「るろうに剣心」を見て帰宅したら、何故か無性に「シャーロック」を見たくなって録画したものを鑑賞中。たぶん、似てると思うんだ。周囲から逸脱しているが故に孤独だった者が、自分の孤独を理解してくれる他者とめぐりあえたことで孤独を癒し、そこにひとつの「ファミリー」を築くという点で。
「シャーロック」、見てるのはシーズン1の第三話。自分では何気なく選んだつもりだったんだけど、見てたら「るろ剣」と重なってました。シャーロックはジョンを救うために死地に飛び込む訳ですが、何と申しましょうか、その動機に性的なものは一切ないわけですよ。剣心も同じだったに違いない 。
「るろ剣」は元々少年マンガだからそういう性的な部分は匂わす程度でも何とかなるという利点があるわけですが、「シャーロック」はBBCのドラマなので大人向けなんですよね。で、「第一話」でお互い「ゲイじゃない」と盛大に言い合ってたので、シャーロックとジョンの関係は単なる「友情」なんですよ。
で、思ったわけです。「シャーロック」がこんなに人気があるのは、同性愛というものがある程度人口に膾炙した現代において、男同士の疑念の余地なき「友情」に再び市民権を与えてくれたからじゃないかって。人と人がお互いを大切に思うのに肉体的なつながりはなくてもいいんだと思い出させてくれたのね 。
シャーロックにはマイクロフトという兄もいるけれど、血のつながりよりもジョンと、それとハドソンさんとの間に結ばれた心の絆の方が優先する。その絆はとても家族的なものだけど、本当の家族のように「血のつながり」を盾にとって要求をおしつける事はない。大家のハドソンさんは家賃は要求するけどね。
兄弟でもない男二人が仲良く暮らしていると、もう絶対ゲイだと思われるこの世の中で、奇跡のようにこの二人は「友情」で結ばれていると世間を納得させた故、「シャーロック」は清々しくも面白いのでしょう。はあ、あたし昔「雨月物語」の「菊花の約」読んで感動したんだけど、あれも実はゲイだそうで 。
体のつながりも血のつながりもなくても、精神的なつながりだけで深く結ばれた関係というのがあるというのを、人間、心のどこかで信じていたいと思うんですよ。もちろん金銭的な利害関係も抜きにしてね。でも一度そういうのはドラマの中で滅びてしまったの。「シャーロック」はそれを復活させたのよね。
思えば元祖「スタートレック」、「宇宙大作戦」の頃のスポックとカークに似てますよ、シャーロックとジョンは。立場が違ってスポックであるシャーロックの方が偉そうだけど。ってことはレストレイドはマッコイに当たるのかな? ハドソンさんウーラ? ぶははは(失礼)。
話が果てしなくズレておりますが、「シャーロック」のファンなら「るろうに剣心」も絶対気に入ると思うのですよね。語る手段が言葉じゃなく剣の腕前という違いはありますが、人並み外れてるというのは一緒ですし、血のつながりのない赤の他人同士が疑似ファミリーを形成するというのも同じですから。
この、「血のつながり」を何より重視する日本において、そんなもの屁ともしない「るろうに剣心」ってやっぱり新しかったんだって思いますよ。だからこそ邦画の枠に囚われず、極めて洋画に近い形で映画化できたんでしょうね。配給もワーナーだし。ちょっと「ダークナイト」に似てたし。
でねーでねーでねー、佐藤健君は本当に名優ですから!「電王」の時から「この子スゴイ!」と注目してたけど、今や大作しょってたつ主役に成長しましたから。もーねー、声! 声から主役! その声だけで威風辺りを払う様は「The Grey」のリーアム・ニーソンもかくやですから!
あ、つまり、あの若さにして佐藤健は主役の声を身につけてるんですよ。ラッセル・クロウとか、アル・パチーノとか、いるでしょ、声だけでその場を全てさらう人。そういう声を持ってるんです。で、ちゃんと使い分けてる。「るろうに」と「人斬り抜刀斎」と「緋村剣心」それぞれ違う声で喋るんです。
声もいいけど、目もよくて~~~。健君と咲ちゃんとアップが交互に出てくる場面があるんですが、それ、まるで「目の大きさ勝負」なんですよ。「さて、どっちの目が大きいか?」で、こっちの小さい目をこらしてまじまじスクリーン見てたんですが、軍配は健君! 特殊効果かと思う程、大きい目なのでした 。
そういえば「るろうに剣心」の劇場で、予告の間中うるさく喋ってたお兄ちゃん方がいたんですよ。恐らく原作の大ファンとおぼしき見る目の厳しそうな彼らでしたが、本編が始まるや否やその迫力に気圧されたか静まりかえってしまいました。おかげでその後快適に鑑賞できました♪「るろ剣」恐るべし!