今朝PCをあけて、頭を殴られるようなショックを受けたのはロビン・ウィリアムズの訃報にふれたからだった。

「なんで、どうして、もしやまた……」オーバードーズかといやな言葉が胸をよぎる。ついこの前、やはりオスカー俳優だったフィリップ・シーモア・ホフマンが、それが原因で命を失ったから。もっと前には大事なヒース・レジャーもオーバードーズが死因で命を失っている。

だが、PCをクリックして記事を開くと、ロビンの死因は自殺らしいと報じられていた。

オーバードーズよりましか……と思ったのは私が日本人だからだろうか。キリスト教の教えでは、自殺は忌むべき行為とされている。どちらであれ、愛する家族を失った御遺族の心痛ははかりしれないものだろう。遺族ではない、ただのファンにすぎない私の心が、彼がこの世にもういないと知って、こんなに苦しいのだから。

私が映画を自分の心の支えと定めたのは1987年。
そうと決めたら最新の情報に触れようと「ショウビズトゥデイ」という、今の「ハリウッド・エクスプレス」に該当するような番組を見始めた頃、ロングランでヒットを飛ばしていたのがロビン・ウィリアムズの「グッドモーニング、ベトナム」で、毎回決まってラジオのDJ役である彼の「グ~~~~~ッドモーーニーーーーーング、ベトナムゥゥ!」という有名なセリフを聞かされていたものだった。

だから、私の映画人生の目覚めは、ロビンの、あの声と共に、あったのだ。

肝心の「グッドモーニング、ベトナム」を見たのはその後随分たってテレビで放映された時だったが。当時は今と違っていつでもすぐに映画を見に行けるような状況ではなかったので。

「今を生きる」はビデオで借りて見たのだったかもしれない。
この映画は傑作で、ロビンだけではなく出てくる少年達も皆名優で、この中の一人がある時、瞬間的に今後の自分の人生にすっかり絶望して、死を決意したシーンが言葉もないのに表情だけであまりにも雄弁で、思わず「あっ、この子、自殺しちゃう!」と叫んだら、次の場面ではもうそうなっていて……とても心が痛かったのを覚えている。映画の中で、その後のロビン演じる教師の姿を見ているのが、つらかった。


他のどの作品を見ても、ロビンの、心の中に深い葛藤を抱えながら、人にはそれを見せず笑顔で振る舞う様子は同じだった。

ああ、彼はどれだけの、決して人には見せない心の引き出しを抱えていたのだろう!

それは、誰にも分かって貰えないという苦しみだ。

「今を生きる」のロビンは、自分の周囲の人間、すなわちいわゆる大人達に分かって貰おうとする努力は放棄して、その代わりに少年達に教えることに人生を捧げていた。その中で、自分の心を理解してくれる人間が一人でも、二人でも、育たないかとかすかな希望の元に。

だが、彼が最も期待をかけていた少年は、大人になることを死という方法でもって拒絶した。

それはロビンが、彼が演じる教師が、かつて夢見たことだったのだと思う。

だから彼は教職を去る。自分を再生産することに希望がないから。そして遺された者が負う感情を体験したことで、これ以上自分が手塩にかけた生徒を失うことに耐えられないと思ったから。ついでにたぶん、自分が自殺しても傷つく人がたくさんいることも悟ったのだろう。

でも、それから25年たって、もういいと思ったのだろうか。
自分は充分我慢した、もう解放されてもいい頃だと思ったのだろうか。
それともコメディアンの宿命である常に周囲の人を笑わせ続けなくてはならないという、その重圧に耐えきれなくなったのだろうか。

彼は重度の鬱に苦しんでいたというから、恐らく自殺は衝動的なものだろう。だからこそ防げなかったのだろうが、未遂に終わって欲しかったと心底思う。世界はまだまだロビンのような人を必要としてるのに!

その一方、ようやく本懐を遂げられて楽になったのねと思う自分もいる。私が知ってるだけで四半世紀、随分我慢したんだねって。

ただ今は、自ら命を絶ったことで彼に平安が訪れて欲しいと願うばかり。

願わくは彼の今までの努力があの世でねぎらわれますように!

彼を失って、地上からは少しばかり楽しい笑い声が失われてしまうことでしょう。たぶん、私の人生からも。