インタビューの名手として知られる、映画ライターの金子裕子さん。これまで取材したスターは星の数ほど、というベテランです。そんな金子さんが実際に会って感じた“スターの素顔”を、Stereo Sound ONLINE独占でお届けします! (Stereo Sound ONLINE 編集部)
*
今年1月、ゴールデン・グローブ賞のセシル・B・デミル賞(特別貢献賞)を受賞したジョディ・フォスター。その授賞式でのスピーチが、公の場で初めて同性愛をカミングアウトしたと話題になったのは記憶に新しい。
しかし、彼女の言葉によれば「いま、ここで大げさなカムアウト宣言を期待されると困ります。なぜなら、私は大昔、それこそ石器時代からカムアウトしていたのですから……」ということである。で、その後には、普通でない子供時代を過ごし長い間有名人でいる彼女にとって、普通の生活を過ごすには<闘い>が必要であり、それには心から信頼できて、愛せる人が必須。そして、そういう人がいつも側に居てくれたことに感謝する、というようなスピーチが続く。
しかし、よく聞くと、そこには<子育てのパートナー>とか<ソウルシスター>とか<親友>という言葉はあっても、けして<同性愛者>とか<レズビアン>という直接的な言い回しはない。やっぱり頭がいい!! 聡明という言葉は、まさにジョディのためにある。
彼女と初めて会ったのは、1988年の『告発の行方』に続いて、2度目のアカデミー賞主演女優賞を受賞した『羊たちの沈黙』(91年)のプロモーションでの来日だ。当意即妙で、しかも濃密なコメント。通訳を担当した戸田奈津子さんいわく「切れ味の良いナイフのような頭脳」ということで、早口にして内容の濃いコメントを通訳するのはたいへんだったそうだ。そんな中で、私がいちばん覚えているコメントがある。
「ジョナサン(デミ監督)が、あのスタッフは大丈夫か? この俳優はちゃんとできるだろうか? ジョディ、あのシーンは心配ないか? って。もう、あらゆることを心配していたから、言ってあげたの。“ジョナサン、私もみんなも、まったく問題ない。私が唯一心配しているのは、あなたのことだけよ”って。そしたら、“その通り!”と苦笑いをして、以後は素晴らしい仕事ぶりだったわ」
『羊たちの沈黙』は、当時B級映画の気鋭として注目されたジョナサン・デミ監督の初のメジャー大作。となれば、監督がビビっていたのもうなずけるし、オスカー女優ジョディに喝を入れられれば、発奮するのもさもありなん。笑ってしまった。
2度目の会見は、95年に日本公開された『ネル』(94年)。ここではノースカロライナの山奥で発見された野生の少女ネルの役で、独得の言語を話すという設定。その役作りや、セリフ回しなどについて質問すると、ある程度の説明をした後で、「でも、これ以上はお話しできません」という。そして、「あまり具体的に話すと、観客のイマジネーションを損ないますから。俳優は、その役になりきるために、たとえ口の中に石を入れて台詞を言ったとしても、それを公表すべきではありません。そうなれば、映画を観ている時に"ああ、ここは石をいれているな"と余計な先入観を与えてしまうでしょ」
確かに、おっしゃる通りだ。でも、こちらとしては、微に入り細にわたって知りたいし、訊くのがお仕事でもある。そんな立場を理解してくれているのか、インタビュー終了後には「いい質問をたくさんしてくれて、とても楽しい時間だったわ」とフォローも忘れない。まさに、プロフェッショナル!
さて、その後に会ったのは、彼女が精子提供者の名を明かさずに2人の子供を91年と01年に産んでから数年後の『インサイド・マン』(06年)のロサンゼルス・ジャンケットでのことだ。ブロンドの髪をショートにカットして、肌も薄い小麦色。とても健康的で、輝いていた。
「すごく充実しているの。子育てって、すごく楽しいわ。多くのことを息子たちから学んでいる最中よ。親の私が言うのもなんだけど、2人の息子は、もう、まぶしいくらい、本当に可愛いの。いいわよ、親バカって、言ってちょうだい(爆笑)」
冒頭の受賞スピーチのなかで、この2人の息子を一緒に育ててきたシドニー・バーナードは、かつては恋人だったと言われているがそこには触れず、20年来の親友であり、子育てのパートナーであると紹介し、「ありがとう、シド」と謝辞を贈っている。
思うに、このスピーチによって、メディアが時折思い出したように騒ぎ立てる同性愛の噂に、彼女自身が終止符を打った感がある。しかも、本当のことは<語りもしないが、隠しもしない>という堂々とした内容に、感心するばかり!