デリー市内で潜入捜査(?)中のラーマのシャツはどれも胸元ゆったりしてて全然きつそうじゃないし肩も腕もゆとりがあるから、たぶん専用の型紙で仕立てて貰ってるんですよね。パーティーに着ていったスーツも多分同じテイラーで作ってますよね。アニキ、実は服道楽で給料全部服に使ってたんじゃないかと…
ラーマが隙のない洋装してるのって、職業もあるしけど実は好きだったからじゃないかな~ってずっと思ってるんですよ。故郷を離れる時から同じ形のシャツを身につけてたし。自分達が虐げられるのは文化・文明において劣ってるからだという思いが逆に英国に対する憧れとなった面もあるのかな、と
そういう思いは実は日本が抱いていたものなんですけどね。幸い日本は植民地化はされなかったけれど、結構「英国の文化・文明」に対する激しい憧れってのは明治以来あったわけじゃないですか。夏目漱石の文学とか。 自分達を支配しているけれども、進んだ文化・文明を取り入れたいとラーマも思ってた
映画に限定しての話ですけれど、ラーマが洋装してた時点で彼の「解放」っていうのはひょっとしたらインドが英国的文化を全面的に受け入れて先進国(当時そういう言い方はないと思うけれど)になることだったのかもしれない。でもその大英帝国の汚さ、卑劣さをその後ラーマは身を持って知ったわけです
そうした時にビームが自分にラーマ神の如き装いをーー他に何もなかったからとはいえーーさせたのって、ラーマにとってのコペルニクス的転回だったんですよね。英国文明の象徴である小銃にばかり拘ってた自分の目を覚まさせてくれたというか。自分達が本気になったら弓矢と槍で充分相手斃せるんじゃん
革装丁の英語の本もたくさん読んだけれど、結局ラーマの心に残り口ずさむぐらい焼き付いていたのはタゴールの詩句で英国の詩人の言葉ではなかったわけで。ラーマがシータを思う時の言葉がそれだったのでしょう。結局ラーマに自分の魂はインドの大地と共にあると気づかせてくれたのはビームだった。