モデルプレス - 電撃離婚のミランダ・カー、交際から結婚、不仲、離婚までを振り返る http://mdpr.jp/international/detail/1292234 @modelpressさんから
オーストラリア出身のモデルのミランダ・カーが25日、俳優のオーランド・ブルームとの離婚を電撃発表。今回モデルプレスでは、結婚からこれまでの2人を振り返った。
約3年半の交際を経て、2010年7月にオーランドと結婚したミランダ。翌2011年1月に第1子となる長男フリンくんを出産した。
◆婚約時、「オーランドなら最高の父親になる」
婚約発表時、「オーランドなら最高の父親になるだろうなって思っているわ」と幸せいっぱいのコメントを寄せていたミランダ。そのわずか2ヶ月後のパリコレで産後とは思えぬパーフェクトボディを披露し、早速仕事復帰を果たした。
◆2012年、不仲説が浮上
2012年4月3日に発売されたオーストラリアの雑誌「Who」(Pacific Magazines)の表紙には、15ヶ月の息子フリン君との初の2ショット表紙に登場。そこでは、愛息子を抱き柔和な母の表情を見せていた。
4月27日発売の雑誌「Numero TOKYO」6月号では、オーランドは「とてもいいパパ」だといい「息子が小さい間は、どちらかが必ず家にいると決めたので、私が仕事に出ているときは、 オーランドが家にいてくれる」とまさに二人三脚。親子のヨガクラスに行ったり、公園の木の下で本を読んであげたり…息子とのそんな何気ない瞬間が「どんな ときだっていつも一番幸せな時間だなと感じている。彼を見ているだけでいつも笑顔でいられるし、たくさんの喜びを運んでくれる存在なの」と語った。
9月7日に来日したミランダ。そのとき出演したイベントでは、子育てと仕事を両立する秘訣について、「大事なのは自分の時間をしっかり持つこと。そうすることで子供やパートナーに優しくできるし、仕事も頑張れるの」とコメントした。
9月18日発売の雑誌「GOSSIPS」11月号では、フリン君に弟や妹ができる可能性について「多分、イエスよ」とコメントし、子作りにも意欲的な姿勢を示唆していた。
11月に行われたヴィクトリアズ・シークレット・ファッションショーのテレビ放送を前に、トーク番組に出演したミランダ。そこでは、「男は見た目で判断す る生き物だってことを忘れちゃだめ。毎日、少しメイクをして、ステキなランジェリーを身につけること。そうすれば夫は離れていかないって言われたわ」と祖 母から教わったという、夫をつなぎとめる術を明かし、ランジェリー姿でランウェイを歩くのは平気だが、オーランドが客席にいたときだけは緊張してしまうと いうエピソードを披露した。
クリスマスの翌日の12月26日には、家族3人で外出する様子をパパラッチされていたミランダ。その年の後半、ミランダとフリン君は各地でしばしばパパラッチされていたが、オーランドの姿が全然現れなかったため、不仲説が囁かれていたが、この件で不仲説を一蹴させた。
◆2013年、夫婦揃ってイベントに登場
今年に入ってからは、1月4日にLAの路上でキスしていた瞬間をパパラッチされたミランダとオーランド。以前から浮上していた不仲説を完全否定するよう だったという。また、13日には第70回ゴールデン・グローブ賞授賞式のレッドカーペットに、夫婦揃って登場するなど、仲良しっぷりをアピール。さらに、 1月下旬には、家族3人でメキシコ旅行を楽しでいた様子が報じられていた。
2月に入ってからも、ハリウッドで行われたアカデミー賞プレパーティに夫婦揃って登場。ミランダがオーリーの肩に手をまわすなど、ラブラブな様子がパパラッチされていた。また、7月にも家族3人で休日を楽しんでいた様子を報じられていた。
7月18日に再び来日したミランダ。そのとき出演したイベントでは、お土産について問われると「主人が好きな海苔のせんべいと箸と扇子を買う予定」と答え、夫思いの一面を明かした。
9月18日発売の雑誌「GOSSIPS」11月号では、お互い多忙な生活を送っていても、現在もラブラブだといい、「家族みんなでお風呂に入るわ」と夫婦 円満の秘訣を紹介。さらに、「休日は、ハイキングに行ったりするの」「料理が好きなの。作るものは、夫が何を食べたいかによるわ」とラブラブっぷりをア ピールした。
◆ミランダ、トップモデルとしての活躍
ミランダは、1997年の13歳のとき、雑誌「ドーリー」のオーディションで優勝し、モデルデビュー。高校卒業後の2004年、ニューヨークへ移り、モデ ル事務所と契約。本格的にモデル業をスタートさせた。2006年、メイベリン・ニューヨークのキャンペーンモデルに起用されたことがきっかけでブレイク。 同じく2006年には、オーストラリア人モデルとして初めてアパレルブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」に起用され、ヴィクトリアズ・シークレッ ト・エンジェルとして活躍していたが、今年の春に同ブランドのモデルを引退した。
日本では、2012年にファッションブランド「サマンサタバサ」プロモーションモデル契約を締結。さらに、「EMODA(エモダ)」秋冬ヴィジュアルイメージモデルとして起用、「リプトン リモーネ」CMに出演していた。
オーストラリア出身のモデルのミランダ・カーが25日、俳優のオーランド・ブルームとの離婚を電撃発表。今回モデルプレスでは、結婚からこれまでの2人を振り返った。
約3年半の交際を経て、2010年7月にオーランドと結婚したミランダ。翌2011年1月に第1子となる長男フリンくんを出産した。
◆婚約時、「オーランドなら最高の父親になる」
婚約発表時、「オーランドなら最高の父親になるだろうなって思っているわ」と幸せいっぱいのコメントを寄せていたミランダ。そのわずか2ヶ月後のパリコレで産後とは思えぬパーフェクトボディを披露し、早速仕事復帰を果たした。
◆2012年、不仲説が浮上
2012年4月3日に発売されたオーストラリアの雑誌「Who」(Pacific Magazines)の表紙には、15ヶ月の息子フリン君との初の2ショット表紙に登場。そこでは、愛息子を抱き柔和な母の表情を見せていた。
4月27日発売の雑誌「Numero TOKYO」6月号では、オーランドは「とてもいいパパ」だといい「息子が小さい間は、どちらかが必ず家にいると決めたので、私が仕事に出ているときは、 オーランドが家にいてくれる」とまさに二人三脚。親子のヨガクラスに行ったり、公園の木の下で本を読んであげたり…息子とのそんな何気ない瞬間が「どんな ときだっていつも一番幸せな時間だなと感じている。彼を見ているだけでいつも笑顔でいられるし、たくさんの喜びを運んでくれる存在なの」と語った。
9月7日に来日したミランダ。そのとき出演したイベントでは、子育てと仕事を両立する秘訣について、「大事なのは自分の時間をしっかり持つこと。そうすることで子供やパートナーに優しくできるし、仕事も頑張れるの」とコメントした。
9月18日発売の雑誌「GOSSIPS」11月号では、フリン君に弟や妹ができる可能性について「多分、イエスよ」とコメントし、子作りにも意欲的な姿勢を示唆していた。
11月に行われたヴィクトリアズ・シークレット・ファッションショーのテレビ放送を前に、トーク番組に出演したミランダ。そこでは、「男は見た目で判断す る生き物だってことを忘れちゃだめ。毎日、少しメイクをして、ステキなランジェリーを身につけること。そうすれば夫は離れていかないって言われたわ」と祖 母から教わったという、夫をつなぎとめる術を明かし、ランジェリー姿でランウェイを歩くのは平気だが、オーランドが客席にいたときだけは緊張してしまうと いうエピソードを披露した。
クリスマスの翌日の12月26日には、家族3人で外出する様子をパパラッチされていたミランダ。その年の後半、ミランダとフリン君は各地でしばしばパパラッチされていたが、オーランドの姿が全然現れなかったため、不仲説が囁かれていたが、この件で不仲説を一蹴させた。
◆2013年、夫婦揃ってイベントに登場
今年に入ってからは、1月4日にLAの路上でキスしていた瞬間をパパラッチされたミランダとオーランド。以前から浮上していた不仲説を完全否定するよう だったという。また、13日には第70回ゴールデン・グローブ賞授賞式のレッドカーペットに、夫婦揃って登場するなど、仲良しっぷりをアピール。さらに、 1月下旬には、家族3人でメキシコ旅行を楽しでいた様子が報じられていた。
2月に入ってからも、ハリウッドで行われたアカデミー賞プレパーティに夫婦揃って登場。ミランダがオーリーの肩に手をまわすなど、ラブラブな様子がパパラッチされていた。また、7月にも家族3人で休日を楽しんでいた様子を報じられていた。
7月18日に再び来日したミランダ。そのとき出演したイベントでは、お土産について問われると「主人が好きな海苔のせんべいと箸と扇子を買う予定」と答え、夫思いの一面を明かした。
9月18日発売の雑誌「GOSSIPS」11月号では、お互い多忙な生活を送っていても、現在もラブラブだといい、「家族みんなでお風呂に入るわ」と夫婦 円満の秘訣を紹介。さらに、「休日は、ハイキングに行ったりするの」「料理が好きなの。作るものは、夫が何を食べたいかによるわ」とラブラブっぷりをア ピールした。
◆ミランダ、トップモデルとしての活躍
ミランダは、1997年の13歳のとき、雑誌「ドーリー」のオーディションで優勝し、モデルデビュー。高校卒業後の2004年、ニューヨークへ移り、モデ ル事務所と契約。本格的にモデル業をスタートさせた。2006年、メイベリン・ニューヨークのキャンペーンモデルに起用されたことがきっかけでブレイク。 同じく2006年には、オーストラリア人モデルとして初めてアパレルブランド「ヴィクトリアズ・シークレット」に起用され、ヴィクトリアズ・シークレッ ト・エンジェルとして活躍していたが、今年の春に同ブランドのモデルを引退した。
日本では、2012年にファッションブランド「サマンサタバサ」プロモーションモデル契約を締結。さらに、「EMODA(エモダ)」秋冬ヴィジュアルイメージモデルとして起用、「リプトン リモーネ」CMに出演していた。