まあ私、『サーホー』も『WAR!!』も封切り時に見てるわけだけど、その時「これは一回見ればいいや」と思ったのは、脚本の作り方に甘さを感じたからなんですよね。この2作に限らず、インドにも限らず、割と最近よく見るのが「現在流れている時間」では挽回不可能な危機的状況を見せておいて そこで死んだ、もしくは捕まったはずの登場人物を後からクライマックスにしれっと登場させる手法。 「貴様はあの時死んだはず!」 と驚く悪役と観客の前に「あの時」実はこうだったという場面が映し出されるんだけど、それが「現在流れている時間」とは違っているのよね。 

 

「あの時」は観客の皆様には伏せてましたが、実は影でこういう事があったんですよ、と後から情報を開陳して説明している形なんだけど、じゃあ「現在流れている時間」で見せられたのは何だったのよ、という気持ちになる。極端にいえば、ズルじゃん、それ。アンタ、アタシをだましたね?! って感じ。
 
こういう、大事な情報を観客に伏せといて危機感煽ってから、実は大丈夫でした~ってやり方、ハリウッドの大作では今はもうほとんど見ないのよ。きっとスティーヴン・キングが書いて映画化もされアカデミー賞もとった『ミザリー』のキャシー・ベイツの演技が死ぬ程恐かったからだろうけど。 
 
それは冗談としても、やはりそれは「観客に対してフェアじゃない」から、下火になった手法のはずなのよ。 でもそれをインド映画とか韓国ドラマは平気で堂々とやっちゃうのね。さんざん見たから私も慣れたけれど、でもやっぱり脚本としては観客に対してフェアじゃないからイマイチと思ってしまう。 
 
ハリウッドの場合は「実はこうでした」につながる「手がかり」になるカットが絶対入ってくるからね。気づくか気づかないかは観客次第だけど、映像上にヒントがあるのよ。実はラージャマウリ監督って、それをきちんとやる人でさ。だから心置きなく楽しめるし、「よっし2回目も劇場で見よ」となる。 
 
『RRR』なんか、FIREにおけるラーマの表情で彼の秘めた野望を全部語ってるもん。普通じゃないでしょ、あの人。その「普通じゃない」部分がすでに伏線よ。普通の人はたかが出世のために命賭けないもん。「あの時実はこうでした」も物語じゃなくてラーマのアップでたたみ掛けてくるのがまたスゴイよね 
 
監督の作品を全部見たわけではないけれど、彼の映画なら見ようと思うのは、そこにフェアネスがあるから。 わりとね、大事なんだ。そういう部分が、映画には。