入院中に読んでたのが円城塔の『屍者の帝国』だったんですが、これがも~お極めつけにタイクツで、他にすることもないというのに読書を何度も中断してしまいましたわ。いつになったら読み終えることができるのか……という心配より、どこまで読めばこのタイクツな物語は終わるんだ、と飽き飽きした気分。
最初のうちは魅力的な設定にワクワクドキドキして、いつになったらハナシが本調子になっておもしろくなるんだろうと期待してたのに、いつになってもおもしろくならないんだもん。最後の方は「まだ? まだ終わんないの? まだ?!」と、子どもみたいに焦れながらひたすら文字を目で追ってましたよ。あーつまんない本だった。
何故私がそこまで「つまらん」と思ったのかは歴然としております。
だって主人公、全然動かないんだもん。
いや、距離的な移動はたくさんしてるんですよ。
で、戦闘に巻き込まれもするし、そうなったらそうなったで戦いもする。
でもなんつーか、そこに主体性がないのね。
この主人公、ジョン・ワトソンなんだけど、どこまでいっても「傍観者」なんだわ。
まあ、彼はその場の状況をつぶさに記録しているので単なる通りすがりの見物人ではない訳ですが、事件の中心にあってそれを解決しようと必死に動いているのとは違うのね。事件を客観的に記録するため敢えて第三者の立場に身を置いてるといえば聞こえはいいんでしょうが、厄介事は人に任せて自分は危険のあまり及ばないところでただ見守っているだけ……に見えないこともないわけで。まあ、少なくとも逃げずにその場にいるので、とばっちりを食ったりもするんですけどね、ワトソン、それでも何故か傍観者的なままなのですわ。
なんていうか、いちいちつまんない人なんですよ、このワトソンって。主人公のはずなのに。
こういうタイプの作品、すなわち語り手が主人公のふりをしつつ実は記録者に甘んじていて、自分の周囲の人物を生き生きと描写することによって物語を進めていくというパターン、確かにありますよ。映画でいったら「レント」とか「17才のカルテ」とか「オン・ザ・ロード」とか。作者より、破天荒な生き方しているその友達の方が魅力的な作品。
そういう作品のおもしろさって、その「友達」のカリスマ的で誰も逆らえないほどの魅力に負うところ大なわけです。そんな「友達」が一人でもいたら、もうそれだけで作品ができちゃう、みたいな。それこそシャーロック・ホームズみたいにね。
ところが『屍者の帝国』にはそんな魅力的な「友達」が一人も出てこない。
いや、登場人物はしこたまいますよ。それもキャラとしてすでに確立した名前を持つ有名どころが何人も。実在の人物もフィクションの登場人物も交えて、まさに綺羅星の如く並んでますわ。
だけど誰一人として魅力的なキャラクターになってないのね。はっきり言って、生きてない。タイトルが『屍者の帝国』だからって、そういう意味ではないんだけど。
要するに、登場人物達が喋る言葉から生身の人間の生きた感情が立ち上ってこないんです。マンガと同じで、単にキャラとしてそこにいるだけなんだよね。
それは結局、作者が描きたかったのが「人の営み」ではなく、別のところにテーマがあるからだというのは分かるんだけど、そのテーマにしてもごちゃごちゃいろいろ詰め込んだせいで読んでる方はどうでもよくなっちゃうんだよね。すごいスケールのテーマを扱ってるのに、「はあ? だから? それで? カンケーないわよ、別に」が感想というんじゃあ、作品が成功してるとはいえないわ。いや、中にはこれをよんで世界観の壮大さに感動した方もいるかもしれませんが。
この作品は伊藤計劃の絶筆を円城塔が書き継いだもので、だから冒頭部分とその後ではテーマが全然違っているのよね。
カテゴリーをとても大きくして、「永遠の生」とか「死して尚、個人の意志や思考は残るのか?」といったテーマでとらえれば、それは共通しています。
でも作家個人の目指すところが二人は全然別なので、だから伊藤計劃が考えていた物とはまるで別の地平に『屍者の帝国』は降り立ってしまったのでしょう。
何が違うって、円城塔には「生の実感」が欠けてるのよ。生身の肉体を通して感じる「生きる」という作業をあまり重要視していない感じ。伊藤計劃の作品には一語一語に込められている「生きる」ための「意味」。「死にたくない」という壮烈な思い。自分が死んでも、自分の言葉だけはこの世に残していくという強い意志。それがないのは仕方のないことではあるのだけれど、やはり伊藤計劃の名を冠する作品にそれが欠けているのは物足りないわ。
まあ、「虐殺器官」も「ハーモニー」も一種の極限状態で書かれた作品だから、これらに匹敵するだけの作品は同じぐらい凄絶な状況下でなければ書けないのかもしれません。
アニメにするんだったら、『屍者の帝国』は登場人物が華々しいからぴったりでしょうけどね。
しかしつまらん作品だった(←まだ言ってる)。