「96時間」シリーズイッキ観のトークショーで、ブライアンと同じ立場になったらどうすると問われた井筒監督、もちろん同じ事をするよと言下に答えつつも、でも格闘はできないから棒を持って行くと当たり前のように付け足してたワケですが、実はこれ、まんまこういうシーンが「黄金を抱いて翔べ」にあったんですよね~。仲間をボコボコにされた主人公がその仕返しに棒持ってのりこんでくシーン。むこうが素手なら当然棒持ってる方が強いですからね、それで相手を徹底的に叩きのめしちゃうんですよ。


あたしゃそれって卑怯なんじゃないかと思いましたが、相手が強かったり複数だったりしたら勝つために武器(この場合は棒ね)持って行くというのは井筒監督にとってはごく当たり前の発想なんだなと、大変納得いたしました。


で、この「96時間/リベンジ」に呼ばれるのが井筒監督なの、っていうのも何となく理解できましたね。


映画の「黄金を抱いて翔べ」って、大筋としては男達がカネというよりロマンを求めて銀行の地下深く眠る金塊強奪の計画をたて実行するという話なんですけど、その本筋の計画を遂行する妨げとなるのが彼ら自身の人生の中にからんでくる人間関係なんですよね。その中でも一番どうしようもないのが「やったやられた」という暴力行為の応酬にだったりするんです。


どうやら井筒映画の中では何か揉め事が起きたら、とりあえず相手を殴って痛めつけ、「これに懲りたら同じ事するなよ」というのが唯一の解決策らしいのですよ。まあ、殴ることでしか言うことをきかせられない相手である、というのが前提なのかもしれないですが、ことの是非ではなく殴り合いで勝った方が強いから立場が上になるという、大変基本的というか原始的というか本能的というか猿山のボス争い並に分かりやすい社会構造になっております。


しかしですね、ちょっと考えたら分かることですが、コレって繰り返す内に絶対エスカレートしますよね? やられたら、やりかえすことでしか、自分の立場を相手より上にもっていけないですもん、その社会だと。一人にやられたら、次は仲間を頼んでやりかえしに行く。素手でやられたら次は何か武器(棒だって立派な武器)を持って仕返しに行く。報復行為は容易にエスカレートし、血で血を洗う抗争になり、最終的には死によってしか決着をつけられなくなるものです。


この「ちょっと考えたら分かること」が全然分かってないのが映画「黄金を抱いて翔べ」に出てくる男性キャラの皆様でして、あたしゃ映画見てる間中おくちポカーンの茫然状態で、心の中では「そんなコトしたら次また厄介なコトになるだけでしょーー!! なんでそれが分からないのーーー!!!」と叫んでましたわ。


なんで分からないのかって、まあそれが井筒映画の世界だからなんでしょーね。やられたら、やり返す。自分のチカラを見せつけ相手が音を上げるまでやめない。それが男だ、みたいな。他に選択肢ないのか、あんたら。


でも敵対する双方がそう思い込んでる上、エスカレートに上限がないと、報復の対象って係累にまで及ぶんですよね。「黄金を~」の男性キャラの皆様はもちろん分かってませんでしたが。


さて「96時間/リベンジ」では今回敵対する男性陣がほぼ井筒キャラです。トロポヤ県じゃ人類皆オヤジ(←ちゃうて)。やられたならやり返さなきゃ、彼らの男としての面子が立たないのでしょう。ちなみに彼らの世界では女は数に入ってません(たぶん)。


主役のブライアンの方は自分の行動が次に何を引き起こすかは熟知しております。熟知した上で、それに対処する覚悟を決め手アクションしてる分、トロポヤ県の井筒キャラオヤジよりはなんぼかマシでございます。やってるこた、同じにしてもね。


「96時間/リベンジ」の「リベンジ」は、まさに血で血を洗う復讐。立っているのが最後の一人になるまで報復の応酬は終わらない。それでその描写に長けた井筒監督がゲストに呼ばれたのは分かりますが、それにしてももうちょっと映画の大作シリーズに偏見ない人探してきてもよかったんじゃない?