子供の頃に、モラハラを受けやすい体質が作られるのかもしれません
兄が出来が良すぎて、子供の頃の私は劣等感だらけでした
母からは、頑張ればできる子なんだから、という根拠がまるでない励ましの言葉をかけられていました
でもね、私はそんなにバカじゃなかったんです
頑張っても兄に勝てなかった場合、
私はダメ人間確定になる、と思ってしまったんです
頑張らないから、出来ないんだもん!
を貫きました
兄にバカにされて、からかわれても、兄よりもバカだから仕方ないと思っていました
頑張らないと決めて、そこそこの成績
中の下の学校生活を送りました
母と折り合いが悪かった祖父母に懐かなかった私は祖父母に可愛がられた記憶がありません
幼少期に、私は可愛くない、という自信を強く持って過ごしました
劣等感を持ち続けた幼少期、思春期を過ごし、社会人になりました
そして、その頃の世間での結婚適齢期に、たまたま出会った8歳半年上の強気の男性
好みのタイプではありませんでした
でも、私を好きだと言ってくれる貴重な人でした
そしてその頃の世間では、結婚しないとみっともないという年齢は25歳
その少し前の23歳
今では放送されないような差別的な言葉がトレンディードラマで普通に使われていた時代です
女は25過ぎたら売れ残り
クリスマスケーキに例えられ
半額にしても売れないケーキ
25過ぎたら、売れ残りと言われていたんです
適齢期になり結婚が決まると寿退社
新卒で就職しても、どうせ腰掛け
責任のある仕事は任せられない、と考えられていました
何の取り柄もない男っ気のない23歳女子
自分だけでなく、親も結婚相手は現れないだろうと半ば諦めていました
そんな時に現れた相手でした
自分を好きだ、結婚しようと言ってくれた人だから、私にはわからない私の良いところを知っているはず
自信を持たせてくれるかもしれない
永久就職と言われていた専業主婦に、賭けてみることにしました
今思えば、そんな考え方をしている人が、すんなり幸せになれる筈などありません
何が幸せなのかすら、わかっていないのだから
確実にモラハラを呼び込み、バカにされまくりの結婚生活20年、少し自立心が出始めての別居生活10年
別居生活とほぼ同時期に、入ったカイロの団体でも、上司からモラハラとパワハラを受けました
その頃仲良くしていた友達にも、ひょっとしたらマウントを取られていたのかも?
今になって気付くところも、チラホラ
オッセー!
でも、その友達が唯一の救いだったから、その頃に、気付かなくて良かったな
モラハラ体質は、子供の頃に作られたのは間違いありません
そして、昭和の男女差別の偏った考えの中で生きて来ました
ずっと、その時代の、今の常識に収まろうと頑張り続けました
なかなかキツかった経験です
でも、今振り返ると、その経験があってこその自分
そこを乗り越えたからこそ、今の幸福感があります
逆境と思える出来事は、しっかりと乗り越えた時には、最高の達成感をプレゼントしてくれます
だから、それを信じて生きて欲しい
いつか、素晴らしい出来事がやってくるから
きっときっと、やってくるから
たまたま日本テレビで、美輪明宏さんの、ヨイトマケの唄を聞きました
感動しまくり溢れる涙で、ついこんな文章を書いてしまいました
誰かの勇気になれば嬉しいな
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