質問者:
① 私は今、愛知の瀬戸市で認定こども園の副園長しています。
長い間、商社に勤めていました。
3年前のこと保育所園長の母が85歳の時、
脳こうそくで左半身に軽いまひが残り、
園長を続けながらのリハビリ生活となりました。
私が60歳の時で、海外勤務の多い商社を辞め、
夫婦で母の保育所を手伝うことになり
② 3年目の 2020年4月1日より、
念願かなって保育所(厚生労働省)から、
幼保連携型認定こども園(内閣府)になりました。
将来は母に代わって園の経営にあたるつもりです。
③ 浄土宗のお寺の園で常々、母が熱心に取り組んでいた、
『どろんこ保育の勉強をしておくれ』と、
頼まれていました。
瀬戸は陶器の街であり、土との関係は深く、
私も大変興味がありますのでいろいろとお教え下さい。
教授:
④ どこからお話しましょうかね。
土の都、瀬戸と聞いてお話ししやすくなりました。
土とともに生活してきた人々が昔から住んでいらっしゃる街ですものね。
私の家も先祖代々土とともに生活してきた庄屋(お百姓)の家です。
塩川一族にとって『土は祈りの対象』でした。
屋敷の一角に「土の神」の祠(ホコラ)があり、
お正月には祖父と父と家族で〆縄で飾り、手を合せました。
⑤ そのような環境にあって、
私は物心ついた頃から81歳の今日まで、
「土の神」を拝んでいます。
1953年(昭和28年)に父と母の手によって
先祖伝来の田畑が野中保育園になった時から。
お米や麦や野菜や柿の実を育ててくれる『土の神』は、
子どもを育ててくれる『土の神』になりました。
⑥ 私は『土の神』に優しく抱かれた実体験があります。
中学2年生の時のことです。
5月のよく晴れた日曜日。朝から晩まで1日中。
サツマイモを植える広い山の畑を耕作していました。
当時のことですから耕運機はなく、
父と母と私の3人の手で耕しました。
⑦ 耕し終わった畑のあたり一面から土の匂いが立ち昇り、
夕日の優しい光の中でふかふかの大地が広がっていました。
やっとを耕し終えて、
苦しくて つらかった 作業から解放されて、
それは それは 美しく広がるふかふかの大地を前に、
感動のあまりプールに飛び込むように
ジャンプして飛び込みました。
私は、はっきりと覚えています。
体が大地に吸い込まれていくのを。
⑧ 新しい土の匂いを吸いながら、
なぜそうしたのかわかりませんが、
その流れだけはスロー映像となって、
私は、今もはっきりと覚えています。
思い切り早く走って、
思いきりジャンプして、
そのまま大地にしがみつきました。
帰り支度をしていた父と母は驚いて、
それから笑っていました。
私はふかふかの畑に大の字になって腹ばい、
大地の香りをむせぶほどに吸いこんで、
ものすごい充実感に時を忘れました。
⑨ 後年、
保育環境の研究者となり、学者となった私は、
あの出来事は何だったのだろうかと、
幾たびも思い出すことがあり、
考えることが多々ありました。
あの突然の出来事は、
私にとって『どろんこ保育の起源』だったと、
はっきりと思えるようになりました。
⑩ 発作のように、何も考えることなく、
思い切りいジャンプして、
大地にしがみつくように飛び込んだ
強烈な思い出でなのです。
忘れることのできない空を舞う一瞬であり、
何回もこの出来事を思い出すたびに、
「子どもは泥んこが好きだ」と書くとき
少しの迷いもありません。
⑪ コップのどろ水をかき混ぜながら、
満面の笑みで『コーヒー牛乳!』と差し出す園児にも、
素直に『ありがとう』と受容することができます。
⑫ 全身どろんこになりながら、
『どろんこ怪獣だ!』と叫ぶ園児にも、
一緒になって『ギャオー!』と受けて戦えるのです。
⑬ どろ場に体ごと入りながら『チョコレート工場!』と
無心に喜ぶ園児にも。
心から共感を覚え、一緒にどろんこに入り、
子らの幸せを実感している私がいます。
⑭ 土と関わりながら無心に遊ぶ園児の姿と
オーバーラップして、
大地にしがみついた私の姿をそこに見ることができます。
発達過程に合った、
『満たされた「遊びと生活」の活き活きとした
理想の大地保育』がそこにあります。
⑮ 「どろんこの4つの理論」を書いた時にも少しの迷いも
ありませんでした。確信していたからです。
〈Ⅰ〉気持がいいという理論
どろの感覚的な気持ちよさ。手触りや温度から得られる
安心感や快感で、緊張やイライラが解消され、
精神がリラックスするのです。
〈Ⅱ〉汚れてみたいという理論
ふだん禁止されていることが許される楽しさ。
変身願望が満たされる楽しさ。
友だち同士で体を汚しあうと、
さらに親しさが深まるのです。
〈Ⅲ〉気楽であるという理論
点数で評価できないところがよいのです。
上手、下手の区別がないことで、
だれでも平等に公平に楽しめます。
どろ場の中で造形的な活動が始まっても、
次々と何重にも作り替えられ変化し続けた作品は
終わりにはどろに戻されて、
作品が残らないので気楽に遊べます。
〈Ⅳ〉カタルシス(浄化作用)の理論
どろを何かに見立てて、どろに向かって自分の感情を
吐き出すことで心の安定を得られます。
不安や恐怖、抑圧を解消できるのです。
⑯ 著書「どろんこ保育(フレーベル館)」を世に出した時にも、
少しの迷いもありませんでした。自信がありました。
胸いっぱいに吸い込んだ土の匂い。
ジャンプでして大地に抱きついた『起源』に照らして
考えてみるからです。
⑰ あの時、
私ははっきりと「土の神」に魂を奪われました。
そして『どろんこ保育魂』を授かりました。
私は間違いなく「万物の母=地母神」にしがみついたのでした。
どろんこ保育は『万物の母に育まれる保育』なのです。
言い換えるならば、どろんこ保育とは、
「自然」から学ぶ保育ということであり、
さらに「環境=どろんこ」に育ててもらう「保育」ということです。
幼稚園教育要領には『環境による教育』と書かれています。
保育所を保育指針には『子ども主体の保育』と書かれています。
⑱ 親や先生に指示されて受け身の形で学ぶのではなく、
興味に基づいて、子どもが自発的に環境に挑戦し、
主体的に自らの個性と能力を引き出していく、
『環境による教育』=『子ども主体の保育』なのです。
⑲ どろんこ保育とは、
自然環境とかかわり、自然から学ぶ重要な保育であり、
生涯をかけた教授の研究テーマ「大地保育環境論」は、
万物の母に導かれた理想の保育の追求です。
次回に続く、
大地保育ものがたり(第10話)
「よくある質問② どろんこ保育て何ですか?(その2)」