「フランケンシュタイン」ベネ様博士verの感想はこちら
結論から先に申しますと、私はベネディクト・カンバーバッチがフランケンシュタイン博士でジョニー・リー・ミラーがクリーチャーを演じている方が見ていてしっくりきましたね。
それは演技力云々の問題ではなく、本人の持っている資質とか雰囲気がその役に似合うかどうかということなのです。例えば博士の着ているクラシックなハイネックの衣装はベネ様の方がよりよく似合っている、とかね。怪物の衣装は似合うも似合わないもないような人様が着古したボロなんですが……なんでかベネ様が着てるときちんと見えるのね。ジョニーが着てるとまともな服として目に映ってこないのに。実際ベネ様クリーチャーバージョン見て、「あ、あれ、ちゃんとした服だったんだ」と、初めて思ったぐらいで……もしかしたらバージョンによってクリーチャーの衣装が違うのかしら?????
とはいえ、それは単に衣装だけの違いではないのですよ、怪物が「まとも」に見えるかどうかというのは。ジョニー・リー・ミラーが演じると、怪物には狂気が宿って見えるのですね。もう誕生した直後から何かが違ってしまっているという感じ。話通じなくても仕方ないかと思えます。
それに対しベネ様がクリーチャーを演じた場合は、古着を着て居てさえ端正に見えるたたずまいなせいか、きっと話せば分かるんじゃないかという雰囲気が漂っているのですよ。優しそうにさえ見えます。だからジョニーの怪物ほど見てて恐くないのね。
かたやジョニーの怪物たるや鬼気迫るものがあって、その一挙手一投足に目が釘付けになるのですよ。身体のキレではジョニーの方がベネ様より上かもしれません。
しかしそのジョニーの長所は博士役の方ではあまり生かせないわけですよ。博士というものはぎょろぎょろした目でせかせか歩くより、冷静な表情で大股で歩いている方がそれっぽく見えますもの。
博士にはやはりベネ様の方がしっくりきます。いかにも頭が良さそうで、高等教育を受けて研究にその身を捧げた風情と、その時代にそれが許されるだけの育ちの良さ! それがベネ様自身から醸し出されてるんですよね。
ジョニーの方は……まあ、博士だと言われればそうですかと言うだけで、それ以上の感想はないというか。まず衣装の似合い度においてベネ様に格段の差を付けられてるのが敗因ですね。見た目の印象って大きいのだわ。演技は問題ないんですけどね。
見た目といえば、これ、特殊メイクがすごいんですよ! クリーチャー(怪物)は死体をつなぎ合わせて作られたという設定なので、身体のあちこちに縫い目が浮き上がってるんですが、それが超リアルなの! 見ているだけで痛々しくなります。ジョニーのメイクは完全に髪を剃った上に施されているのですが、ベネ様の方はちょっと違っているんですよね。こちらの怪物には髪がまばらにあるんです。そのせいか頭の傷の入り方も違うようです。身体や脚にも生々しい縫い目があるんですが、やはり容貌を左右するのは顔の傷。その傷のひきつれが原因でクリーチャーは最初言語の発声に苦労するんですが、それが秀逸だったのはジョニーの方でした。とにかくずーっとヨダレ垂らしながら喋ってたもんな。あれ、演技だと思うんだけど、それにしても凄い迫力でした。
以上の理由で私はジョニーが怪物でベネ様が博士バージョンの方に軍配を上げます。最初に見たからというのもあると思いますけどね。ジョニーの怪物演技に度肝を抜かれたから。
これは上手い下手ではなく、演技者の資質の問題だと最初にも書きましたが、一言で表すならジョニーが「熱」でベネ様が「冷」なんですよ(それぞれの漢字の後ろに「血」はつけなくていいです)。別に性格が「熱い」とか態度とか「冷たい」というのでもなく、言ってみれば感情の振れ幅でしょうか。0を境にジョニーが10から-10の間で振れるとしたら、ベネ様は最大がんばっても7か8ってところなんじゃないかと……。でも、恐らくそれが普通の人の振れ幅なんですよ。ジョニーの「10」というのは、狂気との境ギリギリか、或いは超えちゃってるところにあるような気がする。で、クリーチャーって、常に10で振れてるのね、人間じゃないから。
博士は人間なので、最大値まではよっぽどの事がないと到達しません。普段は2とか3ぐらいで人生おくっています。これは普通の人間にしてはいささか感情表現が薄い感じですね。まあベネ様にはぴったりなイメージですが。
博士も後半では激動の人生になるわけで、激しい感情の発露も頻繁にあるのですが、普段冷静だった人がそこまで……という悲哀を誘うのはベネ様の方なのです。ジョニーが博士の場合は、どんどん狂気の淵にはまり込んでいく恐ろしさを感じる反面、でも結局自分が悪いんじゃんという突っ放した見方にもなりますね。
それは怪物を演じていても同じ事で、ベネ様の怪物は「何故ここまでしなければいけなくなったんだ……」という苦悩を、ジョニー怪物からは「俺がここまでするのはすべて貴様のせいだ!」という怒りをより強く感じます。ほんとに微妙な違いなんですけどね。
でも最後まで見ると、人なつっこくて可愛いのはジョニーの方の怪物なんですよね! ダメなヤツなんだけど、見捨てられない。子犬みたいな部分があるんですよ。
そしてその怪物に一段上に立って物を言いつけて、それで観客一同をぐっと感動させるのがベネ様の博士なんですよね。
この違いって、二人が演じているシャーロックの違いそのものですよね♪ 「エレメンタリー」でジョニーが演じているシャーロックは表面はとんがってるけど心の中は人恋しさであふれてて、ジョーン・ワトソンをなんとか自分の土俵に上げて対等の仲間にするべく努力を惜しまないじゃないですか。きっと一人ぼっちで居るのが寂しい人なんですよ。
それに対してベネ様のシャーロックは、たぶん一人でいても平気。自分が人と違う事は理解しているので、自分と同じ存在は望まない。でも自分の存在をそのまま受け入れてくれるジョン・ワトソンに出会った時、初めて充足という感覚を得たんじゃないかな? だから一旦友達と認めた彼をとことん守る。感情よりも理性優先とはいえ、決めたことは貫く人なので、結果的に友情に篤く忠実なんですよね。
ま、どちらのバージョンであっても脚本がとんでもなく優れているので見応え充分です。これを見ると「フランケンシュタイン」がSFの祖であることがよく分かります。現代の科学にも警鐘を鳴らす、先鋭的な作品だと思います。
字幕もよいできだとは思うんですが……幾つか誤植があるのが残念でした。
「ボルタの電池」ではなく「ボルタの電堆」というものは実際にあるそうなのでそれは間違いではないんですが、「内臓」が「内蔵」になってるのはないぞう……(すいません)。
それと、ずーっとエリザベスエリザベスとちゃんと字幕に出しておきながら、ここ一番の最も重要なシーンの時に「エリザバス!」というのはね、あんまりじゃないでしょうか。どんなバスだよと、すっごいシリアスなシーンなのに吹き出したくなるのでこれだけは直して欲しいわ。
これからご覧になる方は、できれば両方見比べてくださいませ。
さあ、次はトム・ヒドルストンの「コリオレイナス」だ!
結論から先に申しますと、私はベネディクト・カンバーバッチがフランケンシュタイン博士でジョニー・リー・ミラーがクリーチャーを演じている方が見ていてしっくりきましたね。
それは演技力云々の問題ではなく、本人の持っている資質とか雰囲気がその役に似合うかどうかということなのです。例えば博士の着ているクラシックなハイネックの衣装はベネ様の方がよりよく似合っている、とかね。怪物の衣装は似合うも似合わないもないような人様が着古したボロなんですが……なんでかベネ様が着てるときちんと見えるのね。ジョニーが着てるとまともな服として目に映ってこないのに。実際ベネ様クリーチャーバージョン見て、「あ、あれ、ちゃんとした服だったんだ」と、初めて思ったぐらいで……もしかしたらバージョンによってクリーチャーの衣装が違うのかしら?????
とはいえ、それは単に衣装だけの違いではないのですよ、怪物が「まとも」に見えるかどうかというのは。ジョニー・リー・ミラーが演じると、怪物には狂気が宿って見えるのですね。もう誕生した直後から何かが違ってしまっているという感じ。話通じなくても仕方ないかと思えます。
それに対しベネ様がクリーチャーを演じた場合は、古着を着て居てさえ端正に見えるたたずまいなせいか、きっと話せば分かるんじゃないかという雰囲気が漂っているのですよ。優しそうにさえ見えます。だからジョニーの怪物ほど見てて恐くないのね。
かたやジョニーの怪物たるや鬼気迫るものがあって、その一挙手一投足に目が釘付けになるのですよ。身体のキレではジョニーの方がベネ様より上かもしれません。
しかしそのジョニーの長所は博士役の方ではあまり生かせないわけですよ。博士というものはぎょろぎょろした目でせかせか歩くより、冷静な表情で大股で歩いている方がそれっぽく見えますもの。
博士にはやはりベネ様の方がしっくりきます。いかにも頭が良さそうで、高等教育を受けて研究にその身を捧げた風情と、その時代にそれが許されるだけの育ちの良さ! それがベネ様自身から醸し出されてるんですよね。
ジョニーの方は……まあ、博士だと言われればそうですかと言うだけで、それ以上の感想はないというか。まず衣装の似合い度においてベネ様に格段の差を付けられてるのが敗因ですね。見た目の印象って大きいのだわ。演技は問題ないんですけどね。
見た目といえば、これ、特殊メイクがすごいんですよ! クリーチャー(怪物)は死体をつなぎ合わせて作られたという設定なので、身体のあちこちに縫い目が浮き上がってるんですが、それが超リアルなの! 見ているだけで痛々しくなります。ジョニーのメイクは完全に髪を剃った上に施されているのですが、ベネ様の方はちょっと違っているんですよね。こちらの怪物には髪がまばらにあるんです。そのせいか頭の傷の入り方も違うようです。身体や脚にも生々しい縫い目があるんですが、やはり容貌を左右するのは顔の傷。その傷のひきつれが原因でクリーチャーは最初言語の発声に苦労するんですが、それが秀逸だったのはジョニーの方でした。とにかくずーっとヨダレ垂らしながら喋ってたもんな。あれ、演技だと思うんだけど、それにしても凄い迫力でした。
以上の理由で私はジョニーが怪物でベネ様が博士バージョンの方に軍配を上げます。最初に見たからというのもあると思いますけどね。ジョニーの怪物演技に度肝を抜かれたから。
これは上手い下手ではなく、演技者の資質の問題だと最初にも書きましたが、一言で表すならジョニーが「熱」でベネ様が「冷」なんですよ(それぞれの漢字の後ろに「血」はつけなくていいです)。別に性格が「熱い」とか態度とか「冷たい」というのでもなく、言ってみれば感情の振れ幅でしょうか。0を境にジョニーが10から-10の間で振れるとしたら、ベネ様は最大がんばっても7か8ってところなんじゃないかと……。でも、恐らくそれが普通の人の振れ幅なんですよ。ジョニーの「10」というのは、狂気との境ギリギリか、或いは超えちゃってるところにあるような気がする。で、クリーチャーって、常に10で振れてるのね、人間じゃないから。
博士は人間なので、最大値まではよっぽどの事がないと到達しません。普段は2とか3ぐらいで人生おくっています。これは普通の人間にしてはいささか感情表現が薄い感じですね。まあベネ様にはぴったりなイメージですが。
博士も後半では激動の人生になるわけで、激しい感情の発露も頻繁にあるのですが、普段冷静だった人がそこまで……という悲哀を誘うのはベネ様の方なのです。ジョニーが博士の場合は、どんどん狂気の淵にはまり込んでいく恐ろしさを感じる反面、でも結局自分が悪いんじゃんという突っ放した見方にもなりますね。
それは怪物を演じていても同じ事で、ベネ様の怪物は「何故ここまでしなければいけなくなったんだ……」という苦悩を、ジョニー怪物からは「俺がここまでするのはすべて貴様のせいだ!」という怒りをより強く感じます。ほんとに微妙な違いなんですけどね。
でも最後まで見ると、人なつっこくて可愛いのはジョニーの方の怪物なんですよね! ダメなヤツなんだけど、見捨てられない。子犬みたいな部分があるんですよ。
そしてその怪物に一段上に立って物を言いつけて、それで観客一同をぐっと感動させるのがベネ様の博士なんですよね。
この違いって、二人が演じているシャーロックの違いそのものですよね♪ 「エレメンタリー」でジョニーが演じているシャーロックは表面はとんがってるけど心の中は人恋しさであふれてて、ジョーン・ワトソンをなんとか自分の土俵に上げて対等の仲間にするべく努力を惜しまないじゃないですか。きっと一人ぼっちで居るのが寂しい人なんですよ。
それに対してベネ様のシャーロックは、たぶん一人でいても平気。自分が人と違う事は理解しているので、自分と同じ存在は望まない。でも自分の存在をそのまま受け入れてくれるジョン・ワトソンに出会った時、初めて充足という感覚を得たんじゃないかな? だから一旦友達と認めた彼をとことん守る。感情よりも理性優先とはいえ、決めたことは貫く人なので、結果的に友情に篤く忠実なんですよね。
ま、どちらのバージョンであっても脚本がとんでもなく優れているので見応え充分です。これを見ると「フランケンシュタイン」がSFの祖であることがよく分かります。現代の科学にも警鐘を鳴らす、先鋭的な作品だと思います。
字幕もよいできだとは思うんですが……幾つか誤植があるのが残念でした。
「ボルタの電池」ではなく「ボルタの電堆」というものは実際にあるそうなのでそれは間違いではないんですが、「内臓」が「内蔵」になってるのはないぞう……(すいません)。
それと、ずーっとエリザベスエリザベスとちゃんと字幕に出しておきながら、ここ一番の最も重要なシーンの時に「エリザバス!」というのはね、あんまりじゃないでしょうか。どんなバスだよと、すっごいシリアスなシーンなのに吹き出したくなるのでこれだけは直して欲しいわ。
これからご覧になる方は、できれば両方見比べてくださいませ。
さあ、次はトム・ヒドルストンの「コリオレイナス」だ!