ミュシャと並べるとグロさがひき立ちますな。
日本の印刷技術は優秀なので、チラシだけでも見る価値あります。
というより、チラシの方がずっと見やすかったと、いうのが今回の正直な感想。それというのも、フランシス・ベーコン自身の意向として展示品のほとんどがガラスで覆われていたから。光が反射して大変見にくかったのですよ。鑑賞する側としては作品に肉薄できないもどかしさもありますしね。
こちらはお土産に買った絵はがき。
これも絵はがきで見た時の方が細部まで分かってよかったです。ガラスが反射すると細かい色の差異がよく判別できないんですよね。角度によっては自分が映り込むし。鑑賞しながら隔靴掻痒な感じ。カカカカカ(←意味はない)。
これがベーコンさん御自身の意向だとするなら、彼は自分の心の奥底までのぞかれたくなかったんだな、と思いました。
芸術は自己表現ですから、己の内部をさらけだすものです。
すなわち芸術家というものは、己の内部をさらけださずにはいられない者。
それなのに、絵の中に自分をらけだすだけさらけだしておいて、でもそれを全面的には人に見て欲しくないのでガラスで隔てるというのは、随分と分裂した感覚だなと思いました。小説家で言うなら日本の三島由紀夫ですね。彼の作品もきらびやかな文章に幻惑されはするものの、彼自身が本当は何を訴えたいのかが巧妙に隠されていますから。
ブランシス・ベーコンが打ち明けたくてたまらず、でも誰にも言うわけにはいかず、絵で表現してさえガラスのカバーをかけなければならなかったこと。
それは恐らく彼が男性の恋人を持っていた事に起因するのでしょう。
今でこそゲイであることをカミングアウトする芸術家は増えてますが、当時は隠さなければならなかったはず。その葛藤と苦しみが彼の作品に結実したのかと思うと切実なものがありますね。でも、今ならもう、ガラスで覆わなくてもいいのにね。同性婚が認められつつある世の中ですから。もっともカミングアウトしてたらベーコンがこのような作品を描いたかどうかは定かではありませんが。
ベーコン展はまだギリギリ会期中ですので、興味のある方は赴かれて御自分でご覧下さい。私がおもしろいと思ったのは彼のアトリエの写真。ほぼ実寸と思われるサイズで再現されていましたが、まるでゴミため。床だけじゃなく、部屋全体が。うちのマンションのゴミ集積所の方がまだ整然としてますわ。
その中でキャンバスだけが真っ白で、まるで異世界に通じる窓か扉のよう。
よく見ると、そこに絵を描く道具だけは使いやすいように並べられているのです。他のものは全てカオスの一部になっているんですが、絵筆だけはどれがどれか一目で分かるようになっている。
それを見て思いました。
彼にとっては、絵の中に描く世界こそが自分の存在する所。
それ以外の世界は、例えそこが現実であっても、彼には必要のない場所だったのですね。
現代だと、テレビや映画に出てくるヘビーゲーマーの部屋がこんな有様で描写されております。対象がキャンバスであれゲームの画面であれ、彼らの興味が外界にないのは同じ事。彼らは自分の内的宇宙にのみ、存在価値を見出しているのでしょう。
まあ少なくとも「絵を描く」という行為の方が生産的ではありますが。