ミニ劇場『横浜シネマリン』再開させた女性経営者の「夢」と「苦悩」(産経新聞) - Yahoo!ニュース http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150329-00000527-san-movi
昭和歌謡にも歌われた伊勢佐木町はかつて、横浜随一の繁華街として隆盛を極めた。映画館もひしめき合うようにして軒を連ねていたが、今でもこの界隈(かいわい)で営業を続けているのは、一般劇場では3館しかない。
その一つ、横浜シネマリンは昨年3月にいったん休館となったものの、12月にはおしゃれな内装のミニシアターとして復活。映画ファンを安堵(あんど)させたが、その立役者が代表を務める八幡温子さん(58)だ。再オープンから3カ月が過ぎた横浜シネマリンを訪ねると、少々お疲れ気味の八幡さんが迎えてくれた。
「既存の映画館を引き継ぐのだから、みなさんに認知されていて、あそこがきれいになったのね、と受け止めてくれると思っていたんです。そうしたら存在を知らない人が多くて、こんなところに映画館があるのね、なんて言われるほど。もくろみと違っていましたね」と苦笑する。
八幡さんが映画とかかわりを持つようになったのは22年前のことだ。当時は神奈川県茅ケ崎市に住んでおり、映画サークルの「茅ヶ崎良い映画を観る会」に入って上映会の手伝いをするようになった。それまでも映画を見ることは好きだったが、チラシづくりなど次第にのめり込んでいき、いつしか事務局長の重役を担うようになっていた。
さらに横浜市保土ケ谷区に引っ越した後の平成17年には、閉館した横浜の映画館スタッフが中心となって「横浜キネマ倶楽部」が結成され、こちらでもじきに事務局長を務めることになる。「何としても横浜で映画館をやりたいということで、その下準備としてせめて映画サークルで活動しようと誕生したのが横浜キネマ倶楽部でした。八幡さんも一緒に参加しませんかと誘われて、映画館経営のことはわからないけど、映画サークルのことだったら何でも聞いてください、と加わった」と振り返る。
そんなつながりもあって今回、シネマリンが休館することになったとき、引き継いでもらえないかと声がかかり、「あ、やります」と即答。不動産収入などの蓄えから持ち出す形で、改装やデジタル化など整備を進め、休館から約9カ月後の昨年12月12日、新生・横浜シネマリンとして再スタートを切った。
「スクリーンを前に持ってきて天井を取ったら、壁も替えるはめになった。それに従業員を少ない人数で抑えたかったというのもあって、内装は替えざるをえなかったんです。でも資金的には大変ですよ。毎日水を飲んで暮らしています。給料はもらっていません。私に給料が出るくらいお客さんが来てくれたらいいんですけどね」とぽつり。
ラインアップも「自分のやりたい作品ばかりやっていると映画館がつぶれてしまう」と、シネコンでかかっていた作品なども取り混ぜて上映している。1月には女性向けのヒット作「アバウト・タイム~愛おしい時間について~」をかけたし、3月14日からはシネコンで評判を呼んだ中谷美紀主演の「繕い裁つ人」をセレクト。さらに同じ3月14日からの「唐山大地震」、4月4日からの「間奏曲はパリで」は封切り作品として東京などの劇場と同時公開となっている。
「ただこの映画館を始めたのも、社会性のある作品をきちんと情報として提供したいというのがあったので、2カ月に1回くらいはそういったドキュメンタリーをやりたいと思っています」と八幡さん。1月には「イラク チグリスに浮かぶ平和」、2月には「何を怖れる-フェミニズムを生きた女たち」を上映。5月には、昨年11月に死去したドキュメンタリー撮影監督の大津幸四郎さんを追悼する特集も行うという。
オープンから3カ月、中には八幡さんが出演したラジオ番組を聴いて東京から足を運んできたという人もいたが、集客は本当に厳しいと打ち明ける。
「若い人もお年寄りも、いろんな人が集う映画館にしたいという思いがあるのですが、特に夜の時間帯は難しいですね。チラシも、近くの映画館に東京のミニシアター、それに横浜市内の公共施設で置いてくれるところに届けたり郵送したりしていますが、もっと細かくやっていかないといけないんだろうなと思う。資金もない中で、いかに効率よく宣伝していくかという部分で苦戦しています」
そんな中で頼りになるのが、八幡さんを支える劇場スタッフの面々だ。現在は映写に2人、受付などで3人が働いているが、何とか客が増えるようなことをみんなでやっていきたいと言っているという。
「口にはしなくても、みんなこの映画館に愛着を持っている。自分は映画の知識は不足しているし、会社経営も初めてだし、お客さんがなかなか増えてこない中で押しつぶされそうな気持ちになるのですが、僕たち協力しますよ、と言ってくれるので、もうひと頑張りしようと思える。それにお客さんにも、よくぞこんな思い切ったことをやってくれた、感謝していると言ってくださる方がたくさんいる。そういう人のためにも、いったん始めたからにはつぶさないように頑張りたいと思っています」と、しっかりと前を見据えた。(藤井克郎)
以前、横浜に住んでいたことがあるので、懐かしかったりします。