クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus#行き止まりの世界に生まれて 少年達が集うのはスケボーをするため。スケボーをする場所を求めてさすらいもする。でも何故「スケボー」なのだろう。それは先日NHKで放映されたドキュメンタリー「スケボーが私を変える アフガニスタン少女たちの挑戦」を見た時から気にかかっていた事でもあった。
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のカッコイイマーティを見て、私もスケボーに憧れたことありますよ。実際買って、乗りましたよ。すぐに転んでアザ作ったのでやめましたけど。あれは大人になってからやるもんじゃないです。身体の軽くて柔らかい子どもの時に始めないと、痛さで怪我でギブアップする
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus自分の経験で一番近いのはスケートだと思う。私の子どもの頃は札幌ではあちこちに無料のリンクがあって(夜、広場の雪の上に水まいときゃ朝には凍ってるのよ)、友達同士で誘い合って行っては競争したり回転したり、いろいろやったっけ。昔のことなので大人はほとんどいなくて、自由だった。
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusでもそれは冬場だけのことだし、精々2シーズンぐらい。他に楽しい遊びが流行ればそっちに移行してスケートの楽しさなんて忘れてしまう、その程度のものだった。だからアメリカの少年やアフガニスタンの少女が何故そこまでスケボーにのめりこむのか今ひとつ分からなかったのだ。
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusそれしかない、というのももちろん大きな理由だろう。スケボーは自転車よりも安価で子どもでも比較的手に入れやすいのだと思う。ボールと違って、自分を乗せて運んでくれるという利便性もある。私にはその程度の考えしかなかったが、… https://t.co/xoUP5fXOFP
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusスケボーは「コントロール」なのだと(ちょっとうろ覚え)。なんと天才的な解答だろう。おかげで彼ら、彼女達が夢中になる理由が垣間見えた。 そのままでは坂道を転がるぐらいしか能のないスケートボードを自分の身体で「コントロール」する喜び。それは「支配」である。
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus少年も少女も「支配されている者」である。アメリカでもアフガニスタンでも彼ら、彼女らは常に抑圧下におかれている。そんな中でスケボーだけが自分の意のままに操れる、「管理下にある」物なのだ。そのためには血の滲む様な練習が必要だが、なんの「支配」のためだもの、厭うことなく頑張るのだ。
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus人間には支配欲がある。それを発揮する対象がスケボーなら可愛いものではないか。そしてそのスケボーを自由自在に駆使できるようになった時、それは表現力となる。スケボーは操る者の分身となり、言葉よりも能弁にその意志を語るのだ。お前の支配なんかにゃ負けねーぜ、スケボーの行く先は自由だぜ、と
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusとはいえスケボーを乗りこなすのは至難の技である。同じ事を何度も何度も繰り返し、失敗しては地面に身体をうちつける。表現力を極めるためにまさに己が骨身を削り、血を流しているのだ。ただ、自分の身体の慣れと反射神経を信じて鍛錬するのみ。スケボーのコントロール=自分自身のコントロールだ。
2020年10月23日 02:03
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusアメリカの少年達もアフガニスタンの少女達も、たぶん自分の未来に明るい展望は開けてないと思ってる。そういう社会に暮らしているから。だからこそ、何か一つ、自分の思い通りになる物が欲しいのだろう。自分の分身として言葉にならない声を発し、究極の自己管理の末に自由な動きを得るスケボーを。
2020年10月23日 02:03