—今、コロナ禍中の教育現場で教え子は—
①コロナの闇の中で
教え子Aさん(定年~嘱託教師を継続・ 60代中半)と、遠い昔になりますが大学時代の恩師(教授ジュッペちゃん・82歳)との交流。
教え子Aさんへ「私のブログに載せてよろしいか?」・・・伺います。Aさんの「許可が出たら私のブログに載せたいと思います」「文章を部分的にカットするか? 訂正するか?」・・・許可を頂けますか。
お返事をお待ちします。塩川寿平
②許可が出ました。
一教師Aさんのコロナ禍中の教育現場のつぶやきです。
大学卒業後、ずーっと続いている長いお付き合いになる教え子とのお話です。
教授ジュッペちゃんの教育小説「大地保育ものがたり」に、載せたいと思うわけは60代中半の教え子の真剣な教育現場のお話なので、
私だけで留めておきたくないのです。
では、ブログを読んでくださっているみなさんよろしく。
③教授じゅっぺ先生へ
ご無沙汰しております。
3月25日、私が勤務している小学校で卒業式をしました。
今年は、人数制限がありましたが、保護者も体育館に入りました。
終了後、密にならない程度に、校庭でお友達と写真を撮ることが出来ました。
教職員の多くは、1年前の卒業式、入学式を思い出すと、
胸にこみ上げる思いもあり、保護者共々、涙を流す方も多かった。
はかま姿の女子児童を見ながら、レンタルの衣装屋も、花屋も美容院も、写真屋も良かったと実感しました。
飲食店、旅行業界のみ、大変さに、スポットライトが浴びますが、不公平感を持ちます。
大きな声を出して、卒業演奏の歌が、歌えないのは、気の毒。
でも、式が出来ただけ良かったです。
じゅっぺ先生が実感している、
コロナと保育の共存出来ない部分については、私も感じています。
じゅっぺ先生の保育の真髄は、
「アタッチメント(愛着)」と、
「スキンシップ(皮膚接触)」だったですよね。
それにじゅっぺ先生の口癖は、
『そこに愛はあるんか?(大地真央)』でしたよね。
掃除当番は、なし。
給食の盛り付け、配膳、おかわりなどの当番活動もなし。
給食中、おしゃべりなし。
音楽の授業も、管楽器や合唱などの制限。
半年間の嘱託教員生活の中でも、様々な日本の学校教育の良さが奪われた事をみました。
そんな中、2月板橋区のすべての小学生にタブレットが配布された。
リモート環境の向上には、有難いことですが、多くの先生方は、家でゲーム付け。怖いね。と話す。
この配布は自治体で時期など、それぞれ違う。
ワクチン、コロナ対策、ゴーツーキャンペーンの再開、などは話題になるが。
本当は、未来の担い手の、教育・保育環境のこと、現状の問題点と、コロナ禍でも、やり方を工夫して、教育・保育内容に組み込まなければならないこともいっぱいあります。
子どもがこれだけ、自粛生活しているのに、政治家と官僚の飲食を含めた、だらしなさには、あきれることばかり。
聖火リレーについては、アメリカのメディアも批判している。
第二次世界大戦の時と同じ。フィリピン、沖縄と爆撃されても、やめられなかった戦争。
一度決めたら修正出来ない、日本のリーダーは昔も今も一緒。
オリンピックは世界中のコロナをばらまく大きなイベントかな?
心配しています。
勝手なことばかり言ってすみません。
4月からは、違う板橋区の小学校でまた、先生をします。
先生は私の天職です。
じゅっぺ先生もよく言ってましたね。
『大地保育は私の命!』
『頭のてっぺんから足の先まで大地保育で出来ています』と。
先生のその言葉が大好きです。
私も教師大好きです。
コロナ禍中にあっても教師魂は失いたくありません。
じゅっぺ先生の保育者魂満載のブログいつも読んでいます。
死ぬまで現役! じゅっぺ先生万歳!
月、18日間。
春休み、祝日などあるので、平日はすべて出勤。
ラッシュの池袋で乗り換え、メトロ有楽町線に乗る。
本当は嫌ですが、少なくても、あと2年は・・・・・。
個人の海外渡航は、無理だと判断している。
じゅっぺ先生も海外旅行大好きですね。
じゅっぺ先生の口癖、
『感動ですよ!世界遺産を見ると元気が出るし、長生きできる』
と言っていましたね。
もう少し、じゅっぺ先生の生き方のように私も大好きな教師を継続します。
では、年度末、年度初め、じゅっぺ先生お体に気を付けてください。
どこかでの再会を願っております。
教え子のAより
④燃え尽きそうな・・・じゅっぺ先生の返事。
Aさん お便りありがとう。私も同感です。
ところで、しばらく「大地保育ものがたり」のブログが途切れて、間が空いてごめんなさい。
ご心配をかけました。
ブログ再開です。お待ちどうさまです。
パソコンが故障していたのです。
パソコンが使えなくなると不便なものですね。
私の生活もすっかりパソコンのお世話になっていることがわかりました。
ブログの「大地保育ものがたり」は、野中保育園が創造してきた『大地保育という保育文化財』を未来に繋ぐ本にしたいと考えています。
例えば、《どろんこ保育》は
絵本になったり、
書籍になったり、
歌になったり等々、
保育文化として認知されたと言えると思います。
貴重な子どもにとって必要な保育内容なので残さなければ、
「申し訳ない」「バチが当たる」「もったいない」と思います。
保育は学問ではないと言われ続けて、保育士さんの身分も低く、遊びと生活の評価も低いのです。
『日用品扱いで』『文化としての認知』がないからです。
『国民を動かすような。また世論となるような文化』になっていないのです。
『必要程度な日用品扱いで』軽く見られているのです。
現在、保育園は繁盛しているように見えますが、実は、両親が働くために必要品だからにすぎません。
日本経済を動かしていくために労働者が必要だからです。
子どものためとか、保育士さんのためは二の次です。
何よりはっきりしているのは、
『保育士さんのなり手がいないって!』
これって痛烈な保育園『ダメ!』て言う批判。
国民の評価ですね。答えが出ちゃっている。
保育士さんのなり手がいない。
保育士さん不足が慢性病になっている日本。
これって子どものためになっていると思いますか。
教授ジュッペちゃんが保育文化の大切さを主張するのは、
『文化なきところに人は来ない』と言う結論です。
保育単価について、その場しのぎで良いと言うのはお粗末。
保育所を福祉に置いておくのは間違いです。
お金の出し方を見ると、公的扶助の貧困対策と弱者救済になってます。
こんな考え方では十分なお金は出ません。
本来、乳幼児の人格を育てる花園は、遊びと教育と美を楽しむ芸術の場でなければなりません。
そのような『文化が生まれところになれば』、この職業の希望者はあふれ、保育士さんは増えます。
悲しいかな未だに保育士さんは、
『子守り=おしんの時代の3K』の域を出ていません。
言い過ぎでしょうか。
かつて敗戦直後、祖国日本の復興を目指して、野中保育園は私財を投げだしての慈善事業でしたが、その時代、それは それは 理想保育の実験の場でした。
最低基準の福祉ではなく、最高基準を目指していました。
『大地保育』は、遊びと教育と美を楽しむ芸術をしていました。
『大地保育』は、大人のためには共働きを支える機関でしたが。
園児のためには遊びと教育と美を楽しむ芸術活動をしていたのです。
教授ジュッペちゃんはその70年の歴史を評価して、
『大地保育ものがたり』を書き上げて、真の幼児教育と美術・芸術による人間教育の
『文化としての大地保育』を世に広めたいのです。
それを誰がするのかですが、大自然の大地=田んぼが父と母によって保育園になり、野中保育園の70年の歴史に、今日までかかわってきた教授ジュッペちゃんの使命だと考えています。
なにしろ、1953年(昭和28年)の開園。
農家の我が家が保育園になって、私は高校生の時から保育を手伝って、来年で野中保育園(現野中こども園)も70周年になります。
高校生だった私は保母さん不足のその頃、母に頼まれて、紙芝居の先生や、チャンバラの先生(剣道2段でした)になって、保父さんをしていました。
話を元に戻します。
野中保育園が70年間で創造してきた、保育文化『大地保育』を後世に伝えたいのです。
「どろんこ保育」も、
「名のない遊び」も、
「乳幼児の自由画」も、
「コーナーのないコーナーの保育」も、
「大地保育環境論」もしかりです。
しかしこれは「最低基準」の福祉予算ではできません。
「最高基準」の人間教育と芸術教育を考えなければなりません。
その通りです。
オリンピックを迎えるくらいのお金を幼児教育に使う日本の国を作りましょう。
オリンピックならば日本中の人が注目します。
オリンピックと同額を保育に使いましょう。
なにしろ、保育園に対する日本国民の注目度が低すぎます。
保育を国家経営の中心に備えましょう。
オリンピックを国家経営の中心に備えるように。
「大地保育=自由保育=子ども主体の保育」もオリンピックと同じです。
子どもをのびのび育てる保育技術と、保育環境作りには、オリンピックに取り組む同じ熱量の国民総意が必要です。
だからオリンピックと同額のお金を使う必要があります。
それと同じことがかつて野中保育園では・・・なぜできたのか。
マザーテレサ精神です。
ナイチンゲール精神です。
ボランティア精神です。
奉仕の精神です。
人件費を全く考えないでやってたのです。
しかも『24時間戦えますか』で、燃えまくって! 行け行けドンドンで!
自発的に 自主的に 血と涙を惜しみなく流してやってきました。保護者会もメチャクチャ協力してくれました。
『子どものために!』の合言葉が、全員の心の中にありました。
給料は低く。精神力だけで、
「大地保育」の奇跡を起こしたのです。
しかしもうだめです。
精神論も大切ですが。奇跡は一回しか起こりません。
だから、オリンピックを迎えるくらいお金を使いましょう。
この教授じゅっぺちゃんの考え方は間違っているでしょうか。
子どもを育てるのが楽しくなるような国づくりをしましょう。
子どもの幸福な笑顔は最高に素晴らしい。
子どもと共に暮らす社会は幸せな社会です。
国のあり方とはそういうものです。
子どもを産みたくなるような日本の国をつくりましょう。
オリンピックと同じ水準で保育を応援する国民になりましょう。
「子育てに夢がいっぱいある国」、
「子育てが希望にあふれている国」、
「子育ての楽しい国」・・・づくりをしましょう。
野中保育園の70年の歴史から学び、オリンピックと同じように期待される
『大地保育』をこれから創っていくのです。
そのような『大地保育ものがたり』をブログで書きます。
今は自由保育=子ども主体の保育ではありません。
コロナ保育です。大人の指示保育です。
残念でなりませんが。コロナには勝てません。
じっと我慢の時です。
頼りになるのはワクチンだけですね。
早くコロナがおさまって、のびのび保育=大地保育がしたいです。
本当に今、園児たちが可哀想でなりません。
だから自由保育を忘れないように。
だから子ども主体の保育を忘れないように。
元気な保育を創り出す『保育文化を記録』しましょう。
長文になってしまいました。
情熱だけで思いの丈を吐き出しましたが。
本音が一杯隠れています。
ブログを読んでくださるみなさん!
教授ジュッペちゃんの遺言だと思って、
『大地保育ものがたり』の本意をお汲み取りください。
Aさん! 本音のお便りをくれてありがとう。
では、コロナ禍中。ご自愛ください。
教授じゅっぺちゃんより