「エージェント・ライアン」公式サイト

これ、アメリカでの興行成績がぱっとしなかったんで、つまらなかったらどうしようとちょっと心配しながら見に行ったんですが、どうしてどうして、大変良くできたサスペンスに仕上がってました。

とはいえ近頃はこういう「大変良くできた」作品は人気が出ないのよね。「大脱出」や「エンダーのゲーム」もそうだったけれど、過去に大ヒットした「おもしろい作品」のセオリー通りに作ってたんじゃあもうダメなのよね。時代遅れというのではなく、それがあまりにも型にはまったパターンの踏襲であることに観客が気づいてしまっているというか……。意外な展開さえも「そろそろこの辺で”意外な展開”が出てくるんだよな」的水戸黄門の印籠扱いになり果てているのですわ。

それを超えるためには「アベンジャーズ」や「スタートレック」のように、何でもいいからとにかくてんこ盛りにして観客を飽きさせないか、或いは「ドライヴ」のように何か突出して光るものが必要なんだと思います。

「エージェント・ライアン」において突出した光はただ一つ、ケネス・ブラナーの演技!

ケネス・ブラナー、この作品では監督も努めてますが、やはり俳優として超一流です。主役のクリス・パインやその上司役のケヴィン・コスナーを一瞬でかすませ場をさらう程の凄まじい表情を見せてくれました。さすがシェークスピア役者だわ。

それは、人が真実を悟った瞬間の表情。
よく「稲妻に打たれたような」とか「その場に凍り付いたような」といういう表現が使われますが、本気でそれだけのショックを受けた顔というのは映画ではなかなかお目にかかれるものではありません。そもそもそれだけの洞察力を備えたキャラ自体が少ないし、「洞察」という行為は静かでノーアクションなので映画的に見せ場になりませんからね。

しかしそれをケネス・ブラナーは「エージェント・ライアン」の中でやってのけちゃったのですよ。彼のした表情というのは、周囲の状況から得られるデータから脳が達した結論だけがポンと潜在意識に浮き上がり、「自分の身に何が起きたか」に対する解答が疑問より先に脳裏に浮かんだ時にするものなんですよね。それが「稲妻に打たれたような」。考え始めるより先に気づいてしまうので、身体が付いていきません。その後脳から解答に至る道筋が潜在意識の方にプリントアウトされてくるので、その間動きが止まります。これが「その場に凍り付いたような」。

書くのはたやすいですが、その間数秒、表面上はほとんど変化がないわけですよ。表情に変化がつけられず目立った動きもないという状況、演技でどうやったら表現できると思います? 

まあ通常だったら上記の表情を幾つかに分割し、わかりやすい「疑問を抱く」「過去を振り返る」「現在と照らし合わせる」「推理する」「解答を得る」「確認する」ぐらいまでを目まぐるしく変化させたりするのでしょうが、見た目ではわかりやすいですが時間かかりすぎるし、第一それじゃ「洞察」にはなりませんからね。

或いは表情全部省いて「これは俺の直感だが」とべらべら喋り出すかもしれませんが、これはもっと時間かかるし、やっぱり「洞察」の演技とはほど遠いです。

舞台ならばふと立ち止まって動きを止めるといった身体を使った表現ができますが、映画では難しい。うっかりすると演技に空白が生まれたように受け取られかねない。

しかしその難しい演技をやってのけたんですよ、ケネス・ブラナーは、凝縮された数秒間に。ごくごく自然に、わざとらしさのカケラもなく。

この演技を見た瞬間、私のこの映画に対する評価が跳ね上がりました。昔のメーターだったら針が振り切れちゃうぐらい。この数秒のケネスの演技こそ、「エージェント・ライアン」の光であり、華ですね。

この場面でヴィクトル・チェレヴィンの洞察力、すなわち彼がどのようにして解答に到達するかを見せることがこの映画の鍵になります。

実はこの映画には彼に匹敵する洞察力の持ち主がもう一人います。
それこそが主人公のジャック・ライアンで、膨大なデータを元に彼が達する結論がどんなに突飛であっても正しいというのは、洞察力の賜なんですよね。

だからそのあと、何故彼がそれを瞬時に理解できるのか、という理由付けはすっ飛ばして事態はポンポン展開します。「CSI」のように誰かが何かを注視するとそれは決まって手がかりなんですが、「CSI」ならまだセリフで親切に教えてくれるところで、「エージェント・ライアン」は表情とその後の行動だけで進行していきますからね、早い早い。

一度ケネス・ブラナーの演技で「洞察」の過程をしっかり見ているので、ジャックを演じるクリス・パインはもうそれを繰り返す必要がないんです。観客は、「あ、さっきのケネスのようにして正しい結論に到達しているんだな」と勝手に理解しちゃうので。クリスの見せ場は結論に達してから即座にうつる行動の方にあるので、展開がスピーディーになる後半のアクションは「ボーン」シリーズ並におもしろいです。ジェイソン・ボーンが素早く的確な判断を下せるのは訓練と経験の成果ですが、ジャック・ライアンはその代わりに洞察力を駆使してると言えましょうか。まあ、ボーンの洞察力も優れているし、ライアンも戦闘訓練はしっかり積んでいるので、似たもの同士ともいえるのですが。

そうなんです、この「エージェント・ライアン」は今世紀に生きるジャック・ライアンなので、それなりの設定が映画の前半できちんとなされているのですよ。最初はお気楽な学生として登場した彼が何故軍隊に入ったのか、そこからどのようにしてケヴィン・コスナー演じるハーパーにCIAに勧誘(リクルート)されるに至ったかがテンポ良く語られています(でも、ここまでならやっぱりセオリー通りの「良くできた作品」でしかないのです)。キーラ・ナイトレイ演じるキャシーの存在がイマイチ不可解でしたが、途中で理由がわかるようになります。しかしキーラちゃんって結婚してもなんか幸せじゃない役が多いなあ……。その他、キャラの配置の的確さもセオリー通りなので、まあ、ケネスの「洞察」の演技が理解できない人にとってはこれは取り立てて光りのない、パターン通りの大作に思えたかもしれません。

それと、これがアメリカでヒットしなかったのは、アメリカには「24」という、テロを扱ったら右に出るものがないテレビシリーズがあったから。「24」のどろっどろのドラマと国家どころか地球の存亡さえ危うくするような直接的なテロ攻撃の内容に比べると、「エージェント・ライアン」はさっぱりしすぎてたんだと思います。「24」が店創業以来捨ててないおでん屋のだし汁だとしたら、「エージェント・ライアン」はガス入りのミネラルウォーター。そのぐらいの違いがありましたので、どろっどろになれたアメリカの観客には物足りなかったのではないかと。

そうそう、もうひとつ、これが一番足りてないというのがありました。

それはクリス・パインのボコられ具合。

やー、クリス・パインって、何か顔見ただけで殴りたくなるヤツじゃないですか~、わけもなく。映画の中でも言われてましたけど、「遠足前日のようなニヤケ顔はよせ」って、まさにそのニヤケ顔が殴りつけたくなる気持ちを呼ぶのよね。ハンサムな上見るからに熱血な正義勘に見えるせいでしょうか、「アンタ、暑苦しいのよ!」みたいな。本人には何の落ち度もないのに。

だからこそ「スター・トレック」では集団相手にケンカしてボコボコにされて、あろーことかあのハンサムな顔で鼻の穴二つに紙ナプキン突っ込んでる所をアップにされてたんですよ。クリス・パインはあのぐらいされてからじゃないと、観客の心をつかめないの! (殴りたいという欲求がかなえられたような気がして、気が済むんでしょうな)

「エージェント・ライアン」ではひどい重傷を負ったシーンとか襲撃されるシーンは出てくるんですが、でもそれじゃダメなのよね。クリス・パインは拳で顔ボコられてナンボよ。あの濃い顔は殴られたアザで色がついて、ようやく落ち着くのね(←ヒドイ)。

でもクリスの当たり役である「スター・トレック」のカーク同様、ジャック・ライアンも他人のために奔走する役でした。彼にはこういうのが似合うのよね♪

貫禄の増したケヴィン・コスナーは「マン・オブ・スティール」に続いて見込みのある若者を拾って一人前に育て上げる役でした。これからこういう役で出番が増えてくれると嬉しい♪ 

そういえばケネス・ブラナーの演技を見ていて思い出したのはトム・クルーズ主演の「ワルキューレ」でした。彼が立っている森の雰囲気が似ていたのかな……寒々しい針葉樹林。

今回メインとなる舞台はロシア。去年マクレーン父子禍で壊滅状態に陥ったモスクワですが、すっかり復興しておりました(←映画が違うってば)。が、「エージェント・ライアン」を見終わったあとだと、マクレーン父子に「もっとやれ!」と声援をおくっとけばよかったと思ったりして……。

いや、ロシヤの殺しやは恐ろしやとはよく言ったものです。