」作ろうとすることと大差ないような気がする。自分以外の人体に対する敬意がまるで欠けているんだよ。
でも、そういう素朴な「これとこれ、切ってつなげておいたらくっつくだろか」的な素朴な人体改造に対する興味は大昔からあるってことですよね。「フランケンシュタイン」とか(これは死体をつなぎ合わせたんだけど)、「孤島の鬼」とか、「ムカデ人間」につながる系譜。「魍魎の匣」もそうかも。
で、最近予告見て「これも『ムカデ人間』と大差ないよなあ」と思ったのが「私が、生きる肌」監督がペドロ・アルモドバルでアントニオ・バンデラスが出てるんだけども、彼の狂いっぷりがハイター博士を彷彿とさせるんだもん。自分が作りたいと思うものを作ってるんだから、同じよね。
ところで最初の方に書いた牛の角切り(除角)は「牛は飼料の確保や社会的順位の確立等のため他の牛に対し角突きを行うことがある。そのため牛舎内での高密度の群飼いではケガが発生しやすく、肉質の低下に繋がることもある。また管理者が死傷することを防止するためにも有効な手段とのこと(Wiki)