北京に住んでいたのは3年半に過ぎませんが、それでもその短い期間に街並みや人々の姿がどんどん変わっていくのははっきりわかりました。人民服を着て自転車を漕いでいるおじさんおばさんも多かったけれど、大学生なんかは日本や欧米と大差ないカジュアルで開放的な服を着て闊歩していたものです。
丁度、映画の「タイタニック」が流行った頃のこと、有名大学に通っている知り合いの女子学生が大学のみんなで見てそのあとジャックとローズ(「タイタニック」の主役の二人)の愛が真実かどうかで一大ディスカッションになった、なんて話をしたことがあります。
彼女が言うには、結論としては、ジャックの愛は真実だがローズのは本物の愛ではないと、その場に居合わせた大多数が同意したんだとか。ローズのそれは一時の感情、単なる熱情のなせるわざであって、真実の愛ではないんだそうです。
意外な結論にびっくりして理由を聞いたら、これがまたスゴイんですよ(もし「タイタニック」をご覧になってない方がいたら、この下数行ネタバレになりますので飛ばして下さいませ)。
その理由とは……
もしローズがジャックを真実心の底から愛していたのなら、ジャックの死を知った瞬間に自分も後を追って死んだはずだというのです。
仮にジャックの遺志を汲んでローズが生き延びたとしても、その後一生ジャックを愛し続けていたなら他の男と結婚して子どもを生んだりなんかできないはずだと。
恐らく中国の中でも最も先進的であるはずの大学生達の、これが真実の恋愛感でした。
ちょっとびっくりしましたね。
20世紀末に至ってもそういう古風な考え方が若者の恋愛感を未だに支配してるってことですもんね。
まあ、彼ら彼女らはそれはそれとしてある程度自由な(あまり真実の愛ではない)恋愛を楽しんでいたのだとは思いますが、でも映画というフィクションを見て語る時に「貞女は二夫にまみえず」的な古い観念が顔を出すというのは、やはりその考え方が彼ら彼女らの根底にあるからだと思うのですよ。
その観念が中国に暮らす人々に代々受け継がれてきたということは、どの政権でもそれを真っ向から覆すことはできなかったということであり、すなわちそれだけ強い思いであるということです。
何故か?
何故なら、それは、美しいから。
人が、一人の人だけを一途に思い続けることは美しいと、多くの人々が考えているからです。
そう、中国では今でも大勢の人がそう考えているに違いないのです。
それはこの作品を見れば分かります。
この「サンザシの樹の下で 」は「初恋の来た道」や「HERO」で有名なチャン・イーモウ監督の作品です。
今回、ブルーレイ・DVD化にあたっての試写会があったのでようやく見る機会を得たのですが、映画がラストにさしかかると狭い会場のあちらこちらから声を殺して泣いている雰囲気が伝わってきてました。映画の雰囲気を壊したくないので、涙を流すだけで鼻もすすれないという状況です。
私もともとチャン・イーモウ監督好きで、「HERO」や「LOVERS」でもラストは涙ぐんだものですが、悪いんですが恋愛もので泣いたことはなかったんですよ。だから今回初体験ですね、この手の作品で涙があふれて止まらなかったのは。
何と申しましょうか、ストーリーだけ取り上げて説明すると、ごくごくありふれた話になってしまうのですよ、この「サンザシの樹の下で」は。日本映画でもさんざん取り上げられたテーマで、もはや手垢がついているといってもいい。事前に予備知識を仕入れてなくても容易に展開の予測がつく程度のストーリーです。実話に基づいているそうですが、天安門事件以前のできごとなので、見た目ドラマチックな派手なシーンもありません(日本人にはね。当時のことを知っている中国の方が見たら、ハラハラドキドキ、手に汗握るサスペンスなんだそうです)。
それでも、日本人が見ても心を打たれる作品になっているのは、やはり「一人の人だけを一途に思い続けること」を美しいと感じる心が普遍的なものだからなのでしょうか。或いは日本の文化のほとんどが中国に起因するせいかもしれません。
でも、私は思ったんですよ。
この映画が中国で大ヒットしたのは、「タイタニック」を見た時の物足りない思いを満たしてくれるものがそこにあったからじゃないかって。肉体を超越した、心と心の結び付きの美しさを訥々と語っているのがこの「サンザシの樹の下で」なんじゃないかって。
チャン・イーモウ監督って「秘めたる愛」が好きなんですが、実はこの作品もそうだったりします。
時代はまだまだ文化大革命の嵐が吹き荒れてる頃。
高校生達は「下放」といって農村におくられ、農作業に従事させられてました。
男女交際なんてもってのほか!
特にこの二人にはいわゆる「身分の差」的なものがあるので、周囲に知られたら一大事なのです(そのワリには大胆なので、観客は逐一ハラハラさせられる)。
そういう社会環境でこの二人が互いへの思いを募らせていく様子が細かく描写されているんですが、それが誰にでも覚えのありそうな初恋の時の行動そのままで……ちょっとした表情や仕草にいちいちうなずいてしまうんですよ。時代も国も違っても、ああ、自分にもあんな時あったなあという思いがこみ上げてくるんですね。
「サンザシの樹の下で」で描かれているのは「性」が完全に未知の領域にある少女の恋です。彼女の恋に自分の肉体は必要ないのです。肉体を使わずとも、心と心だけでこんなにも深く愛し合える。それを妙な思い入れを交えずに、ごく淡々と描写しているのがこの作品の素晴らしいところなんだと思います。この透明感は恐らく今の日本の映画では表現できないでしょう。
その透明感はひとえにヒロインを演じたチョウ・ドンユイが醸し出したものだといっても過言ではありません。あどけなさと芯の強さが同時に存在する静かな面立ちと折れそうなほどに華奢な体で、作品全体を支えていました。チャン・イーモウはまた一人宝石のような女優を見いだしたのです。
彼女の相手役であるショーン・ドウも「さわやかな好青年」という、ほとんどあり得ないような存在を現実のものとしていました。
2011年1月11日にブルーレイとDVDがリリースされます。
現代の日本社会の恋愛模様に疲れた方は、是非ご覧下さい。自分がとうに忘れたと思っていた気持ちが蘇ってくるかもしれません。