多様な文化の魅力を紹介 札幌の市民映画館「シアターキノ」が20周年(産経新聞) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120721-00000581-san-ent


わずか29席の超ミニシアターとして産声を上げてから20年。札幌の映画館「シアターキノ」は、市民株主やボランティアの支えもあって、多くの文化関係者や映画ファンが注目する元気な劇場に成長した。ローカル館受難の時代、場所を移転してスクリーン数を2つに増やすなど進化し続けてきた陰には、代表の中島洋(よう)さん(62)、支配人のひろみさん(58)夫妻が、「多様な文化を提供したい」と二人三脚で傾けてきた情熱があった。(札幌支局 藤井克郎)

 7月4日の夕刻、札幌市随一のアーケード街、狸小路にあるライブハウス「mole」の前で、大勢の人が開場を待っていた。この日のイベントは、市民映画館「シアターキノ」の20周年記念パーティー。ライブハウスにしてはやや年齢層が高め(?)の入場客約150人でフロアが埋め尽くされたころ、ステージに中島洋さん、ひろみさん夫妻が登場した。

 「最初からずっこけてしまうのですが、司会を頼んでいた人が風邪で倒れてしまい、2人で司会を兼ねて進行していきます」と洋さんがあいさつすると、会場からは笑いと拍手がわき起こった。

 その後、市民株主や友好団体関係者が次々と登壇。20年前に出資した一人、北海道文化財団の磯田憲一理事長は、札幌の街は手稲山や藻岩山があることで自分の立ち位置が分かると指摘した後、「私はシアターキノは札幌の山であってほしいと思っている。ここに揺るぎなく存在することで自分たちが確認できる、そんなランドマークであってほしい」とエールを送る。

 また、同じく市民株主の上田文雄札幌市長は「20年前、中島洋さんと一緒に夢を見たくて出資したが、夢を見たいという人がこれだけたくさんいるということをうれしく思う。この劇場が存在し続けることができるというのは、私たちの文化度の表れだと思っています」と胸を張った。

 翌日、同じ狸小路にあるシアターキノを訪ねると、中島さん夫妻が前日の疲れもものかは、せっせと日常業務に精を出していた。

 「昨日は大勢の方に夜遅くまで残っていただいて、こういう人たちに支えられてここまで来たんだなと改めて思いました」とひろみさんが振り返れば、洋さんも「10年のときは映画ファンの集まりだったが、今回は映画ファン半分、シアターキノのことを応援したいという人半分で、さまざまなかかわりのある方が参加してくれた。文化関係者のネットワークが広がってきたなという感じがします」と満足そうに話す。

 シアターキノがわずか29席の劇場として誕生したのは、平成4年7月4日のことだった。札幌市内の映画館が次々と閉鎖していった時期で、「このままでいいのか」と危機感を覚えた市民有志と一緒に、自分たちで映画の夢を買おうとスタートした。当初の市民株主は103人だったが、10年に2スクリーン体制の現在の劇場に移ったときに410人に増えた。現在は中島さん夫妻のほか映写スタッフが3人と、さらにボランティア約50人が受付や宣伝の業務を手伝っている。

 「当初から掲げているのは多様性と可能性ということ。世界中にすばらしい映画があり、できるだけ多様な作品を選びたいということと、可能性という点ではこれからの若い才能ある人の作品ですね。これは私たちのマニフェストで、変えてしまったらシアターキノの存在意義はない。市民株主に対してもお客さんに対しても、公約違反になってしまう」と洋さん。

 夫婦2人でやってきたことも、多様性という点でよかったと指摘する。「映画は個人的なもので、その人その人で受け止め方は違うが、上映するのは個人じゃない。一人の趣味だけでやっていったら、続かなかったと思う。市民株主とも議論してきたが、ベースになっているのは2人ですね」と洋さんは打ち明ける。

 20周年記念パーティーは佳境を迎え、お待ちかねのチャリティーオークションが始まった。最初の品は、西川美和監督の最新作「夢売るふたり」で主演の松たか子さんが着用したTシャツやトレーナーなど。「いくらから始めればいいのかな」と洋さんも戸惑いを隠せなかったが、無事に5500円で落札された。

 その後、俳優の寺島進さんが所属する草野球チームのユニホームと帽子、高橋伴明監督が「道~白磁の人~」で使用したジャケットに、CD、ギター、果ては夕張メロンと、さまざまな人から寄せられた逸品が次から次へと登場。中でも市民株主提供のマンガ雑誌の古本は100円ずつ値が上がっていく激しい争いとなり、最後は1万円を超える高値で落札されると会場から歓声が沸き上がった。

 パーティーはさらにアフリカンドラムの演奏家、茂呂剛伸さんのステージに、結城幸司さん率いるアイヌアートプロジェクトによるパワフルなライブと続く。お酒も入ってきた参加者は拳を振り上げ、全身で音楽に酔いしれていった。

 「茂呂さんは、『扉をたたく人』の上映のときにゲストで来ていただいて、太鼓をたたいてもらったのが最初でした。映画から出発して、いろんな人と出会って広がっているんです」とひろみさんは言う。

 シアターキノのロビーの壁は、上映時にゲストで来場した監督らのサインでびっしり埋まっている。もう新たに書くスペースもないほどだが、ゲストと観客とのふれあいも大切にしていることの一つだ。「映画館は見る人と製作者をつなぐ場なんです。僕らと付き合う監督たちは、生の反応を聞きたいという人がすごく多い。そうすることで、お客さんの声を製作現場に戻すことができるわけですからね」と洋さん。

 クイズ企画で年間フリーパスが当たってキノに通い詰め、その後、映画製作の道に進んだ女子高校生もいたという。「映画は人生と密接にかかわっている」と洋さんは信じている。

 地場の映画館やミニシアターを取り巻く環境は決していいとはいえない。特にフィルムからデジタル上映に切り替えようとする映画界の動きが急で、資金力のない劇場は設備を整えることができない。シアターキノはすでに3年前に1スクリーンでデジタル上映を導入したが、洋さんは「問題はハリウッドのシステムを世界中で押しつけていること。デジタルもフィルムもどっちもあればいいんですが」と不満を口にする。

 「これも多様なのがいいんです。僕らは映画を通していろんな文化に触れていただけたらいいなと思ってきた。都市の魅力、札幌の魅力は多様性にあって、新しいものも古いものも、お年寄りも子供も、いろんなものが一つに固まっていないことが重要。それが文化の成熟度になっていると思うんです」

 アイヌアートプロジェクトのステージで熱気が最高潮に達したところで、20周年記念パーティーは幕となった。時間は夜10時になろうとしていた。

 最後に再び登壇した中島夫妻に、会場から熱い拍手が浴びせられる。「キノは幸せ者だなと思いました」とのひろみさんの言葉に、洋さんも興奮して応えた。「文化の力が絶対あるぞ。映画の力も絶対あるぞ」