「エイリアン・コヴェナント」、見て、おもしろかったんですよ。いや~、さすが監督、リドリー・スコットだわ、目が離せないわ、すごいわと思う反面、なんかこう鑑賞後にモヤモヤするものがあるというか、胸の中にわだかまりが残るというか……。

 

その理由は、まあ、この作品のいいところ、おもしろい部分ってのを全部マイケル・ファスベンダーが演じるアンドロイドがかっさらっていくからで、人間達には何も残されてないから……と言ってしまえばそれまでなんですが。

 

以下、ネタバレするので下げます。

 

 

 

 

 

 

はい、この作品で一番ビックリしたのは、実はジェームズ・フランコが登場してるっていうか、誰か分からない人が死んじまったら後からそれが写真などでジェームズ・フランコであったと分かった時ですね。

 

もうね、この映画でマイケル・ファスベンダーを別にしたら一番有名な俳優ですよ? ジェームズ・フランコですよ? スター歴の長さで言ったらマイケル以上ですよ、サム・ライミの「スパイダーマン」からハリー・オズボーンなんだから。「127時間」ではオスカーノミニーだし。

 

それを何の活躍をさせることもなく無残な最期を遂げさせてしまう。「サイコ」のジャネット・リーよりもまだ出番少なかった。何のためにここに出てきたんだよ、ジェームズ・フランコ。

 

それはたぶん、もしジェームズ・フランコの役である本来の隊長が生きていたならこんなことにはならなかったかも……と観客に思わせるためであるのでしょうが、それが全然成功してないんですわ。何故って、展開が早すぎて、そんな鑑賞中にジェームズのこと思い出すほどの暇がないからです!

 

で、この「展開の早さ」が何かというと、それは主として他の乗組員の無能さをあぶり出すことにあるんですね。

 

隊長の死により自動的に繰り上げとなった新隊長なんかビリー・クラダップだから、出てきた瞬間に「あ、こいつ、だめ~」って思う。大体ビリーって、肝心な時にダメになったり裏切ったりするキャラが多いから。で、そういう期待だけは裏切らないのよ、映画的に。

 

ヒロインはキャサリン・ウォーターストンという方で、ハリー・ポッターの最新作である「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」

ではなかなか根性のあるお姉さんでしたが、本作ではショートヘアとパートナーを亡くしたばかりという設定も相まって、ほとんど「ゴースト」のデミ・ムーアの焼き直しにしか見えないんですね。いつも泣き顔に見えるせいで、その判断力も曇ってるんじゃないかと疑問を覚えてしまうんですよ。

 

でも、彼女はまだマシな方なんですよ。

 

あとのクルーったら、ほんともうダメダメで、一体何が基準でこの人達選ばれてここにいるの? と心底不思議になります。

 

とにかく、人間達は、冷静な判断ができない。これに尽きますね。

 

あの、最初の「エイリアン」で完璧に冷徹な判断をくだしていたシガニー・ウィーバー演じるエレン・リプリー、ああいう登場人物が一人もいないんですよ。「エイリアン」ではリプリーのような人がいてさえ、不測の事態のせいで船全体がトラブルに巻き込まれるのが悲劇だったわけですが、「エイリアン・コヴェナント」ではクルーが揃いも揃ってアホタレなので、その後何が起こってもあんた達(クルー)自身のせいだよね、と思えるせいで誰が死んでも惜しくも何ともないんですわ。そういう意味では、恐さも感じません。誰が死んでもどうでもいいので、サスペンスも湧かないのよ。

 

それなのに、最後まで見るとやっぱりおもしろい。こんなに途中どうでもいいと思っているのに、どうしても見続けてしまうし、そして見終わるとすごかったと感じてしまうのは、もう監督の力量なんだなと舌を巻くしかないんですよ。

 

ツイッターで誰かが書いてましたよ、「エイリアン・コヴェナント」はおじいちゃん(監督のこと)が本気だして推しのマイケル・ファスベンダーのイメージビデオ作ったんだ、みたいなこと。それ、あながち間違ってないです。っていうより正しいかも。

 

そう、リドリー・スコットはかつて「ブレードランナー」で人間ソックリだけど短命なレプリカント達をそれはそれは美しく描いた監督でした。「エイリアン・コヴェナント」や「プロメテウス」に出てくるアンドロイドは、不老不死で、そして美しい。演じているのがマイケル・ファスベンダーだから。「ブレードランナー」で美しき人造人間に与えられなかった不死の命を「エイリアン・コヴェナント」で授けることができて、監督は本来作りたかった物語を今度こそ描ききったということなのでしょうか? 監督は美しい姿で不老不死でいられるなら、肉体が人間以外のものでも構わないと思っているのでしょうかね。いや、レプリカントやアンドロイドは能力においても人間以上ですから、そういうものになりたいのかも。それはある意味人間の理想、言葉を変えれば「神」なのかもしれません。

 

まあ、「ブレードランナー」の続編も、監督はリドリーではなく「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーブに変わってますが、もうじき公開されるわけで、いろんな意味でなかなか楽しみではあります。