じゅっぺちゃんです。こんにちは。
平和を祈願して、満州のことを書きました。
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岳南朝日新聞 特集:夏の思い出と平和 掲載年月日2018.8.18
タイトル『私の終戦と満州』塩川寿平
(1)私の生まれは満州
私には満州を語る友人がいます。私が静岡県立富士高等学校剣道部の2年生の時、主将は3年生の稲葉昌博さんでした。 1年生のときには先輩と軽々しく話をすることなど、とてもできませんでした。 2年生になって私も初段となり、ようやく先輩と日常の話ができるようになりました。
驚いたのなんの!
2人は満州国奉天市(現在の中国瀋陽市)の生まれでした。さらに驚いたのは2人とも昭和13年の寅年生まれでした。稲葉さんのお父さんは、満州国の公務員で、奉天市で終戦を迎えるわけです。私の父は満鉄社員で、家族は終戦の8月15日には奉天市を離れて通化市に住んでおりました。そして日本へ引揚げる途中、蒋介石の中国国民党軍と毛沢東の八路軍の中国内戦に巻き込まれ、四平街にやむなく1年近くとどまることになったのです。
この1年間「満州難民」となった悲惨さは言葉ではあらわせないほどのものでした。私たち家族がようやく日本に帰れたのは終戦から1年経った昭和21年7月です。
なぜ私たちは同年なのに、私は2年生で稲葉さんは3年だったのか。その答えは早く引揚げられた家族と、遅れた家族との差なのです。なんと私は小学校1年生で留年したのです。
中国内戦に巻き込まれた私には小学校生活などありません。日本に引揚げてきてから本来は小学校2年生になるところ、学校に通ったことのなかった私は留年して、晴れて1年生になれたのです。
現在は2人とも富士高剣友会の役員となり、現役高校生との合同稽古の日には必ず顔を出すようになり、2次会で2人でする『満州学』の話はつきません。
(2)『満州学』について
2人は満州についての様々な資料を交換しています。稲葉さんは現役時代には富士市の中学校校長をなさっており、満州での家族の生活のことや、敗戦後ロシア兵が自宅に父を探しにきて『大変怖かった話』などを話してくださり、満州に関する研究者でもあります。
私も大学の教師を長く務め、研究者の1人として自分のルーツを知りたくて、3回にわたって中国瀋陽市を訪問しました。一度は、子供たちにもお父さんの生まれた中国を知って欲しくて家族で旅行をしました。
泊まったホテルは奉天駅前のヤマトホテルです。満鉄が作った超豪華なホテルで、日本のホテルに例えれば帝国ホテルと同じクラスです。『叔父さん(私の母の弟で満州でNHKのアナウンサーをしておりました)の結婚式が行われた思い出のホテルだよ』と子供たちに話しました。
さて『満州学』の話に戻しましょう。懐かしい話もいっぱい出るのですが、侵略戦争を二度と繰り返してはならない、満州について全部知りたい、日本はなぜ中国東北へ進出と満州国の建設をしたのか、二度と侵略戦争をしないよう、歴史を後世に伝えるためです。
日本の国がアジアの国々と仲良くしていくためには、満州を忘れてはならないのです。私が子供たちを連れて家族で中国旅行をした時は、田中角栄総理大臣(当時)が日中の友好関係を結んだ時代で、最高に日中関係の良い時代でした。今は日中関係の最悪な時代です。
しかしながら、日本は近隣のアジア諸国と仲良く共存していかなければならないことは当たり前のことであり、『満州学』の目指す真理はそこにあります。満州に関係があった人々だけではなく、日本人の全てが学ばなければならないのが『満州学』と言えるでしょう。
(3)伝えることの大切さ
今や、私の父も母もなくなりました。戦場から帰ってきてたくさん悲しい話をしてくれた、身近にいた軍人さんも、みんな亡くなりました。
7歳9ヶ月で満州から引揚げて来た少年だった私も79歳となります。私の家族も引揚げ途中の満州で祖母が亡くなり、枕木で火葬にしました。そして日本の本土が見えたと言う時、引揚げ船の中で私の妹が息を引き取りました。忘れてはならないことがいっぱいです。
私たちが次の世代に伝えてえていかなければならない世代となりました。 8月15日を迎えるにあたって、改めて満州を伝えることを私の使命といたします。(静岡県富士宮市 在住)
⭐︎この記事について:転載を禁止⭐︎
だたし、「岳南朝日新聞 特集:夏の思い出と平和 掲載年月日2018.8.18」と明記して
引用はオッケーです!!!
どしどし引用してくださいね〜〜〜⭐︎
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塩川 寿平(1938年生まれ)
大地教育研究所所長
大中里こども園名誉園長
元静岡県立大学教授
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活動:こども環境学会アドバイザー
愛育心理研究所インストラクター
著書:「名のない遊び」「コーナーのないコーナーの保育」
「どろんこ保育」「大地保育環境論」等
(出版社 フレーベル館=電子書籍化も有ります)
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ジュッペちゃんの保育のこころ
子どもを大切にするということは人としてであって、
私たちの"大地保育"は大人も童心人となって、
子どもと共に独立国(子どもの園)を創造するということ
ではないかと思います。
いつでも・どこでも・いつまでも子ども心を忘れずに
『名のない遊び』等を大切にしたいと思います。
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勤務先:大中里こども園
静岡県富士宮市大中里837
※姉妹園野中こども園(旧野中保育園 創立1953年)
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社会福祉法人柿ノ木会「大中里保育園」は、
平成30年度から
幼保連携型認定こども園に移行し、
施設名称を「大中里こども園」と改めました。
今後ともよろしくお願いいたします。
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