クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus#聖なる犯罪者 こちらは現実を否応なく生かされてる青年の話。救いが無さ過ぎて言葉を失う。でも私はこちらの作品の方が好きだ。逃げた先で身分を偽りながらも、自分で何かを成し遂げようとする青年の話だからだ。自分自身を見つめ、心の奥底に潜んでいた善を見いだし、傷つくことを厭わない魂は…
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus甘えとは無縁である。「Away」のような作品って、どこかに男の女に対する無制限な甘えが見えて気持ち悪いのよね。それ、万国共通なんだなって、アニメ作品見てると分かる。「甘え」って何をやっても「許して貰える」と思ってる事だけど、「聖なる犯罪者」の主人公には最初からそれがないのよ。
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus何故なら彼、ダニエルは罪を犯して少年院にいる身だから。少年院にいるのに何故「青年」と書いてるかというと、見た目がすっかり大人なので。「少年」という言葉に付随する弱々しさが彼にはないから。かといって「大人」でもないのだけど。さて、彼は世間に許して貰えないから少年院にいる訳です。
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus彼の罪を許してくれるのはもう神しかいない。それで彼はキリスト教に傾倒していくのだけど、そこでも「神学校に入りたい」という願いは突っぱねられる。犯罪者は神父になれないのです。そんな「甘え」は許されないのよ。彼は日々その重たい事実と向き合っている。ただ彼、犯した罪を悔いてはいない
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus愚かな行為をしたとは思っているんだけど、罪自体に関する反省って、彼の口からは語られないんだな。失敗した~という後悔だけ。そこが多分、彼が神の道に近づけない理由でもあるんだろうけれど。実は彼の信仰心が本物なのかどうかも私には分からなかった。カトリックの振る舞いはできるんだけどね
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusこの映画は信仰の有無が問題なのではなくて、人はそのいる場所によってふさわしい振る舞いをする事によってのみ受け入れられる、って事を描いてるんだと思う。ダニエルは村人に「司祭」と受け入れられたことによって、それに応じて自分を変えていく。思っていた以上にそれが性にあっていたのだろう
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibus神学校で学んだ神父には恐らくできない事までやってのける。それを行う事によって恐らくダニエル自身の心は傷ついたはず。村で歓迎される事だけやってればよかったのに、そうしなかったのは彼の意志なのだ。何故か? 彼は、そうするのが正しいと思ったから。誰のためとかでは、多分ない。
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusその村で自分が作り上げた司祭としての人格がそうすべきだと思ったのだ。それは彼がなりたい自分だったから、そうしたまで。少年院にいる時には皆に一目置かれるために、他人に不当な暴力をふるっていたのと、たぶん理由は変わらない。その場所で生き抜くために人格を作り、その要求に従った。
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusでもそれはダニエルに限ったことではなく、世の中を生きる大多数の人間がやっていることではないのか。ダニエルの経験は極端だが、環境を変えることによって自分を変えるというのは、普通に、自然に、サバイバルとして皆がやっていることではないのか? それでダニエルを責められるのか?
2021年02月01日 16:15
クリス・スネイク・プリスケン@paxomnibusという問いかけがこの映画だったのではないかと思います。いや、もっと重い問題を含んでもいるんですけどね。 宗教的な赦しとか、悲嘆への向き合い方とか、犯罪者の更生はどうあるべきかとか、難しすぎて。 でも意外にすんなり見られます(途中寝たけど)。 機会があれば、是非。
2021年02月01日 16:15