岳南朝日新聞 2020年11月20日
掲載(一部本人訂正加筆)【特別寄稿】
【寄稿者】
氏名 塩川寿平
住所 〒418-0033 富士宮市野中東町300
紹 介 大中里こども園名誉園長
大地教育研究所所長
元静岡県立大学教授
【寄稿の趣旨】
核兵器を全面的に違法とする初の国際法「核兵器禁止条約」が 2021年1月に発行することになったニュースに感動しました。
そして、改めて富士宮市は昭和59(1984)年 10月2日に、すでに核兵器廃絶平和都市宣言をしており、私はわが郷土を大変誇りに思い寄稿文を書きました。
塩川寿平
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タイトル:
核兵器廃絶平和都市宣言のわが富士宮市を誇りに思う
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1、感激の50カ国達成のニュース
2020年 10月26日の各新聞やテレビは一斉にこの大ニュースを発表しました。
『核兵器の保有や使用を禁止する核兵器禁止条約が、来年1月22日に発行する。
「核なき世界」を求める被爆者らの願いを追い風に 50カ国・地域の批准に至った』というニュースです。
平和を願う世界中の人々と共に、私は心から感動しました。
私はいま核保有の国々の対立と分断の世界情勢を大変心配してます。
核をもつ大国も小国も『核戦争をも辞さぬ』態度が見えるからです。
もし核戦争を起こしてしまえば、地球は壊れてしまいます。
また、人類の滅亡は広島と長崎の経験からよくわかっています。
核爆弾を持っていれば使用する指導者が出てくるでしょう。
核爆弾なき世界を作れば、核戦争はなくなるのですから。
2、わが富士宮市を誇りに思う
私はこのニュースを聞いて富士宮市役所に駆けつけました。
確認したかったのです。安心したかったのです。
写真①をご覧ください。私は夢中でシャッターを切りました。
その宣言の碑は堂々と、市役所入り口にいつもと変わらずに
誇り高く建っていました。
【核兵器廃絶平和都市宣言:
平和の象徴である富士山を持つ富士宮市は、核軍拡競争の悪循環が核戦争の危機を増大させていることを憂い、人類の生存と恒久平和のために、すべての核保有国に対し、核兵器の廃絶と軍縮を求め、わが国の非核三原則が完全に実施されることを願い、国際社会の連帯と民主主義の原点に立って、核兵器廃絶の世論を喚起するため、ここに「核兵器廃絶平和都市」となることを宣言する。
昭和59年10月2日 富士宮市】
3、平和の像『はばたき』
次に、私は市役所から自転車でJR富士宮駅の南口に駆けつけました。写真②をご覧ください。
そこには見慣れた『はばたき』の像がいつも通りありホットしました。
この像の建設に当たり、私の母塩川豊子(1915-99)らも献金したご縁を思い出し、改めて母と共に平和を祈願し、合掌する私でした。
碑文:
【この記念碑はすべての核兵器廃絶と世界恒久平和を願う富士宮市民と富士宮市の協力により建てられたものです。
昭和63年3月 富士宮市平和の像建設委員会】
と書かれた碑と並んで市役所入り口と同文の「核兵器廃絶平和都市宣言」の碑文があります。
4、『戦争はダメ!』を中高生に伝えたい
私は昭和13(1938)年 11月26日の生まれで間もなく満82歳になります。
満州国(中国東北)奉天市で生まれ、7歳8カ月まで中国で育ちました。
昭和21年7月に父親の故郷富士宮市に引揚てき上げてきました。
引揚の途中で祖母と妹を亡くしました。
少年の私はその悲しみと戦争の怖さを体験しました。
しかし、私が平和を願うようになったのは、日本に帰国してから大宮小学校の生徒となり、平和教育の中で「かわいそうなぞう」の勉強をしたり、学校の授業の一環として「鐘の鳴る丘」「ひめゆりの塔」「ひろしま」「雲ながるる果てに」等の映画鑑賞を通して学んだからです。
中・高時代には進んで学校の図書室で「アンネの日記」「ビルマの竪琴」「人間の条件」「真空地帯」「戦争と平和」等々の本をたくさん読みました。
私が感性を磨いた学習体験を中高生に伝えたいのは、『戦争を知らない子どもたち』といわれている皆さんですが、私は中高生の感性を信じています。
戦争体験がなくても、戦争に関する本や漫画を読んだり、ビデオを見たりして感性を磨いてください。
「火垂るの墓」や「はだしのゲン」は必ず読んでね。
中高生の頭脳は柔らかく、感性豊かな成長期です。
学習を積んで「戦争はダメ!」という感性を養ってください。
よく私は人から『戦争体験があるから・・・』と言われます。
でも私の体験はわずか7歳 8カ月のものです。
私は中・高生の時から現在も真剣に感性を研ぎ澄まして、『戦争はダメ!』と学び続けています。
5、サーロー節子さんのお話しを聞いて感性を磨きましょう
サーロー節子さん(朝日新聞 10月26日)は訴えています。
『唯一の被爆国 何もしないの』・・・核兵器禁止条約の批准国が発効に必要な50カ国に達し、被爆者らは歓迎の声を上げた。
世界各国で証言を続けるカナダ在住の被爆者、サーロー節子さん(88)は訴える。『日本が変われば、世界が変わるのです』と。
サーローさんは、核兵器禁止条約採択への推進役となったNGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」の若者たちと連帯し、200近い国のリーダーたちに、批准を求める手紙を書いてきました。
私自身は、実の姉とおいのほか、多くの級友を失った。
被爆者の言っていることの根底にあるものは何かを理解してほしい。
なぜ被爆者が、二度とこういうことが人間に起きてはいけないという思いに到達したか。生き残った者が、なぜこうやって訴え続けるのか。
何10万の人たちの死を意味のないものにしたくない。
どの人間にも、そういう犯罪は絶対に許されない。
われわれが経験したことは人間が経験することじゃない。
日本はせめて締約会議にオブザーバー参加するよう求める。
日本は独立した判断力のあるリーダーシップを期待します。
道徳的、政治的な、本当の意味でのリーダーシップ。
日本が変われば、世界が変わるのです。
(注:サーロー節子さんのお話。聞き手・宮崎園子)
6、むすびに
平和の象徴である富士山を持つ富士宮市〘核兵器廃絶平和都市宣言(1984年10月2日)〙に、朗報がもたらされました。
2013年6月にユネスコの世界文化遺産に登録され、新しく富士宮市のビックな名所、富士山世界遺産センター(富士宮市宮町5ー12)誕生の朗報です。
そして写真③をご覧ください。
同センターの建設と同時進行で、富士山世界遺産センターに隣接する富士宮市の公園に、新たなモニュメント〘核兵器廃絶平和都市宣言(富士宮市)〙の碑が建てられました。
この並び建つ二つは富士宮市市民のビックな誇りとなりました。