ジュッペちゃんのブログ(2020-8-16)に
「敗戦から75年」を掲載したところ、
長女が感想文を送ってくれました。
末娘の4女が大学生になったのを記念して、ジュッペちゃんの育った中国東北・瀋陽(旧満州 ・奉天)に、ファミリー旅行した時の思い出をつづってくれました。
ジュッペちゃんが生まれた満鉄社宅や、通っていた幼稚園。
よく遊びに行った千代田公園(現在は中山記念公園)にはジュッペちゃんが遊んだ、大きなゾウさんの滑り台がまだありました。
そして戦火のために 昭和20年4月1日の入学式だけで1日も勉強しなかった平安小学校(現在は瀋陽高等鉄道中学校)を見て回りました。
そのような歴史も読者の皆様と共有したいと思います。あしからず。
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ここから【娘・長女からのお返事】
お父さんの幼少期の貴重な体験を書いてくれてありがとうございます。
私はこのお話が好きですよ。
お父さんと瀋陽(旧:奉天)へ行き、
お父さんが遊んだゾウさんの滑り台に
出会えたときは感動しました。
帰国までの満州難民生活は凄まじいものだったのですね。
日本は長い間戦争をしましたが、子どもたちが市街地戦に巻き込まれたのは沖縄と満州だけではないでしょうか。
終戦時に客観的思考ができる年齢に達していた昭和1桁の人々とは違い、幼児期に戦場を体験した子どもたちには言葉にできないトラウマが残ったことでしょうね。
戦争が激しくなる中、平和の平の文字を選んで名前に付けてくれたジュッペちゃんのお父さん(寿介さん)、お母さん(豊子さん)の気持ちが伝わりますね。
子どもたちにも伝えます。
長女より