こんにちは。じゅっぺちゃんです。

第27話(1)


のつづきです。

 

参考資料①



当時、世界最速の弾丸列車。
満州の大地を駆け抜けた夢の超特急あじあ号(パシナ12号)
『満鉄社員終戦記録』(出版:財団法人 満鉄会)
1996年(平成8年)1126日発行より参考。

参考資料②



塩川ファミリー在満10年間と引越し5回の地図。
父塩川寿介の満鉄勤務の関係で在満10年間に
転勤5回の地図を示します。
奉天~②牡丹江~③奉天(2回目)~④通化~⑤四平街・・・5回の引越しの地図。

参考資料③



朝日新聞(夕刊)2019(令和元年)520日 
『満鉄の超特急「あじあ号」一般公開』

参考資料④



塩川寿平の友人の父【田中友太郎さんの体験記】を井上卓弥氏が本にしました。
塩川寿平は出版のお祝いに駆けつけました。
2015年(平成27年)825日の田中ご夫妻との写真です。
著書「満州難民—38度線に阻まれた命—」
著者 井上卓弥(慶大・毎日新聞。卓弥の祖母が書の中の1人。)
出版社 幻冬舎
出版年月日 2016525

参考資料⑤



著書「満鉄技術者たちの運命—国共内戦下の逃避行—」
著者 米濱泰英
出版社 オーラル・ヒストリー企画
出版年月日 201761

 

《むすびにあたって》

【じゅっぺ教授が尊敬する大陸育ちの有名人の方々】

なかにし礼 1938年(昭和13年)牡丹江生まれ。
山田洋次 1931年(昭和6年)ハルピン生まれ。
小澤征爾 1935年(昭和10年)奉天生まれ。


感想:小澤家が懇意にしていた軍人の板垣征四郎と石原莞爾から1字ずづつ取って「征爾」と命名。あまりにも関東軍の満州色を持ったお名前付けに満州を深く感じます。


加藤登紀子 1943年(昭和18年)ハルピン生まれ。
宝田 明 1934年(昭和9年)ハルピン生まれ。
澤地久枝 1930年(昭和5年)東京生まれ。4歳から吉林市育ち。
藤田紘一郎 1939年(昭和14年)中国本土生まれ。
赤塚不二夫 1935年(昭和10年)中国古北口生まれ。
ちばてつや 1939年(昭和14年)東京生まれ~奉天育ち。
山内ジョージ 1940年(昭和15年)大連生まれ。
高野悦子 1929年(昭和4年)営口生まれ。
ジェームス三木 1935年(昭和10年)奉天生まれ。

藤原ファミリー
藤原正彦 1943年(昭和18年)新京生まれ。
新田次郎(藤原正彦の父)1943年(昭和18年)新京天文台勤務。
新田次郎の妻・藤原てい(正彦の母)「流れる星は生きている」の著者。   

 


特記

皇女 愛新覚羅 慧生 アイシンカクラ エイセイ
1938年(昭和13年)満州国生まれ。
《*天国に結ぶ恋『天城心中』の皇女を思うとき、「生まれた国」も「生まれた年」も同じ人の死をじゅっぺ教授は心の底から悲しんでいます。》

慧生の父は愛新覚羅 溥傑フケツ(ラストエンペラーの満州国皇帝 溥儀フギの弟)と、母は“流転の王妃”嵯峨浩ヒロ(侯爵家・公家の姫君)の長女として誕生した=満州国皇女・愛新覚羅 慧生さんの死を心から悼む。 

1957年(昭和32年)1210日没。 
学習院大学学生で19歳《天城心中》天国に結ぶ恋。

テレビ・新聞でこのニュースを知った時。
同年の19歳のじゅっぺ教授は人ごとではなく、歴史上の身内を失った悲しみに包まれました。

同じ昭和13年に同じ満州で生まれたと言うご縁ですが。満州育ちの歴史上の同級生だと思うたびに、生きていて欲しかったと深く悲しみました。

『天国に結ぶ恋』で死なずに、お姫様は日中の架け橋になって欲しかった。
貴重な日中の血が流れていたのだから!
言葉では言い表せないほど残念でなりません!!
ただ ただ 生きていて欲しかった!!!



むすびにあたって

書き出した満州生まれの有名人と、じゅっぺ教授とは特別の関係は何もないのですが。
満州生まれのご縁!
昭和生まれのご縁!!・・・の歴史上の知人で、じゅっぺ教授は特別な親しみが湧いてくるのです。
その過酷な運命を跳ね返した一人一人の戦後の生き方は、じゅっぺ教授の生き方に多くの影響をもたらした人々なのです。
 

 

 

 


以上をもちまして、
じゅっぺ教授のファミリーヒストリー第27話(新版)を終わります。
長いお付き合いをありがとうございます。
では、コロナ禍中。  

 

みなさんご自愛ください。
塩川寿平