7月の読書メーター
読んだ本の数:6
読んだページ数:1681
ナイス数:15
オケアノスの野望を砕け (上) (新潮文庫―NUMAファイル (カ-5-37))の感想
内容はとてもおもしろいんだと思います。でも何故か心がついていかなくて、集中して読めないのが残念。
読了日:07月17日 著者:クライブ・カッスラー,ポール・ケンプレコス
オケアノスの野望を砕け〈下巻〉 (新潮文庫)の感想
このノリになじむまでに時間がかかったが、慣れるに従い楽しく読めるようになった。先進的な問題を荒唐無稽とスレスレの所で分かりやすく書いているのはスゴイ。残念ながら出会うのが私には遅すぎたようだ。10代ぐらいで読みたかったわ。
読了日:07月22日 著者:クライブ カッスラー,ポール ケンプレコス
トランクの中に行った双子 (創元推理文庫)の感想
身勝手な親の見本が描かれていて、その中で自分らしい生き方を見失う双子の描写が、リアル。ファンタジーという枠組みの中で人間をしっかり描いているのが本作の魅力だと思う。表現も多彩で読んでて楽しい♪
読了日:07月23日 著者:ショーニン・マグワイア
砂糖の空から落ちてきた少女 (創元推理文庫)の感想
シリーズ第三弾で、作者の筆も乗ってきた雰囲気。ナンセンスの世界で魔法がどう働くかという仕組みにも迫っている。登場人物達もそれぞれ魅力的。特に本作から登場の「太った」女の子にからんで描かれる、「太っていること」にまつわる社会的な差別の状況が非常にリアルで恐ろしい。ファンタジーにくるんで現実を描き出す技がこの作者は冴えているんだと思う。
読了日:07月23日 著者:ショーニン・マグワイア
恐怖の映画術―ホラーはこうして創られるの感想
かれこれ20年ほど前に公開された映画の話がよく出てくるのだが、その頃ホラー映画に出ていた人たちが今や立派な主役級で頻繁に見かける顔であることに改めて感心する。やっぱり恐怖を表現するためには演技力が必要なのね。 Jホラーの監督達へのインタビューをまとめたものだが、それぞれの特徴がよく出ていておもしろいです。
読了日:07月29日 著者:鷲巣 義明
魅惑のいう名の衣装 ハリウッドコスチュームデザイナー史の感想
映画を見るたびに衣裳に目がいく私。もっと詳しくなりたいと思って本書を読んだ。そもそも映画のコスチュームデザイナーという仕事はスタジオが出来たばかりのハリウッドでは他から衣裳を調達する術がなかったため、自前で揃えるしかなかったからだそうだ。白黒の時代はライティングとフィルムでの発色を熟知していなければ鑑賞に堪える衣裳にならなかったとか、トーキーになったらアクセサリーの音が邪魔になるので羽や毛皮が多用されたとか、目から鱗落ちばかり。93年の本なのでごく最近のデザイナーは出ていないが、それでも充分参考になった。
7月は、とてもひどいストレスに襲われていて、前半はろくに本を読むことも出来なかった。活字を目で追っても心が追いつかない。
書かれている内容がまるで自分の心に響いてこないのだ。
だからブログも〆切りがあるもの以外、ほとんど書くことができなかった。
文章を書くというのは自分の心に向き合う作業だから。
バラバラになってしまった心に向かい合うこと自体が困難で、すぐに別のことをしたくなってしまう。その別のこともすぐに飽きて、他のことをしたくなってしまうのだが。
実は7月にはオーランド・ブルーム関連のネタがたくさんあった。
舞台「ロミオとジュリエット」上映開始とか、映画「復讐の十字架」封切りとか、「ホビット3部作」一挙上映とか。
どれも初日に行って可能な写真も撮ったけれど、ブログにするだけの気力がないまま、日にちだけが過ぎていった。
奇しくもこの7月は、何故かオーランド以前に私が夢中で好きになった対象にやたらと出会った月でもあった。
クイーンの人気再燃は「ボヘミアン・ラプソディ」上映後からのことだが、7月はついにその応援上映に行ったものだ。私はお小遣いが出るのを待って発売されたばかりの彼らのファーストアルバムを買いに走ったことがある。ファンになったのは雑誌でロジャーの写真を見て、ラジオで曲を聴いてからだ。
新宿武蔵野感の100周年記念で「ドラゴン危機一髪」と「ドラゴン怒りの鉄拳」が上映された。何故かブルース・リーはじめ全員英語喋っていたけど。当時の香港映画は台詞は総てアフレコで声優が入れるのが普通だったので不思議ではないのだが、どちらも封切り時に私が見た際は広東語喋ってたような気がしたのだが……。
でも「危機一髪」のビデオ化にあたって後から入れられたブルース・リー本人の怪鳥音(アチョーとか言われている、あれ。)が入っていなかったのはよかった。あれ、まだブルース・リーが怪鳥音を発するようになる前の映画だから本来静かなものなのよ。景気づけみたいに入れられてるとうるさいばっかりで閉口してたから、それはよかったわ。
ちなみに私がいわゆるスターの追っかけ的行動を始めたのは「燃えよドラゴン」見て惚れ込んだブルース・リーが最初である。ご本人はもうお亡くなりだったので、ポスターを買うぐらいしかできなかったけれど。で、次がクイーンで、これは宿泊中のホテルに張り込んでロジャー、ブライアン、ジョンの3人の姿は目に収めた。
そしてその次がシャアだ。映画で見るならアニメも俳優も同じ2次元だ。変わりはない。シャアは本当に、文字通り追っかけたなあ、上映会を……(遠い目)。
そのシャアの、映画「機動戦士ガンダム」三部作一挙上映もガンダム40周年ということであったのだよ。「ホビット」の次の日に。ホビットでは女子トイレに列が出来ていたけれど「ガンダム」では男子トイレが長蛇だった。何故だ、あの頃あんなにいたシャアの女性ファンはどこいった。
まあ女性客の少なさでいえば、「死霊のえじき」&「死霊のしたたり」の男性比率推定95%がダントツだが。この死霊に2作はゾンビファンとして長年見られず悔しい思いをしていたもの。これで思い残すことなくゾンビになれる(いや、なりたくない)。
対照的に女性比率推定98%だったのが、「ポーの一族展」。こちらは萩尾望都漫画家50周年だそうだ。
結果的に私の心を宥めてくれたのは、「ポーの一族展」だった。
繊細なタッチでレースまで緻密に描かれた原画はまさに美の宝庫。これらはいずれ美術館に収められるべき芸術品である。
萩尾望都先生が描くと、人体の総ての部位が美しいカーブによって構成されていくのである。
年代順に展示された原画を一枚一枚丹念に追う内、少女の頃に夢中になった「ポー」の世界をすっかり思い出してしまった。
それは、過去の自分と向き合う作業だった。
この一ヶ月、避けて通っていたことを、図らずもエドガーとアランの助けを借りて、なんとか果たしたのである。
エドガーもアランも少年の姿をしているが、しかしそれを生み出したのが女性である故に、その心情は女性の心に即している。
2次元だろうが3次元だろうが、男性というものは、女性の性的対象ではあっても、結局女の心なんぞわかりはしないのだということを、私は思い出したのである、「ポーの一族」を初めて読んだ時に「これは絶対男には分からない!」と胸に杭を打たれる如き衝撃で感じたように。この、心のごくわずかな揺れや陰影を丹念にすくいとるという手法が少女マンガを少女マンガたらしめているのだ。
そう、「ポーの一族」は追っかけるのではなく、自分だけの宝物としていつまでも秘めておきたい作品だった。だから心のいろんな部分が出払ってしまっても、そこだけはちゃんと残っていたのだ。
2時間かけて展示された原画を全部見て読んで、帰りには新作の「ユニコーン」を購入し電車の中で没頭する内、私の心は少しずつ元に戻って来たようだ。
さあ、何から始めよう?