>日本中が「アチョー!」 レイモンド・チョウさんを悼む(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181125-00000050-asahi-movi @YahooNewsTopics
1970年代のブルース・リー人気の異様な盛り上がりは、当時を知らない若い世代には伝わりづらいかもしれない。「燃えよドラゴン」が日本公開された時、リーは既に死亡していた。そのため、彼は伝説の英雄になった。日本中の少年が「アチョー!」と叫び、ヌンチャクという特殊な武器を振り回してリーになりきっていた。
この頃は、リーの映画を製作したゴールデン・ハーベスト社や、同社の総帥レイモンド・チョウの名を知る人は少なかったと思う。80年代に入り、チョウはリーの後継者としてジャッキー・チェンを招き、「ヤング・マスター 師弟出馬」や「プロジェクトA」を立て続けに発表する。
チョウは27年、香港生まれ。映画製作会社ショウ・ブラザーズで活動した後、70年にゴールデン・ハーベスト社を設立した。リーとチェン以外にも「Mr. BOO!」シリーズのホイ3兄弟や「燃えよデブゴン」のサモ・ハン・キンポーら多様なスターを擁していた。
この時代になると、四つの長方形が一つずつ現れて金色のゴールデン・ハーベスト社のロゴマークになるオープニング映像が目につくようになる。それに合わせてレイモンド・チョウの名前が映画ファンの記憶に深く刻まれていった。
かつて香港映画は一般の観客から二流だと思われていた。チェンも「酔拳」や「蛇拳」で、深刻なリーとは違うコミカルな味の出せるカンフー俳優として頭角を現してはいたが、二流の空気も残っていた。
しかし、チョウが製作に関わって以降、チェン映画のスケールがぐんと大きくなった。その頂点が、心技体を最も充実させたチェン監督・主演の「ポリス・ストーリー 香港国際警察」(85年)だった。ハリウッドの画格と遜色がなく、しかもハリウッドには作れない香港映画ならではの独自性を持っていた。その面白さを保証するのが「レイモンド・チョウ製作」というブランドだった。(編集委員・石飛徳樹)
そう! ジャッキーの最盛期は絶対この時代だった!
「ポリス・ストーリー」も「プロジェクトA」も今見ても面白いもん!!
ジャッキーもまだまだ若かったしね……。
いまやもう、ジャッキー映画は何だかわからんものが多くなってしまって……。
自他共に認める大スターが好き勝手やる映画の西の横綱がニコラス・ケイジ(見るだけで頭が悪くなりそうな「マンディ」とか)なら、東のそれがジャッキー(「ポリス・ストーリー REBORN」がそれはもうザル)って感じだわ。
そしてゴールデン.・ハーヴェストの頃の最高のジャッキーの轍を踏もうとしてるのが、目下若さを失いつつあるトム・クルーズって言うね……。
少なくとも映画にちゃんとしたストーリーを求めているトムが今のところ一番だと私は思います!