9年ぶり映画出演!『のぼうの城』の野村萬斎さん(読売新聞(yorimo)) - Y!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121102-00000301-yorimo-movi
11月2日(金)公開の映画『のぼうの城』は、わずか500人の兵力で石田三成率いる2万の大軍に立ち向かった戦国末期の武将・成田長親の姿を描いたエンターテインメント時代劇だ。不思議な人柄で農民たちから「のぼう様」(でくのぼうの意)と呼ばれる長親役を演じたのは、これが9年ぶりの映画出演となる狂言師の野村萬斎さん。壮大なスケールの合戦シーンや三成軍が仕掛けた“水攻め”のシーンなど見どころ満載の本作について、萬斎さんが語った。
――完成した映画を観て、ご自身はどんな感想を持ちましたか?
萬斎さん:久々にスケールの大きな映画だなと。それに、公開時期が昨年から1年延びたので、ようやく観ていただくことができてうれしい、というのが率直な気持ちです。この作品は、忍城(おしじょう)の武士や農民たちが三成軍の水攻めと戦い、その後、城の復興に向けて歩き出すという物語ですから、今の日本へのエールになったらいいなと思っているんです。そうは言っても、決して教条的な内容ではなく、エンターテインメントの映画ですから、「百聞は一見にしかず」でぜひ観てほしいです。
――成田長親というキャラクターをどう演じようと考えたのですか?
萬斎さん:監督からは「のぼうには常に白い衣装を着せたい」という話がありました。周りから浮き上がって見えるという視覚的な効果を狙ってのことですが、それを聞いて、「浮いていいんだ、目立っていいんだ」と。目立つためには、他のみんなとテンポを変えたり、空気感を変えたり、といったことを意識しました。のぼうは、基本的には「道化」の立ち位置でしょうか。狂言で言えば、太郎冠者(たろうかじゃ)に近いと思います。頼りがいがあるのかないのか、単なるでくの坊なのかそうでないのか、つかみどころのない、予測のできない演技をすることを心掛けました。
――映画出演は9年ぶりですね。
萬斎さん:『陰陽師』の撮影の直後に、出演のオファーをいただいていたのですが、いろんな事情があって、映画化が延び延びになっていたんです。その間に、脚本を書いた和田竜さんがそれを小説化して、大ヒットしたわけです。実は、それでちょっと困ったことがあって、どういうわけか和田さんは、小説では長親のことを大男として書き換えていたんです(笑)。脚本が先にあって、すでに僕が長親役にキャスティングされているのにもかかわらず、小説には長親が大柄でノッソリとした人物として描かれている。監督も僕もそうしたイメージでとらえていなかったから、ちょっと混乱してしまいました。小説を読んでからこの映画を観た人の中にも、長親を僕が演じているのを観て「なんで?」と思った人がいたようです。もちろん、ぼーっとしている長親役にピッタリだったと言ってくださる人もたくさんいますよ(笑)。
――撮影現場の雰囲気はどうでしたか?
萬斎さん:のぼうの幼なじみで、ともに三成軍と戦う丹波(たんば)役を演じた佐藤浩市さんは、のぼうを実務で支える丹波の役柄のごとく、常にスタッフの皆さんに気配りされて、本当に頼りがいのある方でした。豪傑の和泉守(いずみのかみ)役を演じた山口智充さんは、現場でも“吉本魂”がすごくて、休憩中にもみんなを楽しませてくれたので、現場では笑いが絶えませんでしたね。
のぼうに想いを寄せるヒロイン・甲斐姫(かいひめ)役は榮倉奈々さんですが、彼女と初めて対面した時に「どうして甲斐姫はのぼうのことが好きなの?」って、いきなり聞いてしまったんです(笑)。のぼうはつかみどころのないキャラだから、役作りをするなら、のぼうに惚れた女性に聞くのが1番いいだろうと思って。榮倉さんはさすがに言葉に詰まって「ちょっと考えさせてください」って。でも、それから6時間ぐらい後になって、榮倉さんは「それはやはり、将器、リーダーとしての器に惚れたのではないでしょうか」と答えてくれたんです。確かにこの映画は「リーダーシップ」というテーマにも焦点を当てています。のぼうという人物は頼りなくて隙だらけ。でも、だからこそ取っつきやすいという面もある。さらに、のぼうは、領民たちと同じ目線を持ち、ものごとの本質を見抜くことができる。そうしたのぼうのリーダーとしての資質が、だんだん開花していくんです。敵軍の将・石田三成の姿も含め、「リーダーとは何ぞや」というところに興味を持ってほしいなと思います。
――監督は、犬童一心、樋口真嗣の両監督。「W監督」というのは珍しいパターンですが、いかがでしたか?
萬斎さん:合戦シーンの撮影で、片方がオーケーを出して、片方がオーケーしなかった、といったこともありましたけれど、撮影現場ではいつも一緒にいて、本当に仲がいいんだなと思いましたね。大きな画(え)を撮る時には樋口監督が前に出て、人間くさい芝居を撮る時には犬童監督が前に出る、といったように役割分担をされているようでしたし、何よりも、お互いを尊敬し、認め合っているのがよく分かりました。
――映画やテレビに出演することで、狂言師である萬斎さんが得るものとは何ですか?
萬斎さん:狂言は、2、3人だけが舞台で演じて、演出的には省略が多く、観客の想像力に訴えかける芸です。それに対して、映画やテレビというのは、大勢の人が集まってリアルで具体的な世界を作り上げる。そしてその映像は、そのまま残る。狂言は、弟子や息子に芸を教え伝えることで「芸のDNA」を残していくわけですが、それとは別に、自分の芸を映像として見える形で残したい、という思いがあるんです。だから、今の僕にとって、映像の仕事も大切なものの一つになっています。(取材・文/ヨリモ編集デスク 田中昌義、写真/金井尭子)
【略歴】のむら・まんさい 1966年生まれ、東京都出身。祖父・故六世野村万蔵、父・野村万作に師事し、3歳で初舞台。87年から「狂言ござる乃座」を主宰。97年にNHKの連続テレビ小説「あぐり」に出演、狂言ファンのみならず、幅広い人気を集める。国内外で多数の狂言・能公演に参加、普及に貢献する一方、蜷川幸雄演出「オイディプス王」(2002、04年)をはじめ、数々の舞台に出演。NHK『にほんごであそぼ』へのレギュラー出演(03年~)、世田谷パブリックシアター芸術監督(02年~)を務めるなど、あらゆる活動を通し、現代に生きる狂言師として狂言のあり方を問うている。12年には栗山民也演出の舞台「薮原検校」にも出演。