「ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う」公式サイト

「SHERLOCK3」公式サイト


「ワールズ・エンド」と「SHERLOCK」の共通点は何かといえば、そりゃマーティン・フリーマンが出演してるってことに尽きますね。


「ワールズ・エンド」ではゲイリーに誘われればすぐその気になってどこにでもついていってしまうお人好しのオリヴァー。


「SHERLOCK」ではシャーロックの披露する推理と犯罪現場の危険な香りに魅せられてどこにでも飛び込んで行くお人好しのジョン。


極めつけは主役を演じた「ホビット」で、魔法使いのガンダルフに誘われて、一度は断るものの冒険への憧憬断ちがたく、安楽な生活を投げ打ってまでドワーフ達との危険な旅へ身を投じてしまうお人好しのビルボ。


あんたってぇ男はどこまでお人好しなのよ、え? 

頼まれれば誰にでもどこにでもついていってしまうから、一度はうっかり銀河の果てまで行ってしまったというのに(「銀河ヒッチハイクガイド」)、まだ懲りてないの?!


ま、それがマーティン演じる男のいいところなんですけどね♪(以下ネタバレなので写真はさみます)

ビルボ・バギンズ


とはいえ、マーティン(の演じる男)がついていくためには条件があって、それは相手にどうしようもなく魅了されてるということ。そしてそれが「性的魅力」などではなく「知的好奇心」や「冒険心」によるものであるというのが彼に一種独特の不思議な雰囲気をまとわせているんですよね。

中でも彼が最も心酔し、夢中になった対象は疑いもなくシャーロック。次がドワーフ達との冒険の旅でしょうか、どちらも命がけで尽くした分、どちらにも命を賭して守って貰っております。それにふさわしい男なんですよ、ジョンもビルボも。


それに比べるとゲイリー・キング相手の場合は何となくなりゆきでそうなった感が強いです。断るのもなんだし、一緒にいるとそれなりに楽しいからまっいいか、みたいな。その程度ですのでゲイリーの方もオリヴァーはあんまり重要視してなくて、途中でグループからいなくなっててもさほど気にしません。ま、「ワールズ・エンド」ではマーティンは本当に脇役なので。


それでもマーティンがついて行くだけあって、シャーロックとゲイリーには共通点があったんです。「SHERLOCK3」第三話、「最後の誓い」のクライマックスと「ワールズ・エンド」のクライマックスを見て、ふとこの二人が何よりも嫌ってるものって、実は同じなんじゃないかと思ったんですよ。


「最後の誓い」でシャーロックは稀代の恐喝屋、マグヌセンを自らの手で冷酷に撃ち殺します。それはジョンと、彼の妻であるメアリーを守るためですが、自分を守るためでもあったことを忘れてはいけません。


彼が守ったもの、それは自由。

彼が行ったのは、メアリーも、ジョンも、自分も、マグヌセンの指図は受けないという、最終的にして決定的な意思表示でした。


なんぴとたりとも自分を支配するのは許さない。それがシャーロックの根底にある強烈な意志です。最近あまり聞かない言葉になりましたが、反骨精神と言ってもいいですね。この激しい反骨精神ゆえ、シャーロックは時として兄のマイクロフトやレストレイド警部に不必要とも思える敵愾心をむき出しにしたりするのですよ。この二人は権威の代弁者であり執行者でありますから。司法さえも、シャーロックの行動を束縛することはできない……それが「最後の誓い」のクライマックスでした。


シャーロックの場合、自分のとった行動がどんな結果をもたらすかほぼ完全に把握した上で、それが自分にどれだけの犠牲を強いるかをきっちり承知した上で、それでもなお実行するところが非凡なのですよ。マグヌセンを射殺したあと、発した言葉が「僕から離れてろ、ジョン」ですもん。自分がその場で打たれる可能性大だから、ジョンが巻き添えにならないようにとそこまで考えている。この辺の、覚悟を決めていくシャーロックの表情の変化、まさに見ものです。


さて、ことほどさように超絶かっこいい「最後の誓い」に対し、「世界の最後(ワールズ・エンド)」のクライマックスは……微妙にばかっぽいです、はい。緊迫感というより、切羽詰まった感に満ちてるし。でもいいんです、これ、コメディだから。


しかし酔っぱらって切羽詰まった挙げ句にゲイリー・キングが叫んでる言葉が、シャーロックが行動でもぎとったものと何故か同じなんですね。そう、「自由」。ゲイリーはパブを巡りビールをあおり、そして宇宙からの矯正部隊と戦いながらひたすら叫んでいるんです、「オレは自由が欲しいんだ!」と。


ゲイリーの求める「自由」というのは、好きにビールを飲めて他人にあれこれ指図されない自由なんですが、これを高校生だったり依存症の治療で施設に入ってたりする時に求めるのは――事の善悪はおいといて――やはり一種の反骨精神というものでしょう。お行儀よくして小さくまとまって安寧に生きるより、ハチャメチャな道を選びたい。それはそれでかっこよく見えます、若い内はね。


残念ながらゲイリーはシャーロックと違って結果がどうなるか全く気にせず自分の「自由」を追い求めたので、若い時には自分の未来を棒に振り、最終的には人類の未来をも棒に振ることとなったのですが、それでも自由を手に入れた彼は幸せなのですよ。


シャーロックは自分で言ってました、「僕はヒーローじゃない」と。ゲイリーももちろんヒーローなんかじゃありません。あれはただの酔っぱらいです。


それでも彼らがマーティン(の演じる男)の目にも視聴者や観客の目にも途方もなく魅力的に映るのは、全てを捨ててまで自由を求める強さがあるから。「そうする方が君のためなのだ」という説得を、支配を受け入れさせるためのまやかしと本能的に見破る怜悧さがあるから。そして何より、権威にたてつく反骨精神を持っているから。


これって英国の冒険小説等で描かれ続けてきた「かっこよさ」の王道につらなりません? マイクロフトなら冷たく「セオリーどおりじゃないか」なんて言うのかも♪